(8)二人でマンボウについて知るような、そんな未来を。
「なんか事件!?」
心配半分、好奇心半分の驚きを目に滲ませて、あっちゃんは俺たちを見ていた。
「愛莉にとっては事件かも……?」
「ほら、さっさと言いなよ」
今ここで、言えというのか。自分の家族もあっちゃんの家族も見ている前で? それはきつい。
皐月が可哀そうなものを見る目で俺を眺めて言った。
「ここで言わせるのも言われるのも公開処刑だよ。わたし経験あるからわかる……。圭兄、どっか別の場所で喋ってきなよ。邪魔しないから」
経験者を名乗る皐月のおかげで公開処刑は免れた。
「え、な、何……?」
「あっちゃんに話あるから、ちょっと向こう行こ」
リビングから廊下に出てきた俺をあっちゃんが戸惑いがちに見上げる。
別の場所と言われてもどこへ行けばいいのか見当がつかず、とりあえず廊下を進むと彼女がついて来る気配がした。
二階へ続く階段の前で足を止める。
「け、圭都くん?」
結局場所を決められなくて、あっちゃんを階段の段に座らせ、自分も隣に座った。二人で並ぶとちょっと狭い。
朝は涙目だった彼女は、今はもう普段通りだった。ただ不思議そうにすぐ横の俺の顔をのぞき込んでいる。
「斎藤さんと買い物、楽しかった?」
「うん。約束通りお洋服見に行って、ケーキもごちそうしてもらった。甘いもの食べたら元気になった」
「そっか。今朝は……ごめん。嫌な気持ちになっただろ」
「あー、あたしは大丈夫だよ。もう気にしてない。圭都くん悪くない。圭都くんだっていい気分じゃなかったでしょ」
「まあ、うん」
「平気。ああいうこと言う人、あたしたちのことをあんまりわかってない人が多いから。お兄ちゃんとかお姉ちゃんとかパパママとか圭都くんの家族とか……本当に仲良しの人は、年の差がどうとか、そんなこと言わない」
あっちゃんは気丈に笑う。俺は彼女の笑った顔が好きだけど、いつでも絶対に笑顔でいてほしいんじゃなくて、無理して笑っているのならそれはいらない。
「でも……圭都くんといるのが普通の幸せだけど。圭都くんも同じかどうかはわかんないのに、そういうの忘れてたよ。あたし、子どもだから……大人の恋愛なんかできなくて、いっぱいあたしに合わせてもらってるの、わかってるよ。ありがとう、ごめんなさい。あたしといると圭都くん、子守りみたいでつまらない?」
「そんなことないよ」
即答した。聞いてはいるのだろうけれど、あっちゃんは顔を俯けたままこちらを見ることはない。
ふと、何やってるんだろうと思った。プロポーズをするんだと意気込んでいたのに、ぐだぐだと会話した結果、また泣かせそうになっている。
「あっちゃん」
名前を呼んでそっと抱き寄せると、彼女の小さな体は抵抗することなく俺の腕の中におさまった。
背中に腕を回して体温が感じられるように隙間なくくっつく。俺の服の背中部分を小さな手がぎゅっと掴む感覚がした。鼻先に当たる彼女の長い髪から甘い香りがする。それだけのことに胸が高鳴る。
俺はそうやって確かめる。この子に恋をしていて、この子を愛していることを。
この女の子と恋人になると決めたとき、優しい気持ちは抱いていても、こんなに心臓が音を立てることはなかった。いつの間にか、彼女は妹みたいな愛しく可愛い女の子ではなくて、大好きで特別な女性になっている。
「俺もあっちゃんといるのが普通の幸せだよ」
「……うん」
「これからずっと一緒にいられたら、もっと幸せだと思う」
「圭都くん……?」
声の調子が普段と違うのを感じ取られたのか。あっちゃんが怪訝そうな声を出すけれど、かまう余裕がなくて抱きしめたまま息を吸う。
「俺は愛莉と結婚したい。何年かして俺も愛莉ももう少し大人になったら、俺と結婚してくれる?」
子どもなのは愛莉だけじゃない。俺だって、まだ今すぐに彼女を幸せにできるほどの大人じゃないから。
どれくらいの時間、返事を待っていたのかはわからない。圭都くん、と耳元で囁かれるまでに何秒かかったのか、数分経っていたのか。
少し体を話して顔を見ると、あっちゃんは目尻を優しく下げ、唇の両端を上げた。
「する。圭都くんと結婚」
そのときの蕾がほころぶような微笑みを、俺は一生忘れない。
*
あっちゃんが十六歳になった。
誕生日はちょうど日曜日で、彼女の家族は朝から夕方までの彼女の時間を俺に譲ってくれた。夜は家族でお祝いするらしい。
どちらもインドア派なこともあり、いつもなら家で映画を見たりゲームをしたりして時間を潰すことが多い。けれどその日はあっちゃんの希望で水族館に行くことになった。
休日のそこは、カップルもいれば家族連れ、友人同士らしきグループまで、様々な人でごった返していた。はぐれないように手を繋いで、館内をまわる。
「あれ? なんか急に人減った?」
「本当だ。たぶんイルカショーの時間だからみんなそっちに行ったんじゃない?」
足を踏み入れたマンボウがいる水槽のコーナーは、意外なことに誰もいない。みんなマンボウよりもイルカなんだ……。
「俺らもイルカ見に行く?」
「ううん、さっきペンギンショー見たからいい。それよりもマンボウ!」
あっちゃんが繋いでいた手をほどき、水槽に駆け寄った。
小花柄のワンピースの裾を揺らして、彼女は俺から離れていく。先日、斎藤さんに買ってもらったというその服は、とても似合っている。
