第115話 未来と過去と今


 結局、この琥珀色のローブは変えないことにした。

 老婆の言った通り、そもそも俺は最初から変えるつもりなんてなかったのかもしれない。


「それでこそメテオノールくんじゃわい」


 そして、その日はここに泊まらせてもらうことになり、俺たちは老婆の魔道具店に一泊させてもらった。この店の奥にはお風呂なども完備されているらしく、夕飯もご馳走になってしまった。具材たっぷりのシチューは、ミルクの風味がまろやかで、作り方のレシピとかも勉強させてもらった。


 夕食後には、ティナさんが俺の未来を予知してくれたりもして、賑やかな時間を過ごすことができた。


 そして翌日。俺たちは宿泊のお礼に店の手伝いを行った。

 陳列されている商品の整理とかだ。その間、店を訪れた客の姿はなく、老婆が言うにはいつもこんな感じとのことだった。


「この店には隠蔽魔法がかけておるからの」


「それって、商売としてダメなんじゃない?」


「コーネリスちゃん、そういう事もあるのじゃよ」


「そういうものなんだ……」とコーネリスが店にかけられている隠蔽魔法の謎を解き明かそうともしていた。



 そんな風に十分に休憩させてもらった後、俺たちはこの店を離れることにした。

 街からも離れ、またひと気のない場所で、これからのことを考えつつ、追っ手を回避していこうと決めたのだ。


「メテオノールくんたちはもう行くのかの……? 今日はもう陽も傾き始めておるから、もう一日ぐらい泊まっていけばよいのに……。ティナちゃんはここに残ってくれるんじゃから」


「あの、メテオノールさん。色々ありがとうございました」


 ティナさんが頭を下げてお礼を言ってくれる。

 話し合った結果、彼女はここに残ることになったのだ。


「私、やっぱりお荷物になると思うんです。だからここに残って、これからは離れた所から、メテオノールさんたちの力になりたいと思います」


「いい子じゃの……」


 本当に優しい子だ。


「わしらも、ティナちゃんがいてくれると、新しい孫ができたみたいで嬉しいわい」


「ティナ様。この老いぼれに何かできることがあれば、なんでも言いつけ下さい」


「あ、ありがとうございます、お二人とも……」


 巫女だったティナさん。

 彼女は、あの『星灯りの塔』にいた時から、ずっと寂しそうな顔をしているように見えた。けれど、ここに残ると決めてからそれを老婆たちが大歓迎したことで、照れているようにも見えた。


 彼女の巫女の力は、これからのことを予知する力。

 彼女はその力を使うことを、少し後ろめたく思っている様子だった。

 あの塔にいた時も、そうだった。人を助ける力と同時に、誰かを不幸にする力だと思っていたらしい。


 そして、その強力な力を、これからは俺たちのために使ってくれると言ってくれている。

 それは嬉しいことだ。昨日の夜も、彼女は俺の未来のことを予知してくれたもんな。


 けれど、彼女には自分自身のためにこそ、その力を使って欲しいとも思った。


 だって彼女の力は、彼女自身こそを幸せにする事ができる力だと思うから。


「では、それでも余裕があった時は、皆さんの未来を予知しますね。一緒に幸せになりたいです」


「その時は、ぜひお願いします」


 俺たちは握手をし、別れの挨拶を済ませた。


 その際に……俺は自分の腕にある『眷属の腕輪』を見た。



 ……本当を言えば、だ。



 俺はこの店から、一人で発とうと思っていた。これからは一人で行動をしようと思っていたのだ。

 いつもそばにいてくれるコーネリスやテトラたちとも、別行動をしようと思っていた。今に思ったことではない。それは……前々から思っていたことでもある。


 俺は今、指名手配をされている。

 そして追ってくる者たちの狙いは『聖女殺し』の俺一人。

 だから、コーネリスやメモリーネ、ジブリール、ヒリス、シムルグ、ソフィアさん。そしてテトラとも別行動をして、色々落ち着くまでみんなとは離れておこうとも思った。


 その方が、みんなにも苦労をさせずに済むのだ。


『ご主人様、それだけは絶対に言わないでね』


『私たちはご主人様の眷属です。なにより、ご主人様とお母様が離れることになったら、それこそ意味がありません。だからだめです』


 コーネリスとヒリスが訴えるように腕輪を通して、伝えてくれる。


 けれどーー。


 もしも。

 もしもどうしようもなくなった時、俺は多分迷わない。


 ……それがすぐそばまで迫っているということを、この時の俺は気づいていたのかもしれない。



 * * * * * *



「メテオノールさん……心配です」


「大丈夫じゃ。あの子なら、上手くやってくれるはずじゃ」



 * * * * * * *



「じゃあ、行くか」


 老婆と手を触り合って、魔道具店を後にする。その後、俺は賑やかな街の中を移動し、街の外へと向かって歩き始めた。


 時刻は夕方。

 夕方の街は、昼間とは違った雰囲気が漂っている。

 賑やかだが、どこか寂しさを感じさせる雰囲気。その中を暖かな風が吹いていく。


 そして、ふと、昔のことを思い出した。


 あれは、まだおばあちゃんが生きていた時のこと。

 おばあちゃんはごく稀にだが、一人で夕日を見ている時があったのだ。


 手には、ガラスのコップ。その中には、琥珀色の飲み物。あの時のおばあちゃんは「お茶だよ」と言っていたが、今なら分かる。あれはお酒だ。水で割って飲むやつだ。俺は飲んだことはないけれど、そういうお酒があるのは知っている。


