第十話*天使と悪魔

「まったく。なんだってこんなことになってんだ」

 セシエルは、ぶつくさと文句をたれながらハンドガンを握る。

「自分で招いておいてよくも言う」

 しれっと放たれた言葉にうぐぐと喉を詰まらせた。

「さすがの天使も女性には弱いとみえる」

「言うな」

 俺だって自分がここまで馬鹿だとは思わなかった。困っている人間がいると黙っていられない性分しょうぶんが行き過ぎただけだ。

 それにすぐさま「行き過ぎた……」と自分で復唱し、情けなさにがっくりとうなだれる。

「よくも信じ切っていた」

「お前の名前が悪い」

 顔をしかめて言い返すと、ベリルが怪訝な表情を浮かべた。

「悪魔のベリルなんて、どう考えても悪人につける名前だろうが」

 ベリルの行動によって名付けられたものだと理解すればなるほど、納得のいく名前ではある。

「私が名乗った訳ではない」

「それはそうだがよ」

 ばつが悪くて頭をかきつつ薄汚れた元店内を見渡した。

「しかし──。なんだってこんな所に隠れてんだ」

 まるで急遽、逃げ込んだって感じだ。

「準備していた隠れ家はあったのだがね」

 意味深なベリルの言葉にセシエルは片目を眇める。

「おい、もしかして……」

 何も言わず口角を吊り上げたベリルに目を丸くし、こみ上げてきた笑いを必死に押し殺す。

「お、お前な──。だから、悪魔なんて、呼ばれるんだ」

「悪かったね」

 どうしてそこまで笑われるのか解らず、難しい顔をするベリルに吹き出しそうになるのをこらえる。

「悪い悪い」

 いつでも無表情で悟りきった様子のこいつでも、こんな顔をするのか。

 未だ肩をふるわせるセシエルに、そうは思っていないだろうと眉間のしわを深くした。

 ──そろそろ二階の奴らも不審がるだろうと二人は足音を忍ばせて階段に向かう。扉のない入り口から再度、覗き込むと三人の男は苛ついているのか舌打ちをしていた。

 隠れ家ではなく、こんな廃ビルに逃げ込まなければならなかった事でも苛立っているのだろう。椅子を蹴り飛ばしたりもしている。

 なるほど、これなら多少の騒ぎは上の階も無視をする。



 ──廃ビルの三階は二階と同じく、元オフィスでデスクや椅子が乱雑に壁際に寄せられていた。明かりもなく、板張りされた窓の隙間から差し込む細い光で室内は薄暗い。

 ミハイロヴィチはデスクに腰を落とし、ブラウンの髪をかきあげて苦々しく宙を見つめた。

「くそ」

 逃げ込むはずの隠れ家を先に突き止めて潰しやがって……。

 ベリルという人間が、これほどまでに厄介だとは思わなかった。隠れ家はマレーシア以外にも用意しているが、あいつがいては国外に脱出すらもままならない。

 よしんば脱出できたとして、残った隠れ家が無事である保証はない。殺すこともできないなんて、八方ふさがりだ──

「うるさいぞ!」

 階下の物音に怒鳴り声をあげて舌打ちした。

「こんなはずではなかった」

 慎重にやってきたのに、どこで計画が狂ったんだ。ベリルに知られた時点で俺の負けは決まっていたというのか。

 階下から未だ響く音にぐしゃぐしゃと頭をかきむしる。

「うるさいと言ってるだ──っ!?」

 怒鳴りながら入り口に目を向けると、現れたベリルの姿に目を見開く。あたかもスローモーションの映像を見ているかのように、それはゆっくりと流れた。

 驚きと恐怖でミハイロヴィチが銃口を向ける前にハンドガンは手から弾かれ、男の仲間はそれを見て肩に掛けていたライフルを構えたが引鉄ひきがねが絞られる前にベリルは壁に隠れた。

