醤油かソースかだけの問題では、決してない
自衛隊駐屯地敷地内にある唐突な感じのする築三十年程度の木造一戸建ての寮。
石嶺が言った。
「ここで一週間、缶詰めです。食料は冷蔵庫二台にさしあたり満杯に入れてあります。炊事洗濯掃除ゴミ出しまで申し訳ないですが、四人でやってください。もし買い出しが必要であればガレージにジープがありますのでそれで。スーパーは周囲5kmに5軒あります」
「石嶺アテンダント、深夜スーパーは無いのでありますか?」
「ショッピングモールの中に一軒あります。では」
「ま、待ってください」
わたしは思わず声を掛けた。石嶺はほとんどダッシュに近い速足で玄関に向かっていて、わたしの声を聴かないようにしてそのままドアノブに手をかけたけど、もう一度わたしが言うと動きを止めてくれた。
「石嶺さん」
「な、なんですか?
「石嶺さんも一緒に」
「す、すみません。わたしは次の仕事がありますので」
『一週間もこの三人と一緒に居る自信がありません』
声をひそめるわたしに石嶺も声をひそめて答えた。
『わたしもです。じゃあ』
ああ!
「教官殿」
後ろを振り返ると、梨子、ジェト、
「教官殿。早速レクチャーを」
レクチャーと言ったところで彼女たちの主に自衛隊員としての職務上のマニアックさを初対面で見せつけられていたので、何からすればいいものかとこめかみの辺りに力を入れて考えるけどその気張るエネルギーが全く脳内には伝わらない。
本能に従うことに決めた。
「晩御飯、食べようか」
三人と遭っただけで脳の被膜がもわっとした表皮の痛みを感じているので、簡単な料理にしよう。
この三人は料理はできるのかな・・・・・・
「教官殿、見くびらないでください」
「そうよぉ、梨子の言う通り。自分の衣食住を自分で始末できない人間が戦場で生き残れるわけないでしょぉ?ね?鬼選ちゃん?」
「諾。自活必須。自給自足。手前味噌」
ニュアンスは何となく伝わるので一緒に調理作業をすることにした。
晩だけど目玉焼きを。
「教官殿。調味料を何にするかというこだわりですか?」
「ふふぅ。アタシはソース派ねえ」
「某、唯醤油。魚醤尚可」
鬼選が魚醤・・・・・ニュクマムってやつか・・・・を出して来るあたりさすがにベトナムを意識してるんだろうけど・・・・・全員惜しい!
「焼き方だよ」
わたしはIHヒーターにグリーンパンを乗せ、オリーブオイルを垂らす。
そのままフライパンをローリングさせるように均等に行き渡らせる。
「卵を」
わたしが言うと鬼選が機敏な動きで冷蔵庫の中から卵を4個取り出してボウルにコロン、と転がしてわたしの手元に置いてくれた。無愛想だから人を少し侮蔑してるのかと思ったけど、意外と礼節を弁えているのかもしれない。
「ありがとう」
「作業」
なるほど。
彼女は徹底的な実務家で実務に忠実なだけなのかもしれない。
わたしはボウルから一個ずつ卵を取り出してフライパンの上に持って行き、両手で割る。
「あらぁ。片手じゃないのねぇ」
「エンターテイメントで調理するならば片手がいい。でも、それはこだわりに見えてこだわりじゃない。本当にマニアックな実務家ならば『調理作業』と呼び、確実に出来上がりが良くなるプロセスを選ぶ」
梨子が腕を組んでうんうん、と頷いている。
手早く4個グリーンパンに割ったところでわたしはガラスの蓋を被せた。
「何故硝子」
「ああ。マニアックな目玉焼きは黄身に薄いヴェールをかけるの」
「?」
「見てて」
説明が面倒なので全員をわたしの後ろに立たせて目玉焼きの行く末を見守らせた。白身がグリーンパンに広がった裾野の標高が高くない、つまり薄い部分から徐々に固まって行って、同時にガラスの蓋に上昇した蒸気が水滴となって張り付いて行く。
変化はしばらくして現れた。
「黄身、白」
「ほんとねぇ・・・・黄身の上の僅かな白身が白い膜みたいにうっすらと覆って・・・・確かに美味しそう」
「後は予熱で」
わたしはIHの熱をOFFにしてそのまま置いておいた。徐々に熟成するかのように出来上がって行く目玉焼き。
「では、四角い皿に盛ります」
正方形の陶器の皿にひときれずつ乗せて作業台の上に並べた。
「何使用」
「クレイジーソルトがお勧めだけどなんでも」
「教官殿、そんな曖昧なことでいいのですか?」
「いいよ。『好きにしな』っていうのも実はマニアック」
ジェトがわたしに訊いた。
「これだけ?」
「まさか。後はひとり一品ずつ調理して。ノルマだから」
「うわぁ、マニアちゃん一番簡単なの取ったぁ」
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