九話*追いかけろ!

 それから、セシエルは落ち着かない気持ちのままジャックの家に戻った。

 とんでもないものを背負わせやがってと怒りを抱きつつも、カイルの話を思い出すと気分が滅入る。

 絶対に嫌がらせだ。いや、嫌がらせで話すような内容じゃないが、カイルという人間ならやりかねないと思える。

 まあいい。不死という、とんでもない事実があるおかげで、あいつにこんな秘密があるなんて思う奴はいないだろう。

 俺はもう忘れた。そう思い込むことにした。



 ──それから一年後、セシエルは眼前のライカに小さく溜息を漏らした。

 歳が歳だけに、セシエルは選んで依頼を受けていた。仕事を一つ終えると、しばらく休養をして、その間にライカにハンターとしてのノウハウを叩き込む。

 しかし、ライカは指名手配犯の顔を覚える以外は、からっきしだった。

 ハンドガンに関しては、基本的な手入れや撃ち方などはどうにか覚えたが時間がかかる。ライフルは構えている間に撃ち殺されるほど遅い。

 体術はまあ体格もあってか、少しは出来る。それだって、でかい図体ずうたいのおかげでしかない。

 武器を持った相手の対処法は教えているものの、そのときになって対処出来るとは思えない。何もかもが不安だ。

 それでも稼がなければ生活もままならない。かといって老後のための貯金を崩す訳にはいかない。一応は保険に入っているが、先の不安は拭えない。

 レストランでスパゲティを頬ばるライカを、溜息と共に眺める。そんなセシエルにライカは小首を傾げた。

 生ハムをいじりながらウイスキーを傾けていると、ガラス張りの店内から道路に向けた視線がその衝撃に揺れる。

「あいつ──!」

「お? クリア?」

 突然、外に駆け出したセシエルにライカは驚いて食べる手を止める。何かを追いかけるセシエルの顔が、怒りに満ちていたことに呆然とした。



「あの野郎」

 セシエルは、前方を歩く一人の男の背中に鋭い視線を送る。店から駆け出したが呼び止めることはせず、一定の距離を保ちつつ後を追う。

「間違いない──」

 指名手配の顔写真を何度も見て覚えた、ライカの両親を殺した奴だ。

 犯人は割れたものの、警察は未だに捕まえられずにいた。男女の二人組だったはず。もしかしたら、女と合流するかもしれない。

 そこでふとライカを置き去りにしたことに気がついて、スマートフォンを手にした。男を見失わないように注意しながらライカからの通話を待つ。

「──ライカ。まだ店か?」

<あ、クリア。どこに行ったのさ。いきなり出て行くんだから、びっくりしたよ>

「ああ、ちょっとな。おまえは車で待っててくれ」

<え? クリアは何してるの?>

「あとで話す。今は忙しいから、切るぞ」

 スマートフォンをバックポケットに仕舞い、男を確認する。尾行には気付かれていないようで安堵した。

 男は周りを警戒しつつ、素早く路地裏に滑り込む。しばらく歩いて、さびれた五階建てビルのドアノブに手を掛けた。

 鉄の扉は立て付けが悪いのか、錆びているせいか、きしんだ音を響かせて男を中に招き入れる。

 ドアが閉じてすぐ近づいて、階段を上る音が遠ざかる所でゆっくりとノブを回す。足音を立てずに階段を上がり、聞こえる足音を追う。

 三階で足音が一旦、止まりドアが開く音が聞こえ、入っていく影を確認して駆け上がる。静かに隙間を空けて、男が右にある部屋に滑り込むのを見てから大きくドアを開いた。

 男が入った部屋の扉を見つめて、耳を近づける。微かにテレビの音が聞こえたが、さすがに話し声までは聞こえなかった。

 とりあえず潜伏場所は確認出来た。あとは、様子を見て捕まえるだけだとロビーに向かう。一階のエントランスには小さなガラスの窓口があり、一応は管理人がいるのかと、そこにいる若い男に話しかける。

 セシエルはハンターだと名乗り、目当ての名前を述べる。二十代ほどの青年は、いかにも面倒そうな目を向けて引き出しにあるノートを取り出して確認したのち「ああ、いるね」とぶっきらぼうに答えた。

 それだけ解れば用はない。自分が来たことは誰にも言わないようにと念押しし、迷惑はかけないと言い置いて外に出た。

 スマートフォンを手に取り、ライカに連絡をする。言いつけ通りに車にいるようだ。すぐに戻ると言って通話を切り歩き出す。

 さて、このことをライカに話していいものか思案しつつ、途中のカフェでハンバーガーをテイクアウトし車に戻った。



 ──結局は言い出せずに、急遽きゅうきょはいった依頼は危険だからと一人で帰らせて、男がいるアパートの前に車を駐めて見張りを始めた。

 男がいるアパートは繁華街から少し離れている。そのおかげで監視がしやすい。

 一週間ほど監視すれば、おおまかな動きは把握出来るだろう。女の姿はまだ見えないが、監視を続けていればいずれ確認出来るはずだ。

 その日は割と早く訪れた──二日後の深夜、男と共に女も出てきた。奴らがしたことを知らなければ、仲むつまじい恋人同士だと思うだろう。

 あの二人はライカの両親を殺しただけでなく、それまでも多くの罪を重ねていた。必ず捕まえて、やったことの報いは受けてもらう。

 繁華街の方に歩き出した二つの背中をセシエルは車から出て、見逃さないように慎重に追いかける。

 二人はバーに入って酒を飲み、一時間ほどで店を出た。そのあと、路地裏で周囲を窺いながら現れた人影を確かめると何か小さな袋と何枚かの紙幣とを交換し、アパートに戻った。