 そのコップを片手に、遠くの方が黒ずんでいく茜色の空を見上げているおばあちゃんの姿は、どこか寂しさを感じさせた。


 ……『さあ、冷えるから中に入ろうか』……


 ドアの隙間からその様子をこっそり見ていた俺の存在に気づくと、おばあちゃんはそう言って笑い、優しく俺の頭を撫でてくれたのを覚えている。


 あの時。おばあちゃんは何を考えていたのだろう。

 夕焼け空を見ながら、一人、何を思っていたのだろう。



『見て、ご主人様。あれはお酒よ! あんたたち知らないでしょ? お酒っていうのはね、飲むだけじゃなくて お肉とかを煮込む時に使うと柔らかくなるのよ』


『『さすがコーネリスのあねご、女子力高い』』


『ふふんっ』


 と、腕輪の中にいるコーネリスたちが、屋台で売られているお酒を見て、会話に花を咲かせていた。


 透明な瓶になみなみと詰められている、琥珀色の飲み物。お酒だ。

 あれを見たから、俺は昔のことを思い出してしまったのだ。


「でも、琥珀色……か。買うか」


『『『ご主人様、琥珀色好きだもんね』』』


「琥珀色はテトラの色だから」


「て、テオ。琥珀色だからって、なんでも買うことないんだよ?」


 テトラが戸惑い気味に苦笑いしていた。腕輪の中からそれが伝わってくる。


 そして俺はそれを買いに行こうとして……気づいてしまった。


「……あれは、琥珀色じゃないな」


『そうかしら? 私には琥珀色に見えるわよ』


「夕日が反射しているからそう見えるのかもしれない」


 ……いや。例えそうだとしても、あれは琥珀色じゃない。


「あれは樹液色だ。琥珀色はもっと綺麗な色だ。テトラの瞳を見れば、一目瞭然だもんな


『『『ち、違いが分からない……』』』


 みんなが首を傾げている。あれはどちらかといえば、樹液のような色だ。


「俺が好きなのは、テトラの透き通ったようで、深みのある色のやつだ」


『て、テオ……っ。わ、分かったからっ。少し待って……っ。腕輪にいると、テオの気持ちがいっぱい伝わってきて、苦しいよ……っ」


 ……そうか。また伝わってしまったか。


 腕輪の中にいるテトラが、もじもじしていた。

 俺たちは腕輪で繋がっている。だから、この気持ちも伝わってしまう。

 言わなくても伝わる関係でいれるのは嬉しいけれど、だからこそ、ちゃんと伝えたいと思ったのだ。


 その時、


『ねえ……テオ、平気? 何か、焦ってない?』


 ふいにテトラが、そう聞いてきた。

 その声はどこか心配そうだった。


『なんか今のテオ、少し焦ってる気がする。魔道具の店を出た時からそうだった。何か気になることがある……?』


「気になることというか……」


 俺は歯切れの悪い言葉で、テトラにそう返していた。


 ……テトラの言う通り、自分が少し焦っている感覚があると言うのは、自分でも感じていた。

 胸騒ぎのようなものを感じる。


「なんだろうな、この感覚は……」


『『『なんだろう……』』』


 俺は首を傾げる。みんなも首を傾げているようだった。


『そうだ、ご主人様、昨日、巫女様から何か知らされてなかった?』


『夕食の後、予知してもらってましたね』


『『未来が不安定になってるって言ってた気がする!』』


 俺も、昨夜ティナさんが予知してくれた言葉を思い出す。



 ーーメテオノールさん、あなたの未来が不安定になっています。どうか……お気をつけてーー




 やがて、俺は街の外に出ていた。

 目の前に広がる平原は広大で、空に浮かんでいる夕日も半分ほど沈んでいるようだった。


 その空を見ていると、なんだか不安なものを感じてしまった。


「!」


 ……その時だった。

 気づいた時には、俺のそばにローブを目深かに被った人物がいた。


 それに気づいた時、すでに相手は動いていて、俺は瞬時に一歩後ろに下がる。


 刹那。

 先程まで俺がいた足元の地面に、一筋の刀傷が刻まれていた。


 相手が、手に持っていた剣を振り下ろしていたのだ。


『ご主人様!』


「だ、だめだ! 今は出るな!」


 俺は赤い腕輪を咄嗟に手で押さえ、『眷属の腕輪』が嵌められている自分の左腕を服の下に隠した。


「!?」


 ……そして、俺は見てしまった。


 突然現れた人物。その右腕には、光を失った黒く濁っている腕輪が、一つだけ嵌められていたのだった。

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