「たはー。えげつないねえ」

 逃げられないってことを堂々と出て示しやがった。精神的な退路まで断つとは徹底している。

 とはいえ、やはりボスには護る人間が多い。ざっと数えてもミハイロヴィチを含めて八人はいる。

「ふざけやがって」

 ミハイロヴィチは、ここまで何事もなく上がってきたベリルに他の仲間はすでに倒されていると察し奥歯を噛みしめる。

 ベリルは仕掛ける前に四階に上がり、誰もいない事を確認していたので背後から撃たれる心配はない。

 しかし、ミハイロヴィチたちは弾薬をしこたま持ち込んでいるのか、ドラムバッグから弾倉マガジンが次々と補充される。

 セシエルは手持ちのマガジンが残り二つになり舌打ちした。視線を感じてベリルに目を向けたとき、マガジンが飛んできて受け取る。

 なんだよ。俺が使っている銃の弾薬まで持っていたのか。

「サンキュ」

 よく見れば、ベリルは弾薬を節約している。

 敵は当たらないようにデスクを盾にしているが、撃つために顔を出すとベリルの弾は確実にどこかをかすめている。

 少ないダメージながらも、あれだけの傷を連続で負えばタダではすまないだろう。とはいえ、それじゃあ時間がかかる。

 そこまで待つつもりは──あいつにはないな。

「頼む」

 そんな声が耳に届いたと同時にリボルバーが投げられ、それを掴み取ったセシエルは視線を合わせた。

 敵の攻撃が一瞬、止んだ刹那にセシエルは両手に構えたハンドガンを連射しベリルが飛び出す。突然の猛攻撃に、怯んだ敵の腕や肩にベリルの銃弾がめり込んでいく。

 男たちは呻き声をあげて武器を放り投げたり床に転がったりと次々に倒れていき、残ったミハイロヴィチの前にベリルは悠然と立った。

 蛇に睨まれたカエルよろしく、無表情に見下ろすベリルを呆然と眺める。

「悪魔め──」

 凄みにも欠けるが空威張りが通用するはずもない。悔しげに睨みつけ観念するかと思いきや、素早く向けた銃口はベリルにではなくセシエルにだった。

「──っんな!?」

 咄嗟のことで動けないセシエルの前にベリルが割り込み、右肩に銃弾を受ける。

「おい!?」

 セシエルはベリルの行動に驚きながら、二発目を放とうとしているミハイロヴィチにすかさず銃口を向けて引鉄を絞った。

「悪あがきしやがって」

 眉間を貫いた銃弾は男の息の根を止めた。



 ──全てが終わり廃ビルにCIAが数人、訪れて事後処理を始めた。それを横目に血に染まったベリルにセシエルは顔をしかめる。

「すまなかったな」

「問題ない」

 そう言ってセシエルの車の助手席に乗り込む。


「本当に不死なんだな」

 車を走らせてしばらく、セシエルがぼそりとつぶやいた。ミハイロヴィチを倒したあと、心配で傷口を確認したら綺麗さっぱり無くなっていた。

 そこでようやく、実感が持てたという訳だ。

「死なないってのはいいねえ」

「そう思うなら代わってほしいものだ」

 その言葉にセシエルは怪訝な表情を浮かべた。

 死なないんだから無理が出来るし俺たちの仕事には、うってつけじゃないか。そう考えていたが──

「死ねないのは勘弁したい」

 つぶやいたベリルに目を眇める。

「──死ねない?」

「当分、引退は出来そうにない」

 流れる景色を眺める横顔には薄い笑みが張り付いていた。それにセシエルは眉を寄せる。

 ベリルの言葉から、死をも厭わないほど走り続けていた事が伝わってきた。いや、むしろ傭兵として死ぬことを望んでいたような口振りにも感じられる。

 望んでいた死に方が出来ないことを残念がっている。何か、重大なことを抱え込んでいるのか。

 墓まで持っていくつもりだった秘密を──?

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