 ──二人が一緒にいる事は確認できた。こっちは俺一人だから、確実に捕まえるためには一人ずつ相手にしないと。逃げられる訳にはいかない。

 俺の体力の低下も考えると、計画は入念に練らなければならない。とはいえ、一人でいるときに捕まえる程度のものなので大した計画とも言えない。

 二人で行動する方が少ないらしく早速、男は一人で外出した。バーでしこたま酒をあおり、泥酔しておぼつかない足取りのまま帰路に就く。

「んあ? なんだおまえ」

 目の前に立つ人影に、男は眉を寄せる。薄暗い明かりに目を凝らすが、見覚えのない顔に眉間のしわを深く刻んだ。

「アントン・ベケット」

 低く、くぐもった声に少しの怒りが感じ取れ、アントンは一歩、後ずさった。しかし、薄明かりで見えた風体ふうていに口の端をやや吊り上げる。

 それなりの強さは伝わってくるものの、五十歳と思われる顔つきに余裕を浮かばせた。三十二歳のアントンは、こんなジジイに負ける訳がないと意気込んで殴りかかる。

 セシエルは、その拳を軽く避け、バランスを崩したアントンの足を引っかけた。

「うわっ!?」

 地面に転がるアントンを冷ややかに見下ろす。このまま大人しくしてくれればいいものを、直ぐに立ち上がり再び飛びかかってきた。

 体力を削るべく、幾度も挑みかかるアントンを転がす。

「く、くそ!」

 息を切らせてへたりこむアントンを、拘束しようと近づいたとき──

「クリア!」

「っ!?」

 聞き慣れた声に振り返り、立ち尽くしているライカに目を見開く。

「どうしてここに……」

「クリアの様子が、なんかおかしかった、から」

 そうだった、迷子になったらと俺のGPSを教えていた。それを辿ってきたのか。俺が思っていたよりも、ライカの勘は鋭かったらしい。

 それとも、両親に関する事だったため、その機微きびを感じ取ったのか。

「そいつ。そいつだよな!?」

 初めて見るライカの表情にセシエルは一瞬、動きが止まる。両親を殺した二人組の指名手配写真を、穴が開くほど見つめていたライカを思い出す。

「やめろ。やめるんだ」

 ハンドガンを抜いて、男に銃口を向けるライカの前に滑り込む。

「どけよ! 俺が、こいつを殺して、父さんと母さんの仇を、討つんだ──っ! どいて、くれよ」

 セシエルは、カタカタと震える銃口に視線を落とし、陰った瞳をゆっくりと閉じたあとハンドガンに手を添えて下げさせた。

「お前は、ハンターになるんだろう。だったら、やることが違うだろ」

 それはハンターの仕事じゃない。そう言って結束バンドを差し出した。それをライカは無言で見下ろし、乱暴に掴み取ってへたり込んだままのアントンに近づく。

 こうなっては残りの女も捕まえさせた方がいいだろう。男を速やかにここから移動させ、警察署に向かう。

 なるべく早く男を受け渡す手続きを済ませて、残る女がいるアパートにきびすを返した。

 今回は女一人だ。部屋に乗り込んでも逃げられることはないだろう。夜中だからエントランスに管理人はいない。もし昼間でも、何枚か紙幣を握らせれば問題はない。

 確認していた部屋のドアに耳を近づける。微かにテレビの音が聞こえて、セシエルは固唾を呑んで見ていたライカにゆっくり頷いた。

 二人はハンドガンを手にして、セシエルがベルを押す。少しして足音が近づいてくる。しかし、警戒しているのか、鍵を開ける気配がない。

「すいません。隣の者ですが」

 出来るだけ印象の良い声色で発する。それでも鍵が開くのに数秒を要し、隙間から女の目が見えた瞬間、セシエルは勢いよく扉を開いた。

「!? ちょっ──なにっ?」

 飛び込んできた男二人に驚きつつも、場慣れしているのだろう、素早く奥に駆け込んで窓から逃げ出す。

「待ちやがれ!」

 急いで追いかけるも、女はあっという間に外階段を駆け下りてアパートから離れていく。この速さは予想外だった。

 セシエルはハンドガンを仕舞い、足早に女のあとを追いかける。

「待て!」

「ライカ!?」

 こいつ、こんなに速かったか?

 ドカドカと、でかい図体で女を追いかけるライカの背中に目を丸くする。

 いや、感心している場合じゃない。あいつが女を捕まえたとして、二人きりにするのは危険だ。

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