第108話 廃人になっていた神父
**********************
巫女という存在がいる。その巫女は、未来を予知することができる。
その力によって、多くの人々の未来を、より良い方向へと導けるのが巫女の力だ。それは、人々を救う聖女に通じるものがあるかもしれない。
しかし、両者は似て非なるものだ。聖女は直接動くことができるが、巫女は間接的にしかその事象において対処することができない。巫女にできることは、未来を知ること。ただそれだけなのだから。
「私は、遠くから見通すことしかできません……」
『星灯りの塔』にて、窓の外に目を向けながら、巫女ティナは、ぽつりとこぼした。
誰もいない空しい部屋にその声が溶けてゆく。
彼女はいつもここで未来を見ているだけだった。安全な場所で、誰かがやってくれるのを待っているだけだった。
たとえ、未来を予知することができたとしても、ただそれだけなのだ。
誰かにやってもらうしか方法がない。
今回もそうだ。
魔族たちの村の襲撃。
それを防ぐために、メテオノールという少年に力を貸してもらうことにした。
ーー否。
力を貸してもらうなんていう、ものではない……。半ば、強制的に、彼の優しさに甘えてしまったのだ。
自分には彼にそんなことを願える立場ではないということも、分かっている。
なぜなら、自分は……。
「久しぶりだな。我が孫、ティナよ」
「……ッ!?」
寒気がした。
振り返る。
「お主の大好きなじいじが来てやったぞ」
「アブドラ教……」
急にこの場に現れたのは、神官服を着た初老の神父だった。
おぞましいその存在に、ティナは思わず吐くかと思った。
「ティナ。久しぶりに見るその顔を、もっとよく見せておくれ?」
「い、いやぁ……!」
体が震え、一歩下がっていた。初老の神父はそれに構わず、こちらに近づいてくる。だが、その挙動は不審であった。
心の底から、見苦しいと思った。
抜け落ちた髪も。全て欠けてしまった歯も。不気味な色をしている青白い肌も。左右の目が別の方向を向いている、血走った眼球も。
「ティナ、捕まえたぁ……」
「い、いや……ッ! 触らないで……ッ!」
その体温がない骨のような手で触られた瞬間、全身に鳥肌が立った。
全てが嫌悪の対象だった。
「……どうしてそんな化け物を見る顔をしているんだい? ワシはティナたんの大好きなじいじじゃないか」
「き、気持ち、悪い……ッ」
赤ちゃん言葉で告げられるその言葉が、生理的に受け付けなかった。
なにより、
「あなたは……許されないことをしました……! メテオノールさんに……!」
「ッ! メテオノールだとぉぉ!!!」
その名を聞いた瞬間、激昂する神父。
全てが変わってしまったあの事件。
もう、数ヶ月前のことになる。
とある村で一人の聖女が発見され、すぐに死んでしまい、『聖女殺し』が指名手配されることになってしまったあの事件。
『聖女テトラ』が死んでしまった事件。
その元凶が、この神父だった。
あの時に村を訪れた、あの神父。それがこのアブドラ教という人物だった。
そして。
その人物は、巫女ティナの血縁でもあった。
母方の祖父だったのだ。
巫女ティナは、幼少の頃からこの祖父のことを苦手としていた。以前からその兆候はあったのだ。そしてその嫌悪感は、先日彼がしでかした愚行によって、覆ることのないものになっていた。それが『聖女殺し』の一件である。
あの時、メテオノールたちを捕らえようとして、返り討ちに合い、神罰を受けたこの神父は、一時期廃人のようになっていた。
しかし、時を経て回復し、再び活動できるまでになっていたらしい。そして今、こうして自分の前に現れた。
まるで骸骨にただ皮膚を貼り付けただけのようなその醜い姿は、自業自得だ。神罰で受けた、自らの醜い行いの結果だ。ただただおぞましく、醜いと思った。
「何をしにきたのですかッ!」
ティナは神父の手を払いながら、拒絶の声をあげた。
「あなたのせいで大変なことになったッ! メテオノールさん、テトラさん。あなたは何も反省していない!」
「反省? 大変なことになった? ……くくく……!」
「何がおかしいのですッ!」
神父は笑っていた。狂ったように笑っていた。
「ティナも予知をして、教会に手を貸しているじゃないか」
「い……ッ!?」
ティナの全身に痛みが走る。この痛みは、ティナ自身に刻まれている痛み。
「まあ、制約に縛られているんじゃ、仕方がないんだがの」
ティナには制約が課されていた。発言の一部の自由。その他諸々。
「そして、今回メテオノールをあの村へと導いた。あの村には、魔族達がいる。魔族も奴を捕らえようと企てている」
