(3)あたしなりの進路希望
うちの中学校は、三年生になると公立高校の入試に向けた模試が毎月実施される。成績には入らないけれど、受験先を意識するための大事なテスト。
あたしは六月末にあったそのテストの結果と配られたばかりの進路希望調査票をしかめっ面で見比べる。
休み時間になった教室は、テストの点数と志望校の話題が飛び交っていた。
「愛莉ちゃん、テストどーだった?」
クラスの女子数人が、わざわざあたしの席にやって来て結果を訊いてくる。
隠すのもなんだかなと思い、自慢にも卑下にもならない絶妙な口調を狙って口を開いた。
「5教科の合計が420点」
「えっ、すご! 一教科平均で80点以上あるじゃん」
「やっぱ愛莉ちゃんは頭イイよね」
「高校どうするの? やっぱT高?」
志望校の話が出て、体がこわばる。けれどみんな気づかずに会話を続ける。
「ここらへんじゃ偏差値トップだもんねえ。模試で400点以上の人はみんなあそこ受けるよね」
「しかも女子の制服、超可愛くない? 私も行きたいなあ」
なんとなくあたしもT高を志望している前提で話が進み、あたしは曖昧な笑みを浮かべることしかできない。
*
「400以上じゃ駄目なんだよねえ……」
学校からの帰り道、あたしのつぶやきは空中にぽかりと浮かんですぐ消える。
教室に残って勉強していたら、帰るのが遅くなってしまった。夏だから空は暗くはないけれど、真っ赤な夕焼け空を通り越して夜の色に変わりかけている。
T高に行きたいなら、別にこれでいいのだ。みんなあたしの進路はそれでいいと思っている。パパもママも。お姉ちゃんだってT高だし。
でもあたしは正直、誰にも言ったことがないんだけどT高じゃなくて……。
「うーん。高望みしすぎかなあ」
「何の話?」
「わっ」
急に後ろから肩を叩かれて、あたしは思いっきり飛び上がる。背後からひょいとスーツ姿の圭都くんがあたしの顔をのぞき込んできた。
「びっくりした! 圭都くん仕事帰り?」
「うん、そう。今日残業なかったから早く帰ってきましたー。もう家すぐそこだけど一緒に帰ろっか」
「うん、帰る!」
偶然会えるのってちょっとなんか嬉しい。しかも相手は圭都くんだ。同じ学校に通っているわけでもないのに帰り道を一緒に歩けるのはとっても貴重。
無邪気を装いながら圭都くんの腕に抱きつき、見慣れた住宅街の道を歩く。「暑いって」と圭都くんがちょっと笑う。笑いながらもあたしの腕を振り払ったりはしない。だってあたしは猫だから。邪険に扱ってはいけない小動物なのだ。
「そういえば、何に悩んでるの?」
「へ?」
「なんか独りごと言ってただろう。高望みかなってさ」
「ああ……」
聞かれてたのか。まだ、家族にも友だちにも言っていないこと。
目線を上げると、あったかい色の大人な瞳があたしを優しく見ていた。
その柔らかさに背中を押された気がして、おずおずと口を開く。
「行きたい高校があるの」
「お、いいじゃん」
「でも誰にも言ってないの。みんなあたしがT高目指してるって思ってる」
「なんで言わないの?」
「それは……」
一瞬、言いよどむ。あたしが一番怖いこと。言えない理由。
「……ちょっとだけ模試の点数が足りない。愛莉には無理だよってみんなに笑われるのが、やだ」
やめときなよ。背伸びするなよ。あたしが一番怖い言葉。他人の言うことなんか知るかって思えるほど、あたしはたぶん強くない。
彼と歩く道は本当に短くて、いつの間にかお互いの家の前に着いていた。
「愛莉ならできるよ」
圭都くんが、あたしが恐れる言葉の逆をなぞるように言った。
彼は大事なことを言うときだけ、あたしをちゃんと「愛莉」と呼ぶ。優しく微笑まれて、目が離せない。
「点数、あとちょっとなんだろ? あっちゃんは賢いもん、いけるいける。まだ七月になったばっかだよ。めっちゃ時間あるでしょ」
あたしってば単純だ。彼がそう言うのなら、そんな気がしてきた。まだ七月。点数も上げられる。
「でも……私立だから学費高い」
「ちゃんと話したらおじさんもおばさんも応援してくれる。和臣だってそうしたんだろ」
そうだ。うちのお兄ちゃんだってパパとママにちゃんと相談して音楽の道に進んでる。あたしだって話聞いてもらえるよね。でも、でも。
「志望動機が不純でも大丈夫かな……」
「不純?」
「あの……ね。みんなをあっと驚かせたいだけなの。あたしはT高に行くんだろうなって思われてて予想通りの進路を選んだらつまんないでしょ? だからみんなが意外! って思うような学校に行きたくて……やっぱダメかな」
「ダメではないんじゃない? 進路選ぶ理由なんか人それぞれでしょう。ちなみにどこ?」
「
隣県の難関女子高の名前を挙げると、圭都くんはふふっと笑った。
「なんで笑うのっ? やっぱこんな理由じゃダメ!?」
「ううん。全然いいと思う。ただ、やっぱあっちゃんも和臣や美蘭の妹なんだなって思ってさ」
「……どういうこと?」
「なんつうか山田家ってさ、和臣は音楽の道を突き進んでるし、美蘭も周囲に流されないタイプじゃん。皐月も楽も俺も優柔不断なほうだから。ちょっと尊敬してるんだよね。あっちゃんも友達が行くからとかじゃなくてちゃんと自分なりの理由で高校選んでるんだなって。偉いな」
褒められてる……んだよね? 胡乱気なまなざしをつい向けてしまう。
「自分なりの理由っていうか……ふざけた理由だと思うんだけど」
「どこが? 家から近いからとか偏差値がちょうどいいからとか、いろんな理由があるけどあっちゃんのもそれと同じ立派な理由だよ。名前がかっこいいっていう自分の感性に従ったんじゃん」
「やっぱりバカにしてる?」
「してない」
家の前で言い合っていると、あたしの家の玄関のドアが開いた。
「ちょっと愛莉? 帰ってきたのが窓から見えたと思ったらいつまで経っても中に入ってこないんだから、もう……。圭都くんもおかえり」
「ママ、ごめんなさーい」
「おばさん、ただいま。あっちゃん引きとめて長話しちゃってすみません」
圭都くんが頭を下げると、ママはころっと頬を緩める。
「いいのよ、全然。愛莉の相手してくれてありがとうね」
「いえ。あ、おばさん。あっちゃんが話あるみたいなんで聞いてあげてくれますか?」
「えっ」
ぎょっとして隣を見ると、ほらと背中に圭都くんの手が触れた。
「さっさと話しちゃいなよ。きっと大丈夫だから」
とん、と優しく強く背中を押し出される。最後に振り向くと、彼はひらひらと手を振って彼自身の家の門へ入っていった。
「愛莉、話って? 何かあったの……?」
心配そうな表情になったママに駆け寄る。
「ううん。あのね、進路の話。あたし行きたい高校があるの」
大丈夫。あたしが頑張ればぜーんぶうまくいく。
圭都くんが背中を押してくれたんだから、間違いない。
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