俺たちが結婚の約束をした話はあっちゃんから斎藤さんに筒抜けらしく、後日会社で「反省の仕方が極端ね~、でもそのやり方、気に入った」と言われた。その勢いで我もいざ、と海外事業部の例のエリートイケメンにプロポーズ特攻しようとして、藤木さんに取り押さえられても、いた。
苦手なタイプの人ではあるけど、思い返せば最初から俺とあっちゃんの関係をフラットに見てくれていた、貴重な存在でもある気がする。
俺はそのワンピースに合いそうなカンカン帽を誕生日のプレゼントに贈った。
あっちゃんの頭に乗っていたその帽子が、走った勢いではらりと落ちる。
「あっ……」
「はい」
帽子を拾ってあっちゃんの頭に被せる。気恥しそうな笑みが浮かべられる。
「ありがとう……たかがマンボウというのに、子どもみたいにはしゃいでしまった……」
「いや、たかがマンボウされどマンボウ。子どもじゃなくてもはしゃぎたくなるだろ。俺もちょっとテンション上がってる」
「うそぉ」
「何が嘘だよ、ほんとだよ」
こんなデカい生き物、あまり見ないし。あっちゃんがマンボウの何にはしゃいでいるのか不明だけど、俺は大きな生物を見ると単純にわくわくしてしまう
ぼーっと泳ぐマンボウを、二人でじっと見つめる。隣であっちゃんが微かに動く気配がしたと思ったら、再び手を繋がれた。
「ねえ、圭都くん」
「うん?」
「マンボウ見てて楽しい?」
「え、うん。楽しいけど?」
「よかった……。あたしだけ楽しいんだったらやだなって思ってた」
気弱に微笑むあっちゃん。彼女は何かくだらないことをまだ気にしている。
「何の心配してるの」
「だってあのとき亜沙子ちゃんが……あたしだと子守りになるから一緒にお酒も飲めないしエッチも気を遣うって、言ってた……」
そういえば亜沙子がそんなことを言っていた。
そりゃあ、あっちゃんは未成年だし色々と気は遣っている。でもそれがあまりにも自分にとって当たり前のことだったから不満に感じたこともなくて、あのときは俺が不自由を強いられているようなことを言われて逆にびっくりした。
あっちゃんは眉間にしわを寄せて、客観的にはあまり可愛くない表情をしてみせた。俺的にはそれも可愛く見えるけど。
「早く大人になるから、待ってね。圭都くんが気を遣わなくていいように頑張るから、待っててね」
「……やだよ。ゆっくり大人になってよ」
小さく笑って、繋がった手を揺らす。結局やっぱり、あっちゃんを不安にさせている。婚約したことで魔法のように一瞬で彼女が安心するわけがなかった。
でも、もしかしたら以前の彼女なら、待ってねとすら言ってくれなくて、大人になるのが遅くてごめんねと俺の手を離して、どこか遠くへ行ってしまっていたのかもしれない。
「急がなくても、時間ならいっぱいあるよ。これからずっと一緒にいるんだから」
慌てて進む必要なんかない。そうだそうだと言うように、マンボウが俺たちの横をゆっくりと通り過ぎる。
「いつか一緒にお酒を飲もう。セックスも、しよ。でも今は、こうやって水族館に来たり、あっちゃんと色んな場所に行ったり遊んだり、それが楽しいから。頑張って急がなくても、いつかでいい」
彼女の成長に合わせて歩くことは窮屈でも何でもなくて、純粋に俺にとっての楽しみになっていると思う。だからどんなペースでもきっと待つことができる。
だけど。あっちゃんは少しだけ納得がいかないように頬を膨らませた。
「圭都くんは優しいね。ふん」
「なんで怒ってるの……」
「いつかでいいよって言ってくれるのは嬉しいけど。あたしだってちょっとは背伸びしたいときもあるんだもん」
圭都くんがどう思ってるかは関係なく、ときどきね。
そう言ってむくれるあっちゃんを見ていると、適度なペースが何なのかつかめなくなりそうだ。待つだけじゃなくて、たまには引っ張ったほうが良いのか。
「ちょっとだけ背伸びする?」
「え?」
今の今まで膨らんでいたほっぺを軽く撫でて、彼女の唇に自分のそれを触れ合わせた。
いつもならそこでやめるけれど、俺は柔らかい唇を食んでその奥に自分の舌を差し入れる。
短い時間、深いキスをする。相手が上手く息継ぎできていないのがダイレクトに伝わってくる。
顔を離すと、耳まで真っ赤にしたあっちゃんはその場で大きく息を吸って、吐いた。
背後から「マンボウだー」と子どもの声が聞こえて家族連れのお客さんが入ってくる。あっちゃんがそれを見て頬に手を当てたまま、スーッと俺から二歩離れた。
「今のは見られてないと思うしそんな離れなくても大丈夫だよ」
「人には見られてなくても……マンボウには、見られてた。恥ずかしい」
「ぶっ」
「笑わないでよお、だってほら、すっごい目大きいよ!?」
「でもマンボウって視力悪いんじゃなかったっけ……」
「そうなの? し、調べる」
あっちゃんはわたわたとスマホを取り出してマンボウの視力を検索し始めた。正直、俺もこのデカい魚の視力がいかほどのものかは興味がある。一緒になってスマホの画面をのぞき込む。
きっとこの子はキスの合間の息継ぎだって、あっという間に上手くできるようになってしまうのだろう。それは僅かな寂しさを俺の心に落とす。
そんな気持ちも含めて、俺は少しずつ彼女と一緒に年を取っていきたいのだ。
知らないことを一緒に知ったりしながら。例えばマンボウの視力について、とか。
*
第六章「如月圭都」終
『六色恋模様』完
六色恋模様 中村ゆい @omurice-suki
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