五話*天使の苦悩
──ライカと一緒に住み始めてから二年ほどが経った。十二歳という年齢にしては背だけは高くなったと、セシエルは感慨深げにライカを見つめる。
今はリビングで二人、手もとを気にしつつテレビを流しながら銃の手入れ作業をしている。
生き抜くためにと武器や護身術を教えているが、ライカには致命的な問題があることが解った。
「出来たか?」
セシエルは言って、ソファの前にへたり込んでいるライカに手を伸ばす。
「……ん」
少年はやや不満げに、手の中にあるハンドガンを差し出した。ハンドガンの弾薬についてライカに教えている最中なのだ。
それを受け取ったセシエルは
「間違ってるぞ」
その言葉にライカはビクリと肩をふるわせた。
「前にも言ったろ。こいつにこの
若干の怒りを含ませたセシエルの声に、ライカは視線を外し頬を膨らませる。
「だって、前のはそれでいけたじゃん」
「前のとは銃が違うだろが」
「だって……」
ふてくされるライカに、セシエルは再び深い溜め息を吐いた。
そうだ、ライカは指名手配犯の顔を覚えるのは得意だが、そのほかについてはからっきしだ。学校にも通わせているが、成績は
今は学業に専念させた方がいいのは解っているため、勉強の合間に学ばせている。
ライカには窮屈な生活かもしれないと思いつつも、先の見通せないセシエルの焦りは募っていく。
「あのな。俺がいなくなったら、お前は一人で生きていかなきゃならな──」
「そんなこと言うなよ! クリアまでオレを置いてくのかよ!」
半ば叫ぶような声のあと、ライカは背中を丸めた。縮こまった背中から伝わる涙に、セシエルは震える手を強く握りしめる。
「泣いている場合じゃないんだ」
泣いている場合じゃない、そんな時間はお前にはない。これまでのことを思えば、本当は甘やかしてやりたい。
だが、俺はもう四十二歳だ──体力の衰えを実感している。この仕事をあと何年、続けられるのか解らない。
次の仕事で帰ってこられるかも解らない。今さら、他の仕事なんてのも無理だ。
「──っ」
セシエルは詰まる喉に一度、深く息を吸い込み立ち上がる。そして膝を折り、ライカの肩を掴んだ。
「いいか。辛くても直ぐに泣くな」
躊躇えば命取りになる。
「なんだよそれ。わかんないよ」
小さく絞り出した言葉にセシエルは目を閉じ、開いた目を険しくする。
「そうだな。俺だって色々と失敗はしてきた。それでも生きているのは、運が良かったんだろう」
「危なかったときって、あったの?」
唐突にしんみりと話し出した事にライカは興味が湧いた。
「何度もあるさ。あれは十五年前だったか、連続殺人犯を追いかけていたとき、弾切れでこっちが追い詰められてな。あれはやばかった」
「へえ!」
「あのときの教訓で、武器は二つ以上は持つようにしたのさ」
「他には?」
ようやく笑顔になったライカに安堵しながら、過去の失敗を語っていく。
これを自身の教訓として欲しいのだが、それは望めないのかもしれない。ライカの瞳は、ただ輝いているばかりだった。
──数日後
セシエルがリビングでいつ依頼がきてもいいようにと仕事の準備をしていれば、固定電話にかかってきたメロディにジャックが応える。
「おい」
呼ばれて怪訝に思いながら立ち上がり通話を代わる。それはライカが通っている学校の担任だった。セシエルの仕事上、連絡先はジャックの家にしている。
「はい。そうです。え? なんですって? わかりました。すぐに行きます」
セシエルは慌てるように通話を切るとジャケットを乱暴に羽織り玄関に向かう。
「ちょっと行ってくる」
「おう」
急ぎ足で出て行くセシエルに、ジャックは軽く見送りの声を掛けた。
それから数時間後──
車を路肩に駐めて、セシエルは小さく溜め息を吐き助手席のライカに視線を送る。
「どうしてあんな事をした」
クラスメイトを殴るなんて、どうかしている。
