第109話 自由になりたい

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 その老いた神父アブドラは、上空に現れた存在を目にした瞬間、怒鳴っていた。


「あ”、あいつは、メテオノール””””ッッッ!」


 塔の上から半分が消し飛んでいる。誰がやったのか、考えるまでもない。灰色の怪鳥シムルグの背に乗っているあいつだ。あのメテオノールがやったのだ。


 あの忌々しい小僧が、この『星灯りの塔』にやってきて、破壊したのだ。


 なぜだ、と思った。


 メテオノールは今頃あの村で、教会の者たちに捕らえられる手筈になっていたはずだ。


 それなのに……なぜここにいる。


 あの村には、自分の手の者を配置してあったはずだ。


 あの村にはレイシアという若造の神官も向かっていたはずだ。


 それなのに、なぜだ。


 なぜ、メテオノールがここにいる。


「ぐ、ぐぞ……!」


 神父は瓦礫に潰されながら、血走った目で空にいるメテオノールを睨んだ。


 そんなメテオノールはというと、上から半分が消し飛んだ塔にいる巫女ティナへと目を向けていた。


 その状態で、彼の腕に嵌められている赤い腕輪が光る。その瞬間、真っ赤な髪をした少女が彼の傍に姿を見せていた。

 彼の眷属コーネリスだ。


「ご主人様。私たちを裏切ったこの巫女に、審判を下すべきだわ」


「……っ」


 ティナは悲痛な面持ちで、唇をキュッと引き結んだ。


『聖女殺し』メテオノール。

 彼は今、怒っている。


「ねえ、巫女さま。あれは一体どういうことかしら」


 シムルグの背の上。

 メテオノールの前に出た赤髪の少女コーネリスが、腕を組んでティナを見下した。


「確かにあなたの予知通り、あの村には魔族たちが襲撃する寸前だったわ。でもね、あそこには教会関係者もいたのよ。それがどういうことか、巫女さまも分かっているわよね」


「……っ」


 その怒りは、もっともだった。


 彼は『聖女殺し』の罪を負わされて、教会に追われている。

 そんな彼に自分はお願いして、今回、村へと向かわせた。その村には、教会の手の者が待ち受けていた。


 これは裏切りだ。


「何か言い訳はあるかしら?」


「ありません……」


 ティナは首を横に振った。


 言い訳なんてできるわけがない。


「巫女さまは、村に教会関係者がいることを知っていたのかしら?」


「知りませんでした……」


「知らないで済むと思っているのかしら?」


「思っておりません……」


「でしょうね。私たちも許すつもりはないわ。だからご主人様。この小娘には罰が必要よ」


 赤髪の少女は、メテオノールの腕を抱きしめ、判断を仰いだ。


「……確かに罰は必要だ」


「……っ」


 メテオノールが呟いた。


 優しげな彼からの言葉に、ティナは心臓が痛んだ。


 彼にそう言わせてしまったのは自分だ。ティナが悪いのだ。ティナが予知なんてしなければ、そもそも彼は教会の追手に居場所が知られることもなかったのだ。


「ごめんなさい……」


 そんなテオを前にして、ティナは謝ることしかできなかった。




(哀れな娘よ)


 瓦礫に押し潰されている神父は、自分のことを棚に上げてティナのことを哀れに思いながら歪な笑みを浮かべていた。



 しかし、違うのだ。

 そもそもが、この神父のせいなのだ。この神父のせいで、ティナの人生も狂ってしまっているのである。


 かつて、まだティナが幼かった頃。

 ティナはこの『星灯りの塔』にはおらず、のどかで平和で、自由な場所で父と母と三人で暮らしていた。幸せで、何にも縛られることのない普通の人生だった。


 ……けれど、その父と母はもういない。


 殺されたのだ。


 誰が殺したのか。


 この神父が殺したのだ。


『お父さんやめて!』


『黙れ。ティナは教会に献上するのだ』


 ティナの父と母。つまりこの神父は、自分の実の娘とその夫、ティナの両親を殺害した。

 そして、自分の実の孫で、『巫女』としての才能があるティナを、教会に差し出した。その功績で、教会の中でも上の地位に着くことができたのだ。


 それからのティナは、ずっとこの『星灯りの塔』で、一人で過ごすことになった。教会に有益な情報を予知させるために。無理矢理いくつかの制約を課せられながら。外に出ることも叶わず、ずっと。一人で。孤独に。


 ……ティナは怖かった。今の状況も。未来のことも。


 未来を予知できるだけに、その恐怖は絶望だ。


 これから死ぬまでずっと、ここで予知し続けなければいけないのかと思うと、希望なんて抱けるはずもない。全部諦めるしかなかった。


 ティナには予知以外にはなんの力もないのだから。自分で何かを変えることはできない。その予知も、断片的で、結果だけしか見ることのできない。



(哀れな娘よ)



 神父はそんな実の孫のことを哀れに思う。


 ーー『私は……どこか遠くに行きたい。……自由になりたい』ーー


 両親がいなくなった日、ティナは一人泣きながらそう願っていた。


 ティナの人生は、縛られている。この神父のせいで。


 ……そんな願いなど、叶うはずもないのに。

 彼女は、この神父の成り上がりのための、駒でしかないのだ。


(くくく……ひゃひゃひゃひゃ……!)


 狂っていた。


 天罰を受ける前から、この神父はどこか狂っていた。


 その犠牲者は、ティナ。



 * * * * * * * *



 そんなティナに、『聖女殺し』メテオノールからの審判が下ろうとしていた。


「巫女ティナさん」


「はい……」


 星灯の塔の上空にて。

 シムルグの背から見下ろすメテオノールが、判決を下した。


「……とりあえずティナさんには俺たちと一緒に来てもらう」


「…………あっ」


「!?」


 その瞬間、ティナの体が翡翠色の光に包まれていた。

 そして、気づけば彼のそば、つまりシムルグの背へと転移していた。


「ど、どうして……」


「これで、もう遠くから予知される心配はないはずだ。教会関係のところにいられると、またいつ予知されるか分かったものじゃないからな……」


 メテオノールが理由を告げた。それはどこか、不慣れなことを言うような声音だった。


「それと……」


「あっ……」


 刹那。

 バチバチとティナの体に月光色の光が走った。その瞬間、ティナの中で何かが変わったのが分かった。


(制約が……打ち消されています)


 ティナを縛っていた教会の制約。

 それが、消滅しており、なくなっていたのだ。


「……な!?」


 瓦礫の下敷きになっている神父が、信じられないものを見るような目をする。

 今この時より、ティナは神父の呪縛から解き放たれたのだった。


 そして、そのままシムルグが羽ばたいた。

 翼が上下し、ふわりと浮かび上がる。


 自由な空へと。

 巫女ティナを乗せて。


『自由になりたい』という、ティナの諦めるしかなかった願い。それが、叶った瞬間だった。


「……消しておきましょう」


「賛成よ」


 そして、去り際。

 紫色の腕輪が光ったと思ったら、ヒリスの魔力の操作によって『星灯りの塔』が押し潰されるように全壊した。

 さらに、コーネリスが炎で全てを燃やし、瓦礫すらも焼き尽くされていた。



「チクショおおおおおおおお”””””!!!!」



 その神父の声は、誰にも届くことはなくーー。



 この日に起きた出来事により、後日、『聖女殺し』に星灯の塔の破壊やその他諸々の新たな罪も追加され、『聖女殺し』は大罪人として世界中にその名を轟かせるのだった。


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