(7)ひとつの恋で、この友情が壊れると思う?

 学校を出て駅までの短い距離を歩き、電車に乗っても、美蘭は無言だった。

 後ろからついて行くわたしは、頭の中がまとまらなくてぐちゃぐちゃ。このまま彼女が話し出すのを待っていればいいのか、わたしがまず話さなければいけないのか。正解がわからない。

 地元の駅から家までの道のりをお互い無言で歩いていると、脳はどうしようと焦っているのに心には穏やかな灯も生じる。

 いつの間にか、お互いの部活や交友関係を優先してばらばらになりがちだったけれど。

 高校生になったばかりの頃、初めての電車通学にどきどきしながら二人でこうして帰ったりした。

 中学生の頃、夕方の通学路を自転車で走った。途中であそこの商店街にあるパン屋さんに寄り道するのがわたしたちのお気に入りだった。

 小学生の頃、住宅街の一角にあるあの公園で、和臣くんや兄たちが迎えに来るまでずっと遊んでた。


「……み、らん?」


 数歩前を歩いていた美蘭が、すたすたと公園の中に入っていく。慌ててついていくと、赤い夕焼け空の下、砂場で幼児たちが親に見守られて遊んでいた。わたしたちもたぶん、あれくらい幼いときからこの公園で遊んでいたんだと思う。もうあんまり覚えてないけど。

 美蘭は誰もいないブランコに座ると、わたしを見た。視線に促されて、隣のブランコに座る。

 もちろんどちらも、ブランコを漕ごうとはしない。ただ、黙り込んだまま座っているだけ。

 ……謝ろう。


「あの……」

「私、怒ってるから」

「うん。ごめんなさい」

「何が? 何に謝ってるの?」


 かたい声音でそう問われて言葉に詰まる。


「……美蘭の、好きな人……盗ったから」

「はあ? 謝ってほしいの、そこじゃないんだけど」


 キッと睨まれ、わたしは思わず身を固くした。え、ていうかじゃあわたし、何を謝れば……?

 うろたえたのが顔に出ていたのか、美蘭が声を荒げる。


「告白されたことも、その後のことも、私に隠すみたいにこそこそしてたこと! 何なのマジで!」


 ああ、確かにそれもそうだ。わたしが悪い。


「ごめん」

「なんで? 言ったら私との関係が終わると思った?」

「……今までみたいな仲良い友達関係は終わると思った」

「ふざけんな。隠されるほうが関係終わるわ。大体、隠しきれてないし」


 吐き捨てるように言われて、ずきんと胸の奥が痛む。

 ああ、間違えたんだ。薄々わかっていたことだけど。

 美蘭の好きな人に好かれてしまった時点で、どうあがいてもわたしと美蘭の関係は変わるしかなかったんだと思う。

 だったらわたしは彼女との関係が切れないよう、最善の選択をしなければいけなかった。なのに、最悪の選択をした。すべてをずるずると後回しにして美蘭から逃げるという。


「美蘭が、中学のときから大橋くんを見てるの、知ってたから。傷ついてほしくなかった。傷つく美蘭を見るのが嫌だったし、その原因がわたしなのも、怖かった」


 だって、初恋もまだなわたしにはとても眩しかったから。

 好きな人を追いかけて、進学した。大人しくて大声を出すのも苦手だったのに、応援するんだと笑ってチア部に入った。わたしが黙ってバスドラムを叩く横で、本当に一生懸命、試合中の応援席で声を張り上げていた。

 必死すぎて引く、と嘲笑する人もいるかもしれない。だけどこんなにまっすぐな恋の仕方も変化していく姿も、わたしは見たことがなかったから。

 彼女の恋が叶えばいいって思ってた。


「でも、美蘭のためにって思い過ぎて、美蘭の顔色をうかがうだけの人になってたみたい。美蘭がいるからって告白断ったら、友達じゃなくて俺を見て断れって怒られちゃった」


 馬鹿だよね、と笑おうとしたけれど、上手くいかなかった。二人のあいだに漂っているのは笑えるほど柔らかな雰囲気ではないし、わたしの心は落ち込んでいる。


「ごめんなさい、美蘭。友達じゃいられなくなるのが怖かった。友達でいるために、もっと早く話すべきだった。本当にごめんなさい」


 わたしのごめんなさいは、今度は正しいものに向けられた言葉だろうか。わからないけれど、とにかく美蘭は今にも泣きそうな目でこちらを見ていた。


「私のこと、そんなに信じてなかった?」

「え……」

「もう皐月なんか友達じゃないって言うと思った? そんなわけないでしょ。皐月は大事な幼なじみだもん。大橋くんが好きになっても皐月ならまあしょうがないやって諦めつくもん。付き合うって話してくれたら、良かったねおめでとうって言うよ。でも失恋したのはショックだからやけ食い付き合ってよって。それでお互い気にするのナシねって、言おうと思ってんだよ」

「美蘭……」

「なのにさあ、なんにも言ってくれないし! あんた本人じゃなくてチア部の子たちから情報が流れてくるの、どんだけしんどかったかわかってんの? 皐月の口から……聞きたかったよ……!」


 わめくように泣き始める美蘭を、わたしは半ば放心して見つめた。

 そっか。そういうこと、思ってくれてたんだ。

 こんなことでわたしたちは終わりになんかならないって思えなかったわたしってば、ほんとに。

 十七年も続いている友情を、どうして信じられなかったんだろう。


「ごめんね美蘭」


 今日何回目かのごめんは、彼女につられて涙声になってしまった。

 隣に手を伸ばすと、きつくその手を握られる。

 いつの間にか誰もいなくなった公園で夕闇の中、わたしたちは手を繋いだまま子どもみたいに泣いた。

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