(8)好きになりなよ

「あっ! お姉ちゃーん、皐月ちゃーん!」


 完全に夜になった公園を美蘭と一緒に出ると、家の方向から愛莉が走って来るのが見えた。後ろから圭にいも歩いてついてきている。


「いつまで経っても帰ってこないし連絡しても返信ないし、ママもおばさんも心配してるよ! どうしたのかな駅まで迎えに行ってみようかって今、圭都くんと……あっ……」


 喋っている途中でわたしも美蘭も泣き腫らした顔をしていることに気づいた愛莉が言葉を止める。

 けれどわたしたちの手が繋がれているのを見て、安心したように笑った。


「一緒に帰ろ。あたしもお姉ちゃんと手、繋ぐ! 圭都くんも!」

「え? 俺も?」


 愛莉に追いついた圭にいが戸惑いながらも愛莉に手をつかまれて、それを受け入れた。

 わたし、美蘭、愛莉、圭にいの順で手を繋いで並ぶと、子どもに戻ったみたいな感覚になった。同じことを思ったのか、美蘭が懐かしそうに微笑む。


「昔さあ、帰るの遅くなったらよく迎えに来てもらったよね。圭都くんとか楽くんとか、うちのお兄ちゃんとかにさ」

「あたしは?」


 愛莉の質問に圭にいが彼女と繋いでいる手を揺らす。


「あっちゃんは小さかったから家にいることのほうが多かっただろ。あ、でもたまに俺とかが迎えに行くと、皐月と美蘭が喧嘩してる横で完全無視して一人遊びしてたりしたなあ」

「えー? あんまり覚えてない」

「わたしは覚えてる。お兄が迎えに来て我に返ったときに、愛莉のことほったらかしにしてた! って思って慌てて見たら、ご機嫌でひとり砂のお城作ってたりするんだよ。ね、美蘭」

「うん。皐月との言い合いに夢中になって構ってあげられなくて悪かったなあって思っても、本人はけろっとしてんだもんね」


 思い出話をするわたしたちを、愛莉はにこにこと眺めている。


「な、なに?」

「なんか、お姉ちゃんたちが仲良いと嬉しい」

「皐月たちがぎくしゃくしてるとこっちまで気になって調子狂うもんなあ」

「よく言うよ。圭都くんと愛莉だって少し前までぎくしゃくしてたくせに……あ、そういえば」


 思い出したように美蘭がわたしを見る。


「実際のところ、どうなの?」

「え?」

「大橋くん。ほんとに噂通り付き合ってんの?」


 美蘭だけでなく愛莉と圭にいの視線までこっちに集まって、わたしは目を泳がせた。

 そういえば一週間だけ付き合うって話、明日までだ。


「えーと、付き合ってはいる……んだけどー……」

「けどって何よ。歯切れ悪いなあ」


 これ、どこから話せばいいんだろう。単純に両想いになって交際することになりました、じゃないから、説明が難しい。

 ……でも、美蘭には全部聞いてもらいたい。まずは大橋くんがわたしに怒ったところからか。

「ちょっと話が長くなるんだけど——」


 わたしは手を繋いで歩きながら、事の経緯を説明するため口を開いた。





 翌日の部活は野球部よりも吹奏楽部のほうが早く終わった。本当にこの2つの部活はしょっちゅう活動していて忙しいなあ、と改めて思う。

 下駄箱で大橋くんを待ち、二人で帰る。

 他愛ない会話をしながら駅まで歩いて電車に乗ったけれど、たぶんお互いに緊張していたと思う。

 大橋くんは、付き合うのが今日で終わると思っている。いつわたしが「一週間一緒にいて君のことはもう十分わかりました、ごめんなさい」と振ってくるのだろうと身構えている気がする。

 だけどわたしは別のことを言おうとして緊張していた。

 地元の駅を降りたところで、意を決して息を吸い込む。


「お、大橋くん」


 駅前の駐輪場から自身の自転車を引っ張ってきた彼は、わたしを見て何? というように首を傾げた。


「あの、一週間大橋くんのことちゃんと考えたんだけど」


 ああほら、そんな振られる覚悟決めた、みたいな顔しないでほしい。違う違う。


「このまま引き続き、付き合わない……?」


 彼は言われたことがわからないみたいで、目を丸くしてわたしを見た。


「いつまで?」

「あっ、期限延長とかじゃなくて! ずっとっていうか……」


 しどろもどろになりながら、わたしは昨日の夜の美蘭たちとの帰り道を思い出していた。





 付き合うまでの事の経緯を聞いた彼女たちの反応は三者三様だった。

 彼のことが元々好きな美蘭は「ちゃんと自分を見てくれっていう芯のある感じが好き」と評価した。愛莉は「付き合ってから振ってくれって、変なひともいるんだねー」とけらけら笑っていた。圭にいは……ちょっと引いてた。


