第92話 消えるソフィアとお役目の終わり


 ソフィアは自分のお役目が決まった日、希望の光を見た。


 本当は逃げ出したかった。泣きたかった。

 そんな暗く不安だった心に、その光景はどこまでも焼きついた。


 そして今もーー。




『ご主人様! 崖の底までは、私が飛んで行くの!』


 テオの指輪が光り、純白の聖獣が姿を現す。

 腕輪に宿っていた、テオの従魔シムルグだ。ここから崖の底までは、シムルグが連れて行ってくれるという。


「シムルグ、ありがとう」


『うん!』


 まずはテオがシムルグの背に乗る。その後、ソフィアの手を引いて、自分の後ろに乗せてくれる。


「落ちると危ないから、しっかり掴まっていてください」


「はい」


 ソフィアはテオの背中に捕まった。

 テオはそれを確認すると、シムルグに合図を出し、羽ばたきとともに天へと飛翔する。



『キイイイイィィィィィィィィイイイイイイイイイ……ッッ!!!』



 響き渡る咆哮。

 そのシムルグに釣られて、宙を浮かぶ魔物たちが狙ってくるものの、炎に焼かれて消滅していた。


「サンダーフレイム!!」


 コーネリスだ。

 同じく空に浮くことができるコーネリスが、邪魔な敵を全て排除してくれる。


「ほら、あんたたちも行くわよ。落っこちたら、そのまま捨てていくからね」


「「ぎゃ〜〜。つんでれー」」


「……本当に落とすわよ!?」


 えへへ、と笑うメモリーネとジブリール。

 嬉しいようだ。コーネリスと言葉を交わせることが。


 そのコーネリスがメモリーネとジブリールを両手に抱えて、空に浮かび上がる。

 メモリーネとジブリールはコーネリスの両腕に抱えられたまま、空中でバズーカを構えていた。


「ちゃんと、よく狙うのよ。そしてご主人様をサポートするの。いい?」


「「あいあいさ〜!」」


 賑やかだと思った。


 そして、この光景全ては、ソフィアのお役目を手伝おうというものなのだ。


 ……そう思った時、ソフィアの中に生まれる気持ちは、迷惑をかけてしまっているというものだった。

 ソフィアは誰かに何かをしてもらった時、まずそう思う。物心ついた時から、そうだったから、誰かに何かをしてもらうということに慣れていない。


 それでも、今はその気持ちと同じぐらいに、嬉しさを感じていた。


(不思議な感じです……)


 心の中が締め付けられるような。それが心地よいもののような。


 抱きしめているテオの背中が、暖かくて、泣きそうになる。


 そんな気持ちを抱いていると、あっという間に崖の底へと辿り着いた。

 崖の底の瘴気は今までよりももっと酷いもので、着地できる地面が見えないほどだった。


 しかし、バチっという音がすることもなく、その地面が月光の光で満たされる。

 辺り一面の闇が払われて、瘴気が打ち消されていっていた。


(もう、テオ様の魔力に乱れはありません……)


 その光景を見て、ソフィアは感心するばかりだった。


 この間まで不規則だったテオの魔力。ついさっきまでも、微かに乱れていた魔力。

 それが今は一切の乱れもない。美しい波長で放たれている。コーネリスが出てきた瞬間から、今までよりももっと。

 テオは完全に、魔力をコントロールできるようになっていたのだ。


「ソフィアさんのおかげです」


 ソフィアが感心していると、テオがそう言ってくれた。


「ソフィアさんが矯正してくれたから、こうして魔力も使えるようになりました」


「テオ様……」


 そう言ったテオの後ろ姿は、とても静かなものだった。



『ご主人様、着地するの!』


 そして、シムルグがついに崖の底へと降り立った。


 崖の底は、森のような場所になっていた。

 真っ黒く染め上げられた木々が立ち並んでいる。あちこちに魔物が沸く気配がある。

 瘴気が収まらない限り、この魔物たちは絶え間なく沸き続けるだろう。


「周りの魔物は、全部私たちが排除するわ」


「メモもやる!」


「ジルもぉ〜」


「私もお力にならせていただきます」


 残る紫色の眷属、ヒリスも姿を現して、おのおの行動を開始し、敵の排除を行なっていく。


 テオの腕にある琥珀色の腕輪も光りを帯びていたものの、テオはその腕輪をそっと撫でていた。そして掠れるほどの小さな声で願うように言っていた。「テトラはそばにいてくれ」と。

