八話*間違いなくあいつの師匠だ
玄関を入ると右に二階へと続く階段が見え、そのまま廊下を進む。左にある木製の扉が開かれ、カイルの背中を追うようにリビングに入る。
ブラウンの革製ソファの奥には、ダイニングキッチンがある。どこも掃除が行き届いているらしく、清潔感に溢れていた。
「まあ、歓迎するぜ」
そう言ってカイルはセシエルをソファへ促しながら、キッチンに向かう。セシエルはコーヒーを入れる準備をしているカイルを一瞥し、ソファに腰を落とした。
前に向き直り、付いていない液晶テレビに映る自分の姿を視界全体で捉え、手持ち無沙汰に膝の上の手を組む。
どうしてこうなった。どうしてこの男は、俺を親の敵みたいに戻ってこいなんて脅したんだ。
しばらくして良い香りが
「どうも」
生返事をするセシエルを見つつ、カイルはコーヒーをひと口すする。
「で、あいつとどんな関係?」
きた、いきなり本題に入るタイプか。いやまあ、俺と世間話をするのも変か。
ここまで来たらもう逃げられないとセシエルは溜息を吐いて、ベリルとの出会いから語り始めた。
カイルは神妙な面持ちで、それらを聞いていた。嘘がないかを見定めているのだろうか、視線が鋭い。
──聞き終わるとカイルは目を据わらせ、深く息を吐いてセシエルを見やる。
「お前。よく、あいつを誤解出来たな」
うぐっ!? と喉を詰まらせる。
「どうせ、あいつの顔がどうとかで偏見を持ったんだろう」
うぐぐっ。まったく無かった訳じゃないだけに、ぐうの音も出ない。
「仕方ないだろ。あいつの事は知らなかったんだ」
「そういう奴を狙っているからな」
そっけなく答えて、しばらくの沈黙が続く。様子を窺うカイルに、セシエルは緊張した面持ちで次の言葉を待った。
セシエルを見据える瞳は、深く心を探ろうとしている。それを隠さずに向けられる瞳の居心地の悪さに、少しずつコーヒーをすする。
「いや、あのな。無理に聞くつもりはない。俺を信用出来ないのは当然だし」
「そうだな。あいつが本当に、お前にそんなことを言ったのかわかんねえし」
ああ、やっぱりあいつ、師匠に言ってなかったのか。だったら信用なんて、される訳がない。
そう考えていると、カイルがスマートフォンを手にしてどこかにかけはじめた。
おい、まさか今、聞くつもりじゃないだろうな。
「いや、そこまでしなくても。銃を返してくれさえすればすぐに帰る」
そんなに都合良く、あいつが電話に出る訳が──
「カイルだ。いまここに流浪の天使がいるんだが」
出たのかよ! 丁度、都合付きやがって!
「ああ。聞いた──そうか。解った」
簡潔な回答が返ってきたのか、カイルは短く返事をして通話を切った。
「あいつが、不死になった経緯は知っているか」
「あー……。大体は」
仲間の知人に傭兵がいて、そこからどうにか知った感じだ。それでも、詳細まではわからなかった。
「大体ならそれでいい」
つまりは、秘密にしているものは不死には関係が無いってことか。しかし、カイルが俺を睨みつけているのはなんでだ。
「あのよ」
「なんだ」
ぶっきらぼうだな。まだ何もしていないのに嫌われている。
「俺は別に、それほど知りたいって訳じゃない。だから、銃を返してくれれば帰るし、もう二度とあんたには会わない」
それでいいだろう? と再度、提案したのだが、カイルの目は「そうじゃない」と語っているように見えた。
「本当に、知らないのか」
「だから、そう言ってる」
疑い過ぎだろ。それほどに、あいつの秘密はやばいってことなのか。それなら、尚のこと聞きたくないぞ。
そうか、カイルがやたら慎重になっているのは、あいつの秘密が知られていないかを危惧しているためか。
だから、あのときも俺の態度に「もしかしたら」と考えて逃がさなかった。あのまま帰したのは、居場所を突き止める自信があったのだろう。
「あいつがねえ」
見定めるように、まじまじとセシエルを眺める。
あとに続く言葉はきっと「まさか他人に話そうとするとはなあ」に違いない。そりゃそうだろう。
ご大層な秘密のようだから。それを、ほんの数回、会っただけの奴に「話してもいい」なんて、よくも軽々しく言ったもんだ。
しかも、女に騙されて悪者にされたあげく、無実なのに捕まえようとした奴にだ──改めて言うと、実に俺が情けなく、本当にどうしてなんだと思わざるを得ない。
頭を抱えているセシエルを、カイルはまだじっと眺めている。
「ふむ……」
カイルは、ベリルから任された判断に慎重になっているようだ。それはもっともだ、ベリルの持つ秘密は、もう誰一人、知る事がないだろうとカイルは考えていたのだから。
墓まで持って行く覚悟をしていたというのに、セシエルから聞いた話に肩すかしを食らった感じになった。
確認してみたらベリルは少ない言葉で、判断は俺に任せる的なことを言いやがるし。そんな大事なことを、俺に任せるんじゃねえよ。
さて、話していいものかどうか──。
一方、カイルの反応を待っているセシエルは、空になったコーヒーカップに視線を落として、組んだ手の指を心許なく動かしている。
いつまでこうしていればいいんだ。全然、喋らねえ。こっちから話しかけるのも変な気がするし。
カイルの視線はもう鋭くはないが、やはり居心地が悪くて尻がむずむずする。
「あいつと会ったのは何度くらいだ」
「二回、かな」
深く考えなくても即答出来る。それくらい、強烈な出会いだった。
「二度?」
たったの? それだけであいつは、知られてもいいと思ったのか。あいつは誰かに話したいと考えるような、
カイルはベリルの思考に疑問を抱きながらも、斜め左に腰掛けているセシエルをひと睨みして小さく溜息を吐く。
「ミッシング・ジェムって知ってるか」
「? なんだそれ」
「人類にとって、存在してはいけない存在──だそうだ」
「……。例えば?」
「ベリル」
「はい?」
唐突に自分の弟子に対して何を言っているんだ。
「あいつ、親がいないんだ」
「孤児なのか?」
「いや。初めからいない」
これまたおかしな事を言いやがる。セシエルは思わず口角を吊り上げた。
「初めからって。人間から産まれてないみたいな言い方じゃないか」
「そうだ」
「──は?」
「人間の血縁はいない」
「は?」
真面目な顔を向けられてセシエルは戸惑う。
「これから話すことを信じるかどうかは、お前が決めればいい」
「言い逃げする気かよ。待てよ、俺は聞く気はないんだぞ」
そんなセシエルの抗議にも意に介さず、カイルは口を開く。
「あいつと出会ったのは、アルカヴァリュシア・ルセタの森だった」
ヨーロッパの中ほどにある小国だ。過去には世界最高の科学力を誇り、その技術を輸出していた。
しかし現在は突出した技術もなく、国土も狭く、海にも面していない。経済破綻するのは時間の問題だと言われている。
「その森には遺伝子研究所があってな。集めた遺伝子から、人工生命体を造る研究をしていた」
そこで、あいつは生まれた。成功したのは、あいつだけだったらしい。
その研究所は、あいつが十五歳のときに襲撃を受けて、そこにいた人間は全員、殺されたそうだ。
「全員? 何人いたんだ」
「三百人」
その数にセシエルは息を呑む。
「あいつが生き残ったのは、生来の強運と抜群の戦闘センスのおかげだろう。施設にいた頃に戦闘技術をある程度、教わっていたらしい」
俺は二人目の師匠って訳だ。
「なんで襲撃されたんだ?」
「ベリルを奪うため」
危険因子と見なされた男を毒殺し損ねた結果、施設は襲撃されベリルに教育を施していた専門家やスタッフなどが全て殺害された。
「危険因子?」
「リーダーのベルハース教授の友人だった言語学者の思想が、やばかったらしい」
このままにしておく訳にはいかないが、施設から出す事も出来ない。政府は考えあぐねて、その男を殺害する事にした。
「ところがだ、毒の量があまかった。外に運ばれて仮死状態から目覚め、施設は襲撃された」
とても信じられない話が語られていく。思考が追いつかない。
「あいつを逃がしたのは、ブルーという奴だそうだ。優秀な軍人だったと言っていた」
今にして思えば、という話で当時はそこまで解ってはいなかっただろう。ベリルは逃げ切れたのだ、確かに優秀だったかもしれない。
「へええ……」
セシエルは、
──十五年を過ごした場所で、共に暮らした人たちがみんな殺された。誰も救えず、逃げなければならなかった事が、どれだけ悔しかっただろうか。
……カイルの話が本当ならだが。
危ない危ない。つい、信じるところだった。いやまて、その前に──
「あいつは一体、なんでそんな所にいたんだ?」
カイルは、それをこれから話すんだろうが。という顔つきでセシエルを見やる。
「さっき言ったろう。人工生命体を造る研究をしていた場所だと」
「ああ……」
そういえば言っていた。
「──え?」
どういうことだ?
「そこまで言って、なんでわからねえんだよ」
まだ理解していないセシエルに眉間のしわを深く刻む。
「つまり……え? ──ええっ!?」
セシエルは思い至った真実に、勢いよくソファから立ち上がる。無表情に見上げるカイルを視界全体で捉えながら、震える手を口に当てた。
「そういう、ことなのか?」
ようやく理解した男を呆れたように眺めて、カイルはカップを傾けるものの、飲み干したことに気がつき、二杯目のコーヒーをいれるべくキッチンへ向かう。
そうしてコーヒーの入ったポットを手に戻り、未だ驚きに腰を浮かせているセシエルのカップにも二杯目のコーヒーを注ぐ。
それに、ようやく我に返ってソファに座り直すものの、とんでもない真実を知り、ますますもって居心地が悪くなった。
落ち着こうとして、とりあえず二杯目のコーヒーで乾ききった唇を湿らせる。ここに座っている経緯を、順に思い浮かべた。
──俺が騙されて、あいつを捕まえようとした事はまあ、仕方ない。あいつが不死だから、俺が巻き込まれただけだ。
そこから、どうしてこうなった。
カイルが神経質すぎるんだ。あんな、俺のちょっとした躊躇いに食いつくなんて──そう思ったが、一度、敵に秘密が知られてカイルの家が襲撃され、そのとき丁度、あいつが不死の力を持つ人間を護っていた最中だったとか。
その人間を狙っている敵の一人が、あいつの秘密を知って直接、ベリルを脅してきたらしい。後にそれを聞いて、明らかにそれによる襲撃だったのだろうと結論づけた。
それを思えば、少しの違和感でも俺を引き留めた事は理解出来る。
カイルは、頭を抱えて黙り込むセシエルを見つめて、ベリルの言動に少なからず納得した。
「あいつ、性格が悪いところがあってな」
カイルがふと口にする。
「誰彼構わず、相手を困らせる事が好きなんだ」
ああ、確かにあいつらしい。
俺が困っているとき無表情ながらも、その瞳の奥には意地悪な光が窺えた。あれは絶対に楽しんでいた。
「あいつが二度会っただけで俺の所に寄越してくるとは。よっぽど、お前が気に入ったんだろうな」
「そうなのか?」
「俺も気に入るだろうと考えたんだろうよ。まあ、気に入った。別に話さなくても良かったのに、つい話しちまったくらいにはな」
「はあ?」
「言ったろ。俺が気に入るから会わせるために、口実にしたんだ」
「だったら口実のままでいろよ!」
余計な荷物を背負い込んじまったじゃねえか!
そんな俺をカイルは豪快に笑い飛ばす。どう甘く見積もっても、こいつも俺を困らせて楽しんでいる。
まったく……。カイルは間違いなく、お前の師匠だよ。
「あのよ」
セシエルはふと、気になって問いかけてみた。
「なんで、あいつを引き取ったんだ?」
「お前は見捨てられるか?」
「む……」
そう言われ、ライカを脳裏に浮かべて小さく唸る。
両親に捨てられ、その両親は殺されて独りになったライカを施設に預ける選択肢は何度か考えたが、結局は止めた。
それは、見捨てることなど出来なかったからだ。俺といても、ライカが幸福になるとは思えなかったが、あいつの顔を見て施設に預けるという選択は選べなかった。
それを思えば、カイルが迷うことなくあいつを引き取る決断をするのは当然か。
「もちろん、この話は──」
「誰にも言わねえよ。当たり前だろうが」
「そうか」
念を押すことなく、カイルは言葉を短く返した。
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