「だってさ、俺のことだけ考えて俺を振ってくれるまで離さない……とか、その言い方はちょっと怖くない? 皐月、やばそうな男だったら遠慮せずお兄ちゃんに相談しなよ……?」

「やばそうって、その人のことが好きだった私までおかしいみたいになるからやめてよ」


 美蘭が顔をしかめて圭にいに抗議するものの、お兄のほうはいまいち納得していない様子。


「だってそういうこと言うヤツって束縛しそう……俺には理解できん……」


 もちろん大橋くんのすべてをわかっているわけじゃないけれど、彼のそういうところは美蘭にも似た頑固さ……みたいなものだと思う。自分を持っている人特有の、何か。だからそういうものを持っていないわたしは惹かれてしまったし、付き合ってから振ってほしいという要求にうなずいてしまったのだろう。


「圭にい、たぶん大丈夫。なんていうか……普通に優しいから」

「ほんとに?」

「ほんとに。それに一緒にいるとまあ、いい人だなあって、思うし」


 三人に少し意外そうな顔をされる。そんな注目しないでほしい。気恥ずかしくなるから。


「知ってみたら、好きになった?」


 美蘭に問われて、わたしは数秒考える。


「ううん、まだ。でもこのままいくと、好きになりそう」


 何回か大橋くんと一緒に帰ったりしたけど、二人でいるのはわりと嫌じゃない。映画を観に行ったのもけっこう楽しかったし……胸が苦しくなるような切ない気分になるときも、あった。ああいうのが積み重なったら「好き」になるのかもしれない。

 だったらわたしは大橋くんを好きになりかけている。


「皐月ちゃんと圭都くんのそういうとこ、少し似てるよね」


 愛莉が朗らかな口調でそう言った。


「わたしと圭にいが? そういうとこってどこ?」

「えっとね、簡単に好きって言わずに、慎重に答えを出すところ。今の段階では好きなんじゃなくて、好きになりそうって言うあたりとか」

「俺、そんなん言ってないけど」

「おんなじようなこと言ってたよ? 恋かはわかんないけど愛莉のこと特別に思ってるよーって」

「それ同じ……?」

「同じじゃないけど似てる。でも慎重なぶん正確だから、二人が口に出した言葉は本物だと思って信じられる」

「なるほどなあ。でも俺、恋云々は置いといて、好きかって訊かれたらあっちゃんのこと、好きだけどね」

「ほら、そういうとこが慎重! でも嬉しい~、あたしも好き!」


 愛莉と圭にいが二人だけの世界に入りかけたのを察した美蘭が、気まずそうにわたしを見た。まあ、美蘭は愛莉と手繋いでるから、気持ちはわからなくもない。かといって見られても困るんだけど。

 でも。愛莉たちを見ていると少し眩しい。あんなふうにはっきり好きと言えればいいけれど。


「皐月」

「うん?」

「ちゃんと好きになりなよ」

「え……大橋くん?」

「そう」


 目が合うと、背中を押されるように微笑まれた。もう、怒っていない。芽生えかけたわたしの感情を、応援してくれている。


「ありがと」

「いーえ。私は何も。もうああいう隠しごと、しないで」

「うん。……美蘭、好き」

「言う相手が違うでしょう」





 と、いうことがあったから、わたしは美蘭に遠慮したりしない。大橋くんを好きになるための選択をすることにした。つまり。


「大橋くんのことを少し知れて、好きになりかけてる。たぶん、もっと好きになれると思うし、なりたい。だからちゃんと付き合わない……?」

「……」

「……え、あの?」


 なんで反応なし? ぽかんと口開けたままフリーズしてる……?

 と思ったら、いきなり頭を下げて手をびしっと差し出してきた。


「よろしくおなしゃす!!!!!!」


 おあうぇああ! びっくりした! 突然大声を出さないでほしい! 周囲の通行人も何事かとこっち見てるんですけど!


「な、なになになに……!?」


 びびって後ずさると、彼は眉を八の字にしてちょっと顔を上げた。


「告白の返事も大声で、受けるときは握手……っていうのが」

「や、野球部のルール?」

「そう。嫌だったらごめん。もう他にはこういうルールないから」


 あったら泣く。目立つのが苦手なわたしにはほとほと理解不能な伝統である。


「もうないなら、いい……よろしくお願いします」


 小声で返事をしながら彼の手を握ると、大きな手が小さなわたしの手をぎゅっと包み込んだ。これは……どきどきする。

 そういえば、この一週間は彼もわたしに気を遣ってか、名目上は付き合っていたとはいえ、一緒にいただけで手を繋ぐことすらなかった。

 これからこういうお互いに触れるの、増えるかもしれない。

 そうしたらわたしは何度もどきどきして、あっという間に「好きになりそう」から「好き」になってしまうかもしれない。

 そうしたら、ちゃんと彼に言おう。美蘭に言ったみたいに。

 

 好きだよって。





第二章「如月皐月」終

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