ライカは引き取ってからぐんぐんと成長し、今ではクラスいちの体格だ。そんな
実際、殴られた子は口の端が切れて青あざが出来たと担任が言っていた。
うつむいて何も答えないライカに、セシエルはまた溜め息を吐く。そして次の言葉を紡ぎかけたとき、ライカが顔を上げた。
「オ、オレが馬鹿だって」
「なに?」
「のろまで、頭が悪いって、馬鹿にされた」
「いつから」
「学校に行って一ヶ月くらいから」
ライカは確かにおっとりしていて飲み込みも遅い。しかし、馬鹿にされるほどじゃないはずだ。
どんなに時代が変わり、数は減ったとはいえ、未だに残っているものに根深いものを感じセシエルは眉を寄せた。
いじめている子供たちにも、明確な理由はないのだろう。ただ漠然とライカをいじめている。それはおそらく、親の普段の態度からくるものかもしれない。
それでも──
「暴力で解決しようとはするな」
友達がいなくなるぞ。
「なんでだよ。あいつらが悪いのに!」
「親に殴られたとき、言いたい事が言えたか?」
「──っ」
言葉に詰まるライカを一瞥し、フロントガラスから見える空を見やる。
「暴力っていうのは、そういう事なんだ」
お前は、いじめた奴らと同じことをしたんだ。
セシエルがつぶやくように発すると、ライカは膝に乗せた手を握りしめた。ずっと、肩をふるわせてうつむき、ただ黙っているだけだった。
──それから数日は気まずい空気が流れるなか、依頼が入ってしまった。こんな状態のままライカとしばらく会えないのは辛いが、どうすればいいのか解らないのだから仕方ない。
「あのっ」
セシエルが家の前で荷物の確認と積み込みをしているとき、少年がおずおずと声を掛けてきた。色白で、いかにも体を動かすのが得意じゃないタイプだ。
「おう。どうした坊主」
残りの荷物をジープに積み込みながら、怖がらせないようにと笑顔を見せる。
「えと、その。ラ、ライカのお父……さんは」
「ああ、俺だ。ライカに用かい? すまないが、あいつは今、ジャックと買い物に行っているんだ」
ライカと同い年のようだから、クラスメイトだろうか。随分とおどおどとしている。
「ち、違います」
そのあと、言い出しにくそうに目を泳がせる。
「名前は?」
「あ、ダグラス」
「そうか。ダグ。焦らなくていい」
落ち着くように言うと、少年は深呼吸をして体の震えは収まったようだ。
「あの、ライカがトモダチを殴って、学校に呼び出されたって」
「うん?」
事情を知っているらしい。やはりクラスメイトか。
「ああ、あれは──」
「ライカを怒らないで!」
半ば引きつったような声に、セシエルは言葉の続きを紡がず少年を見つめた。
「ライカが助けてくれなかったら、僕は、学校に行けなくなってた」
「そうなのか」
小柄で大人しく、内気な少年は、いつも図書室で本を読んでいた。少年は本が好きで、ただそれだけでいじめの対象になってしまった。
もちろん、きっかけはあったのだろう。
例えば、借りていた本を返しにいくのを見られたとか。そのとき、いじめっこの機嫌がたまたま悪かったとか。たったそれだけ──。
「あいつ、なんだって黙っていた」
苦い顔でつぶやいくと、少年は表情を険しくした。
「ラ、ライカは、僕の名誉を守ろうとしてくれたんだ」
いじめられてたなんて、誰にも言えなかった。
「そんな僕を見て、助けてくれたんだ」
ライカは泣きながら、あいつらを殴ってた。
「ごめんなさい。僕のせいで……。ライカを怒らないで」
声をうわずらせて涙をこぼす少年に、セシエルは立ち上がって頭を撫でる。
「ああ、もういいんだ。怒らない。よく話してくれたな」
お前は偉いよ。
優しく発すると少年はセシエルにしがみつき、わんわんと泣きじゃくった。
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