 琥珀色の腕輪は優しく光り、そのテオの言葉に頷いているように見えた。


 そして、テオが周りを見回して、動き出す。


「瘴気の原因の場所は……あっちか」


「はい……。そこに小さな泉があるはずです」


 テオとソフィアはそこに向かって歩き始める。


 道中、特に言葉はなかった。


 聞こえるのは、自分とテオの足音だけ。


 周りでは魔物の呻き声が聞こえるはずなのに、それすらも聞こえない。


 一歩一歩。


 自分とテオの足音を耳にして、二人で歩いていく。


 やがて、目の前に目的地が見えてきた。


 泉がある場所だった。

 瘴気に覆われ、空気まで濁っている崖の底で、その泉の場所だけは色が残っていた。


 泉には橋が架けられている。それが真ん中ほどまで伸びている。

 その場所に、黒い淀みが発生している。あれが瘴気の原因になっている全ての元凶の場所である。


 それを浄化するために、ソフィアはお役目を果たさないといけない。


「ここです」


 ソフィアがそう言うと、テオが立ち止まった。

 そして横にずれて、ソフィアがその横を通り、橋へと近づいていく。


『ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!』


「!」


 それをさせるものかと、地面から瘴気を纏った巨大な魚のような魔物が目の前に立ち塞がった。


 しかし、直後、バチっという音がすることもなく、天から月光色の魔力を降り注ぎ、行手を遮るその敵は静かに消滅していた。


「…………」


「テオ様……」


 テオは、静かに泉を見ていた。


「……今からここで、ソフィアさんはお役目をするんですよね」


「はい」


「自分の魔力を全て変換して、この瘴気を全て浄化して、そして……お役目を果たして死んでしまうのですよね」


「はい」


 テオは確認するように聞いてきた。

 ソフィアは一つ一つ丁寧に頷いた。


 それが聖女のすべきことで、聖女にしかできないことだ。

 瘴気を滅するために、その命を捧げ、人々のためになる。

 当然死ぬことになる。それが代々聖女になった者たちがこなしてきたお役目だ。

 聖女になって死んでいった者は数知れず。


 別に珍しいことでもない。

 聖女というのは、全てそうだったのだから。


 ここで、ソフィアがいなくなっても代わりはいる。

 ソフィアの人生はここで終わりだ。そのために今日まで生きてきたのだ。


「……もしも、嫌なら、逃げてしまえばいい」


「……テオ様」


 ポツリと呟かれた言葉。

 テオは自嘲するようにそう言って、ソフィアに逃げ道を用意してくれた。


「……俺はソフィアさんに逃げてほしい……。……わがままだけど、死んでほしくない」


「…………っ」


 ……ひどい人だと思った。


 同時に、優しい人だと思った。


 それはテオ自身のことを言っていることでもあるのだ。

 自分はテトラと一緒にいたかったから、聖女に選ばれたテトラとあの夜逃げた。

 そしてテトラが死んだ。それでも今はテトラと一緒にいることができている。


 だから、逃げてしまえと、テオは言ってくれているのだ。


 その言葉を聞いて、ソフィアは泣きそうになった。

 言った本人であるテオが、ひどく寂しそうな顔をしていたからだ。


 それでも……だ。


 ソフィアはゆっくりと首を振る。


 そして、テオの顔をまっすぐ見て言った。


「……私は聖女になったことで、名声を得ました。行く先々で、聖女様と呼ばれて、色々よくしていただけました。聖女だったことで、争いも納めることができました。聖女だったことで得をしたこともあります。聖女だったから、テオ様とも出会うことができました」


 もしも、聖女でなかったのなら、手に入れられなかったものばかりだ。


 聖女に選ばれてからの時間は、ソフィアにとって決して不幸な時間ではなかった。


「だからそれに報いるためにも、私は聖女としてのお役目を全うしないといけません。投げ出すことも、放棄することも、許されないことなのです」


 ……もちろん、引け目もあった。


 自分が聖女に選ばれて、お役目を全うしようとしたことで、おじい様が心配してくれた。さっきもここに駆けつけてくれた。

 それが嬉しかった。だけど、あの時のおじい様は自分と共に本当に死ぬつもりだった。


 そしてテオもだ。

 テオも自分を心配してくれて、ここまで来てくれたのだ。


「私はわがままかもしれません……」


 その時、テオが首を振り、優しく微笑んでくれた。


「ソフィアさんは、もっとわがままになってもいいと思う」


「…………っ」


 良くも、悪くも。


 テオが、どちらの意味でそう言ったのかは分からない。


 けれど、ソフィアはテオの言葉にじんわりとしたもの感じ、そうしてテオと二人で微笑み合うのだった。



 * * * * * 



 ……ソフィアはあの日、希望を見た。


 自分のお役目が決まった日の夜、一人で暗い部屋で不安を感じていると、聖女のリンクを通じてその光景が目の前に広がった。


 一人の少年が、聖女になったばかりの少女を連れて、教会から逃げ出したという出来事だった。


 通称、『聖女殺しの禁断の夜』。


 遠く離れた所で起きたその光景は、自分の心に深く焼きついた。


(そのテオ様が、今、見ていてくれています)



 ソフィアは、テオに別れを告げて、泉に架けられている橋を一歩一歩歩き出す。


 その手には、一つの石が持たれていた。虹色の中に、蒼い輝きがある石だった。


 あれは『聖魔石』。

 己のスキルが形になったもので、命と同等に重いものだ。


 お役目を果たすために、ソフィアは泉の中心でそれを天に掲げ、浄化の呪文を唱え始めた。


 その口から紡がれる言葉とともに、青い光がソフィアの体を包み込んでいく。


 泉に溜まっている水が浄化され、眩く発光するとともに、魔法陣が浮かび上がった。


「淀みの元凶たる瘴気よ、世界を染め上げし邪悪なマナよ、聖女ソフィアのお役目においてそれを打ち払い、この命を持って、正常なる平和があらんことをーー」



 そして解き放たれる。ソフィアの魔力が。



 世界が青色に染まっていく。


 黒く閉ざされていた瘴気が、微塵も残らずに打ち消されていく。



(テオ様……ありがとうございました)



 そしてソフィアの『聖魔石』が溶ける頃には、瘴気の浄化と共にソフィアの命も失われていた。その結果、世界は少しだけ平和になったのだった。



 * * * * *



 その後ーー。


「…………」


 泉の橋の中央に、テオの姿があり。


 かすかに残っていたソフィアの『聖魔石』の代償に、自らのスキルを発動させるのだった。


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