月は学問上の天体ではない

 水平飛行に移行してわたしは初めて生きていることの幸せを感じた。


『シートベルト外していいわよぉ』


 ジェトのアナウンスで梨子りこは座席を立ってまた5台のノートPCの前で立膝を突く。

 1台はコンテナ内部の女神像、残り4台は空の画像が映し出されている。


「梨子。レーダーとか無いの?」

「あります。当然操縦桿を握るジェトはレーダーを使用しています。ですが教官殿。こういうこだわりはいかがですか」

「?」

「わたくしは本来人間の五感に勝るセンサーは無いと思っています。できれば肉眼で機体外部の状況を確認したいところですが首を外に出す訳にもいきませんのでカメラで確認します」

「でもカメラ多過ぎじゃない?」

「教官殿」

「なに」

「女神像は狙われているのです」


 そこからの話は自衛隊・・・・・・つまり国がホンキでそう考えているのかどうかわたしには判断がつかなかったけど、現実に女神さまと運命を共にしているんだと覚悟せざるを得なかった。


「教官殿。この女神像が鎮座しておわした神社のことをご存知ですか?」


 わたしは首を振る。梨子は時折目を閉じながら話してくれた。


「その神社は北の地方の県にあります。神の山の入り口に位置していて登山者は皆女神さまに参拝してから入山します。女神像に荒ぶる神々を押さえつけていただいて無事下山できるようにです。そもそも入山の目的が神々への報謝ですから」

「狙われてるっていう意味は?」

「おっと・・・・・失礼しました。女神さまは日本国の荒ぶる神々だけでなく、外地の神々をも統治し給うお力をお持ちです。ですがそれを決して認めようとせず、自分たちの神こそが地球上の何者よりも優れていると考える人間がいるのです。そういう人間たちは女神さまを滅ぼそうと虎視眈々と狙っているのです。わざわざ民間機の通常運航のようにカムフラージュしてまでのフライトにするのは女神さまが撃墜されないようにするためです」


 撃墜!


「そ・そ・そ・そんなことホンキでやる国があるの?」

「教官殿。わたくしが緊急着陸したと言っていた国はその北の県の神社を空爆しようとしていたのです」

「えっ。だってそんなことできないでしょ?」

「ドローンを使えば誰でもできる環境ですよ」

「でもすぐにニュースになって世界じゅうから非難されるでしょ?」

「教官殿。わたくしが敵地に緊急着陸したことがニュースになっていますか?戦闘機の修理に駆けつけてくれた鬼選きよりは実はその間に敵のヘリコプターを一機、ランチャーで撃墜してるんですよ」

「!」

「それがニュースになっていますか?」


 日が落ちた。


 本来ならば羽田・ホーチミンのフライト時間は6時間程度だが、航路も迂回路を取って動きを読まれないようにするので到着は朝になるだろう。またコックピットからアナウンスがあった。


『ふたりともぉ。窓の外をご覧あれぇ』


 なんだろ。

 ジェトの後に鬼選までがアナウンスする。


『美』


 月だった。


「綺麗・・・・・・・」


 おそらく普通のジャンボジェットよりも高度を高く保って飛行しているこの機体からは、月がより近く見えているんだろう。わたしのココロのせいか、月の輪郭がよりはっきりと見えるように感じる。


「宇宙防衛という概念がありますが」


 独白のように梨子がつぶやく。


「わたくしは踏み込んではいけない領域と捉えています」

「なぜ?同盟国であるアメリカも有人月面着陸の構想をまた練ってるんでしょ?」

「教官殿。『お月さま』ですよ?」


 なんだろ。

 まさか梨子がファンタジー趣味?


「教官殿。お日さまに対してのお月さまですよ・・・・・わたくしはどうしても月を単なる天体と捉えることができないのですよ」

「なんとなく分かる・・・・・・」


 わたしたちは大きさを増した銀盆のような月を数十秒間、ココロの中で手を合わせながら見つめていた。


「?・・・・・・・うっ」

「梨子、どうしたの?」


 梨子が呻いた。

 そのままコックピットにハンディ・カムで怒鳴り返す。


「来たぞ!備えろ!」


 わたしは全てのPCの画像をのぞき込むけど何も見えない。

 でも梨子は、4台目のPCに『映っている』と言う。


「教官殿。人間にはもうひとつセンサーがあるんですよ。第六感、ていう」


 梨子はそのシックス・センスを使ってPCの画像のその向こうにレーダーよりも早く敵を見つけ出したんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る