六話*先の憂い

 ──その夜、セシエルはライカの寝室に顔を出す。

 寝る前には必ず「おやすみ」の言葉をかける事が日課になっているのだが、今夜はそれだけじゃない。

 ゆっくりと腰を落とし、顔を覗き込むセシエルにライカが目を向けると、その頭を優しく撫でた。いつもと少し違うセシエルに、ライカは怪訝な表情を浮かべる。

「友達を助けたんだってな」

「えっ!?」

 驚いて起き上がるライカをなだめるように、ベッドに戻した。

「ダグが来て、お前を怒らないでくれってさ」

「ダグが?」

 思いも寄らなかったのか、大きく目を見開く少年に、セシエルは微笑み頭を撫でる。

「友達を助けたい気持ちは、よく解った」

 お前は精一杯、考えて行動したんだな。

「うん」

 ライカは照れながらも、満面の笑みを浮かべて喜んだ。

「友達は大切にするんだぞ」

「もちろんだよ」

 そうしてライカを寝かしつけ、寝室をあとにする。

 閉じた扉を背に、仕事に行く前に仲直り出来て良かったとセシエルは安堵した。



 ──依頼はそれほど長引くこともなく、対象をあっさり捕まえることが出来た。

 とはいえ、捕まえてから引き渡すまで短くても十日ほどを要し、帰ってくる頃にはライカはダグラスを家に招いて遊ぶまでに仲良くなっていた。

 リビングでゲームを楽しむ二人の様子に、セシエルはどうにも嬉しくなった。とはいえ、さすがに疲れたと溜息を吐く。

 こんなにも疲れやすかっただろうか。老いは、確実に体力を削っていくのだと思い知らされた。動けなくなる前に、少しでもこいつに多くを残してやりたい。

 子供がいないせいか、セシエルは強く、それを感じていた。


 それから数年が経ち、ライカとダグラスはそれそれ違うハイスクールに通うようになってからも、友人関係を続けていた。

 ライカの成績はハイスクールに入ってもさしてふるわず、ダグラスが割と勉強が出来たことで、少しだが成績は上がった。

 体格のおかげか、いじめられる事もないようだ。

 気がつけば百八十センチのセシエルより十センチも高くなっていた。加えて、トレーニングをしている訳でもないのに、セシエルのふた回りは大きくなって妙な威圧感を放っている。

 いじめを通り越して、怖がられるくらいになってしまったのは予想外だ。それでも、温和な性格だからか、仲良くしてくれる奴はいて安心した。

 相変わらず指名手配犯の顔以外はなかなか覚えられず、仕事に同行させてはいても車から出ないようにと言いつけるしかなかった。

 とにかく、今は俺の仕事を見ているだけでいい。焦って手伝わせても、最悪な事になるだけだ。この仕事での失敗は、死を意味するのだから。



 ──慎重になったおかげで、ライカは大きな怪我もなく無事にハイスクールを卒業した。まあ、勉強は結局からっきしだったが、卒業出来たのならそれでいい。

 ライカは十八歳になったけれど、セシエルたちはジャックの家に居候を続けている。セシエルの仕事を考慮しての事だが、彼の厚意に感謝しかない。

 ダグラスは大学に入って寮生活をスタートさせたため、ライカとはなかなか会う機会がないらしい。まずは、大学生活に慣れる事が先決だ。

 ライカにしても、これから本格的にハンターとしての仕事を叩き込まなければならない。

 俺がまだ動けるあいだに──と考えていたのだが。

「全部の弾薬アモを覚えろとは言ってないんだぞ」

 また間違えて弾薬を詰めた弾倉マガジンを振りながら、しかめた顔をライカに向けた。

「解ってるんだけどさあ」

「顔を覚えるよりも簡単だろうに」

 頭を抱え、リビングのカーペットに座り込んでいるライカを見つめる。

 ブラウンの髪と青い瞳、彫りの深い顔立ち。何よりもガンガン育って、その図体はまるで熊のようだ。

 ハンターとしての面構えはいいと思うんだがな。テレビを見ているライカの後頭部に溜め息を吐く。

「ライカ」

「何?」

「西はどっちだ」

「え」

 ライカはしばらく部屋を見回し、窓の外を見やる。しばらくの沈黙のあと「……あっち?」

 怖々と答える。

「そっちは南だ」

「あれ?」

 頭をかくライカに、セシエルは呆れて顔を手で覆った。

 これはだめだ。顔つきはよくても、こいつはハンターにも傭兵にも向いてない。

 そもそも俺は、人に何かを教えるのが下手くそなんだ。こいつがこんな状態なのも、そのせいでもあるのかもしれない。

 それにしたって、さすがにこれは酷すぎる気がする。こいつに学んでもらうため、俺は常に声に出して行動していたんだぞ。

 それだけで覚えられる訳じゃないことは解っている。それにしたって、少しも覚えられないってのはどうなんだ。

 つくづく俺ってやつは──と思うたび、あいつベリルなら、しっかり教えられるんだろうかと考える。

 あいつの動向は時折、耳にする。仲間も多く、慕われてもいるようだ。なかには嫌われている事もあるようだが、そこには、あいつに対する誤解もあるのだろう。

 あいつも、俺のように、この仕事を天職だと考えているに違いない。

「ライカ、お前。本当にハンターになるつもりか」

 そう思うと、こいつの将来が不安で仕方が無い。

「当り前じゃん」

 しれっと答えるライカに眉間のしわを深くした。

 ハッキリと言うべきだろうか──お前は、ハンターには向いていない──と。



 たったそれだけのことが言えず、大して教える事も出来ずに日々が過ぎていく。



 あれからさらに月日が経ち、ライカは二十歳になっていた。相も変わらず、ライカにはハンターとしての素質がまるで見えてこない。

 この歳になってもだめなら諦めるしか無いのだが、いつも張り切って手伝いをしている姿を見ると諦めろとは言えなかった。

 あいつなら……。と何度も考えずにはいられない。

「ジャングルで迷ったとき、どうするんだお前は」

 セシエルは、未だに方角を掴めないライカに頭を抱える。方角が掴めなければ、地図も意味を成さない。

 地図が無くても脱出できるようにと、方角は重要だというのに、それすらも理解してもらえないのは辛い。

「えへへ」

 なんで照れ笑いする。だめだなこれは。開眼を期待するのは無理なのだろうか。

「次の依頼は?」

 話題を切り替えて嬉しそうに訪ねるライカに眉を寄せる。

「今度のは小ぶりだ」

 説明しながら肩を揉む。

 疲れがなかなか取れない。それもそのはず、俺はもう五十だ。引退してもいい歳になっている。いい加減、体が言うことを利かない時もある。

 俺がいなくなれば、ハンターを諦めてくれるだろうか──

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