「……ッ」
それは知っている。魔族のことを知っていて、ティナはテオに頼んだ。そして知っていて、テオもティナの依頼を受けた。
「そして、あの村にはおじいちゃんの部下が待機している」
「なぜ……!?」
それは知らなかった。
「決まっているじゃないか。もちろん、魔族達から村人を救うため……ではなく、メテオノール!! 奴を捉えるためだ!!!」
「!」
……嫌な予感がした。
この神父は魔族があの村を襲撃することを知っていたようだった。
だったら、この神父の部下達が、魔族達からあの村を救うのが本来のあるべき姿だ。
けれど、ティナの予知ではテオがあの村に行かないと、村は壊滅し、村人達は皆殺しにされる未来が展開されている。
つまり、この神父の言う通り、神父の狙いはメテオノール。
彼が行かなければ、村は壊滅し。
彼が行けば、村は守られるが、教会の者たちと出くわすことになる。
「予知を使えるのが、自分だけとは思うなよ。ワシの占術を見くびるな……!」
「……!」
神父はニヤニヤと不気味な笑みを浮かべていた。
「そして、私の占術では、メテオノールが血みどろになって倒れている未来が見えるわい……! ケケケケケケ……!」
「……ッ」
神父は狂ったように笑っていた。ティナは拳を握り、歯を食いしばり、今にも殴りかかろうとしていた。
「来るなら来るがいい。返り討ちにしてやろう」
そのティナを神父は余裕の様子で、迎え撃とうとする。
悔しかった。
ティナは自分のことが嫌になりそうだった。
ーーふと、昔の記憶が蘇る。
倒れている自分の父と母。首と胴体が離れた父と母。
手に刃物を持ち、動かなくなっていくその父と母を無表情で見下す、この神父。
そして、動けなくて、震えているだけの昔の自分。
ティナは無力だ。
この神父の手によって、両親を殺された時も、無力だった。
今回のことも、そうだ。
今回、魔族たちが村を襲撃すること。それを知っていたとしても、ティナには何もできなかった。
そこに来てくれたのが、『聖女殺し』と呼ばれているテオだった。
だから自分は彼に『魔族たちから村を救ってくれ』とお願いした。
本来、そんなお願いができる立場ではないのに、それを願った。そして彼は了承してくれた。
これから先、聖女殺しの居場所を予知しないという条件で。それが彼との約束だった。
……本当ならティナは、無条件でその要求を飲むつもりだった。しかし、教会の制約があるため、それは難しかった。ティナは予知したくないことまで、予知しないといけない制約を受けているのだ。
それでも彼女は、どうにかしようと手は施していた。
聖女殺しの居場所の予知を、なんとかはぐらかしていたりした。
彼女は彼女で、メテオノールの味方になりたかった。
でも……。
逆のことをしてしまった。
自分は裏切り者だ。
自分のせいで、周りを不幸にしてしまっている。
「辛いだろう? だったら、これからもワシの言う通りにするだけでいいのだ」
「……いやだ」
「なんだと……?」
「もう、……いやだ!!」
そう言った瞬間、ティナの全身に痛みが走る。これは制約を破った痛み。けれど、ティナは止まらない。
もう、いやだ。
この神父の存在も。
それに立ち向かえなかった自分自身も。
「……ッッ!!!」
「なんだ、その目は!!!」
ティナは拳を強く握って、立ち向かう。自分は、裏切り者だ。だったら、せめてこの神父をこの手で叩き潰して、そしてテオに詫びて、死のう。
「……ッッ!!!」
そう思い動き出した瞬間、ティナの全身に痛みが走った。手足がちぎれそうな痛み。これも制約を破った痛みだ。
「ケケケケケケ!!! 制約が発動しておるわぁ!」
「そんなの関係ない……! やぁぁぁぁ……”””…!!!」
「そんなノロマな攻撃効くものか!!!! この出来損ないのクソ孫がぁ!!! 躾直してやるわ!!!」
……その時だった。
「!」
バチバチという音が聞こえてきたと思ったら、『星灯の塔』の半分が消し飛んでいた。その衝撃で、暴風が巻き起こる。ガラス窓が木っ端微塵に割れていた。
崩れた壁が崩壊し、ティナを打ちのめそうとしていた神父が瓦礫の下敷きになっていた。
「ぐガァ……!」
視界が開けた空の上。
そこにあったのは、灰色の体をした巨大な怪鳥、シムルグの姿だった。
その背には、彼が乗っていた。
「依頼は終わった。だから俺たちは戻ってきた……。でも、あなたは裏切った」
「メテオノールさん……」
『聖女殺し』メテオノールが、巫女ティナの依頼を終えて、戻ってきたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます