(6)わたしはただの臆病者

 地元の駅から電車に乗って十五分。

 ショッピングモールの最上階にある映画館で、わたしと大橋くんはスクリーンの開場時刻を待っていた。

 男子と二人きりでお出かけすることって、兄を除いたらほとんどない。緊張する……というよりも、気まずい。話題がない。

 ふらーっとグッズショップを見てみると、エミリア姫のグッズコーナーに目が行く。愛莉に何か買ってあげようか。

 最近彼女がかっこいいを連呼しているキースというキャラクターをモチーフにしたマルチポーチがある。これがいいかな。


「そういえば、ほんとにエミリア姫でよかった?」


 隣で別作品のグッズコーナーを眺めていた大橋くんに話しかける。映画に行こうと誘われたときに見たい作品があるか尋ねられて、なんとなく私の希望が通ってしまったけれど、彼は彼で他に気になる作品があったかもしれない。

 例えば今彼がグッズを見ている、少年マンガの実写版とか。

 大橋くんは黒いキャップを被った頭を縦に動かしてうなずいた。


「如月さんと映画見れるなら、なんでも」


 そういうこと、あまり言われたことがないからむずがゆい。そういえば、自分の希望を優先してもらったことって意外と少ないかも。

 楽にいはわがままだし、圭にいはわたしの意見も聞いてくれるけどいつでも愛莉が最優先。愛莉はわたしが甘やかす立場だし、和臣くんや美蘭は意外と我が強いから譲ってくれない。

 でも何より、わたしが普段自分の意見を言わない。人に合わせるほうが楽。自分が変なことを言っていないか不安になる。私自身の気持ちを見せると、そんな余計なことを考えてしまうから。


「ねえ、エミリア姫が見たいってわたしが言ったとき、子どもっぽいとか思わなかった?」


 児童文学が原作の映画だ。どっちかというと大人よりも子どもに人気。本当は、見たい映画がこれって鼻で笑われていないか怖い。

 こんな些細なことをわたしはいつも気にしている。


「思わなかったけど……?」


 大橋くんは、きょとんとした表情でそう言った。


「ほんとに?」

「え、うん。ファンタジーが好きなのかなって思っただけ」

「そっか……。ところでその作品、好きなの?」


 ほっとしたついでに彼が持っているグッズを指差すと、彼はうなずいた。


「原作全巻持ってるし、実は実写版も少し気になってる」

「そうなんだ。わたしも読んでるよ。じゃあエミリア姫よりもそっちのほうが良かったんじゃない? 面白そうじゃん……って思ったけど、もうチケット買っちゃったんだった」


 わたしに合わせなくても彼の好きなものを見てくれて良かったんだ。別にわたしはそれでも楽しめる。

 突然エミリア姫は子どもっぽくないかとか、こっちの映画のほうが良かったんじゃないかとか、ころころと今さらなことを口にするわたしを不思議そうに見ていた大橋くんは、何かに納得したように頬を緩めた。


「なんか俺……ちょっとわかったかも」

「? 何が?」

「如月さんって、自分よりも誰かを優先する優しい人なんだ」


 告白されたときよりも、今日集合場所で顔を合わせたときよりも。今までで一番柔らかい表情と声でそう言われて、どきりと胸が高鳴った気がした。

 なんか一瞬、ちょっとだけ胸が苦しくなる感じ。どんな反応を返せばいいのかわからなくて、うつむいたままもごもごと口を開く。


「……優先するっていうか、自分の希望を通すのが苦手なだけ……だと思う」

「ああ……俺も言われてみればあんまり得意じゃないかも。だから如月さんに合わせるよって言っちゃった。……いっそ、両方見る?」

「え?」


 顔を上げると、彼は柔らかい表情のままわたしが持っているポーチと、彼が持っている少年マンガ原作の映画グッズを指差した。


「今日で、どっちもハシゴして見る? お互いの好きなもん見れてちょうどいいじゃん」

「あ……そうだね。見たいかも」


 あ、でも。


「時間とお金が大丈夫なら……」


 わたしは時間は大丈夫。まだ午前だし。お金も多分大丈夫だけど、一応確認しておこうか。財布を探してバッグの中をがさごそと漁っていると、「俺が払う」と言われた。


「い、いいの?」


 エミリア姫のチケット代も払ってもらった。さすがに彼に頼りすぎな気が。

 けれど、彼は首を横に振って笑った。


「長い時間、如月さんといられるんだったら嬉しいし、全然いい」


 本当に嬉しそうに言ってチケット売り場に行ってしまう大橋くんの後ろ姿を見つめる。

 自分の意見を通すのが苦手。彼は自分もそうかもと言ったけれど、たぶん違う。

 だって、大事なことはちゃんと言ってくれる。わたしと一緒にいることが嬉しいとか。そのうえでわたしのことも気遣ってくれる。

 本当に優しいのは、ああいう人なんだと思う。

 わたしは大事なことも言えなかったりする、ただの弱気な人間だ。







「映画デートかあ~、良い! 憧れるぅ!」


 彼氏いない歴=年齢の先輩が、わたしの話を聞いて妙にうきうきしている。

 公開告白の日に「よくやった!」とむせび泣いた、例の先輩である。

 部活の合間の休憩中、廊下で窓の外を眺めながら、わたしは打楽器のメンツ+なぜか混ざってきたフルート女子たちに、先日の大橋くんとのデートについて根掘り葉掘り聞かれ喋らされていた。

 みんなの生暖かい視線がつらい。開け放した窓から吹き込む生ぬるい風も、しんどい。


「二本も立て続けに見るとか、しょっぱなから仲良すぎか」

「いや、仲が良いとかそういうのでは……」

「んで、ランチもしてきたんでしょ?」

「まあ、はい」

「ぶっちゃけどうだった? いい人そう?」

「……ですねー」


 いい人なんだよなあ、最初にわたしが怒らせてしまったときは、ちょっと怖かったけど。

 小さくうなずくと、一週間限定で付き合っているという事情を知らない先輩たちに、冷やかすように笑われる。

 その中に、尖った声が急に割り込んできた。


「うざー」


 振り向くと、チア部の女子が数人立ち止まってこちらを見ていた。向こうも休憩中か何からしい。


「は? 何が?」


 対抗するように、先輩が彼女たちに向かって低い声音で問い返す。すると彼女たちは悪意のある視線をわたしに向けた。


「人のモン取っておいて、堂々とのろけ話ですかー?」

「美蘭のほうが前から大橋くんのこと好きだったのにね。美蘭かわいそう」


 ああ、そういうことか。場の空気が冷え込むのを肌で感じながら、口の中に溜まった唾を飲み込む。

 チア部の人たちも、美蘭の恋を応援していたんだ。だから大橋くんを横取りしたわたしに怒ってる。その怒りが理不尽なものかどうかはともかく、とにかく美蘭にはこれだけ味方がいる。

 わたしなんかがいなくても。

 勝手に違うことで傷ついているわたしを放置して、隣にいた打楽器の後輩が目をつりあげた。


「人のモンってなんですか。別に付き合ってたわけでもないんだから、大橋先輩は誰のものでもなかったですよ。いちゃもんつけないでくれます?」

「はあ? てか何、あんた一年? 先輩に対する口のききかた勉強しなおしてくれる?」

「あたし別にチア部じゃないんで、あなたたちは先輩でもなんでもないでーす」

「ちょっと! これだから吹部のヤツらは嫌いなんだよね、騒音鳴らしてる癖に偉そうに」

「あ? そっちこそかん高い声で嘘くさい笑顔はりつけて部活してんじゃん、キモ」


 今度は騒音と言われてカチンときたらしいフルート女子たちが言い返す。

 やばい。言い合いの内容がお互いの部活のディスり合いになってきた。

 と思ったら、あっという間に取っ組み合いになってしまう。

 どっちが先に手を出したのか一瞬でよくわからなかったけれど、気が付いたらフルートの同級生とチア部の一人が髪の毛を掴み合っていて、後輩も他のチア部と揉み合っている。


「やったれー!」


 チア部にムカついているのか単純に喧嘩の空気を楽しんでいるのか、先輩が手に持っていたバスドラムのマレットを振り上げるから、慌てて抑え込んだ。


「せせせ先輩、駄目です!」


 そのマレットは凶器だ。人を殴ったらまずいレベルの硬度と重量がある。

 どうしよう。この騒ぎ、わたしが事の発端? そう思うとげんなりもするし、自分がなんとかしなきゃとも思う。

 けど、こんな取っ組み合いの仲裁なんかしたことない。あわあわしながら先輩たちを押しとどめるのが限界だ。

 もうやだ。消えたい。目立ずにスッと透明人間になってこの場から逃げてしまいたい。

 穏やかに注目なんか浴びずに、ヘイトも買わずに毎日を過ごしたいだけなのに……


「何やってるの!」


 ふいに、鋭い怒鳴り声がわたしたちの耳に響いた。

 一瞬、しんと全員が黙り込む。


「……美蘭」


 居心地悪そうにつぶやくチア部の子の視線を辿ると、廊下の角からぶちょう面の美蘭がずかずかとこちらに歩いてくるところだった。

 大声を出す彼女はわたしにとってはとても珍しい。ぽかんと近づいてくるのを見ていると、目が合った。それからすぐに目をそらされて、その視線はチア部、吹奏楽部の揉み合っていたメンバー全員に向けられれる。

 それだけで状況を大体察したらしい美蘭は、チア部員たちに厳しい顔で言った。


「もう休憩終わってるんだけど。コーチもうちらも待ってるんだけど」

「あ……ごめん」

「早く戻って合流して。みんなに謝って」


 彼女たちはぱたぱたと慌てて走って行ってしまった。

 美蘭は今度は吹奏楽部のわたしたちに視線を向ける。


「ご迷惑おかけしました。すみません」

「あ、はい……」


 振り上げていたマレットを降ろした先輩が、毒気を抜かれたようにうなずく。

 最後に美蘭はわたしを見据えた。無意識に体が固まる。


「皐月」

「……は、はい」


 小さな声で返事をすると、左頬に痛みが走る。一拍遅れて手のひらで叩かれたのだと気付く。

 美蘭の顔を見ると、怒っていた。猛烈に。


「吹部、何時に部活終わる?」

「……え?」

「何時に終わるの?」

「……5時」

「わかった。待ってるから一緒に帰ろう」


 ……………は?

 めっちゃ怒っててビンタまでした相手に、一緒に帰ろうって。

 美蘭の考えていることが、わからない。

 だけど、もうこれ以上逃げてはいけない。後回しにしてもいけない。

 ちゃんと彼女と話し合うときが、来たんだと思う。

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