第93話 お祈りは眷属に


 青い空が広がっている。

 雲ひとつないその空には虹もかかっており、今まで見た中で一番綺麗な空だと思った。


 瘴気はすでに晴れていて、一切の淀みもなく。

 空気も澄んでいて、青い光の残滓が降り注いでいる。


 そんな、幻想的な風景だった。


「私……生きてます」


 その光景の真ん中、桟橋が架けられている泉の中心で、ソフィアさんが小さく呟いた。


 日が差し込み、彼女の白い肌と金色の髪をいっそうに輝かせている。


「う……」


「あっ、ソフィアちゃん」


 よろめく彼女に駆け寄って、テトラがその体を支えた。

 張り詰めていた緊張が解けて、疲れも出たのだろう。


「ゆっくり休もうか」


 時間だけはある。もう、お役目は終わったのだから。



 その後、日陰になっている岩陰に移動すると、テトラがソフィアさんに付き添って、看病を始めてくれた。

 起きた時にお腹も減っているだろうと言うことで、俺は食事の準備と野営の準備を始め、焚き火の準備も始めた。


「ご主人様、お手伝いすることありますか?」


「なんでもします!」


「ありがとう。二人とも。でも、二人も頑張ってくれたから、ゆっくりしていなさい」


「「はぁ〜い!」」


 そばに来てくれたメモリーネとジブリールの頭を撫でて、俺はバッグから木の実を取り出すと二人に渡した。


「あ、これ、酸っぱいやつだー! メモ、これ好き〜」


「ジルもぉ〜」


「コーネリスもおいで」


「……べ、別に私は、木の実なんて欲しくないんだけど、とっ、特別に食べてあげるわ」


「「コーネリスお姉ちゃん、気まずそう……」」


「……そんなことないわよ!?」


 髪をいじりながら、もじもじするコーネリス。

 そんなコーネリスのことを、メモリーネとジブリールが気にするように言った。


 ……どうも、コーネリスは気まずいと思っているみたいだった。

 一度、ヒリスと交代で眷属のチェンジをしたものの、その後、すぐに出てきたことを、少し恥ずかしがっているみたいだった。


「コーネリスお姉ちゃん、すぐに出てきたもんね!」


「『少しの間お別れよ』……って言って、また会えるまでもっと時間がかかると思ってたのに、ほんとすぐだったもんね!」


「……う、うるさいわね。出てこれたんだからいいでしょ!?」


「「ぎゃ〜、怒った〜」」


 キャッキャ、とはしゃぎながら逃げるメモリーネとジブリール。

 コーネリスが顔を赤くしてそれを追いかけて、でも、その表情は穏やかだった。


 本当に、すぐに戻ってきてくれてよかったと思う。

 コーネリスが出てきてくれた時、どれだけ心強かったことか。


「ヒリスもありがとう。ヒリスのおかげで、ここまで来れた」


「ふふっ。もったいないお言葉です」


 そばにいるヒリスが柔らかい笑みを浮かべてくれる。


 紫色の髪をした、大人っぽい雰囲気のヒリス。

 今回、出てきてもらったのが急だったから、まだ彼女とはゆっくり話せていない。

 だから、せっかくだということで、俺は野営の準備をしながら、ヒリスと色々話すことにした。


 すでに、ヒリスとは腕輪の交換は済ませている。

 ヒリスの腕には俺の『降臨の腕輪』があり、俺の腕にはヒリスの『眷属の腕輪』が嵌っている。


 色は紫色。

 縁の部分が、銀色になっている。

 その腕輪には、紫色の宝石が埋まっている。


 そして、ヒリスとは大事な話もすることにした。


「ヒリスは何かしてほしいことはないかな」


「してほしいこと……ですか?」


「うん。出てくれたからには、俺にできることがあれば何か言ってほしい」


 眷属には、それぞれやりたいこともあるし、望みもある。

 だから、何かあったら言ってほしいし、俺にできることがあればしたかった。


「……ご主人様は優しいです。では、お言葉に甘えて、ご主人様を私の膝の上に座らせて、後ろから抱きしめながら、ご主人様の頭を撫でたいです」


「て〜〜〜お〜〜〜」


「ち、ちがっーー」


 少し離れたところにいるテトラが、ジトっとした目を向けていた。


「……ねえ、テオくん。ヒリスちゃんは大人っぽい眷属だよね。年上好きのテオくんの好きそうな子で、そんな子が、テオのことをお膝に乗せて、後ろから抱きしめて、バブバブさせてくれるって言ってるね。……ねえ、テオ……テオはやっぱり大人っぽい子が好きなの……?」


「ち、違うんだ、テトラ……」


「ふふっ」


 テトラが笑っていた。


 そしてヒリスは自分の膝に俺を座らせると、後ろから抱きしめながら頭を撫で始めてくれた。


 よしよし、と、よしよし、と。

 落ち着いた手つきで、丁寧に撫でてくれる。


「「あ〜〜〜、ご主人様がお姉さんの眷属にデレデレしてる〜〜〜」」


「まったく、もうっ。うちのご主人様は、困った男の子なんだからっ」


 戻ってきたメモリーネとジブリールがからかってきて、コーネリスも同じような顔をしていた。


「「「お母様、これは、いいのでしょうか?」」」


「うーん……。眷属だから、セーフです」


「「「セーフでした!」」」


「ふふっ」


 ヒリスは俺の頭を撫でながら、可笑しそうに笑っていた。


 そんな賑やかな中で、俺は野営の準備を続けるのだった。



 * * * *



 やがて、夜になった。

 今日の月は、青みがかった三日月だった。


 夜になっても青い光は空に残っていて、今日の夜は明るい夜だった。

 そんな静寂に包まれる夜の中で、ソフィアさんが目を覚ました。


「テオ様……起きました」


「ソフィアさん」


 みんなはすでに眠っている。地面に布を引いて、身を寄せ合って横になっている。


 そんな彼女たちを起こさないように、起き上がったソフィアさんは、焚き火のそばに座っていた俺のそばへと静かに歩いてきてくれた。

 彼女が歩くたびに巫女服の袖の部分が揺れて、彼女はゆっくりと俺の隣へと腰を下ろす。


「具合はどうですか……?」


「はい。とってもいいです」


「それならよかった。あと、もしよかった、これをどうぞ」


「……ありがとうございます」


 俺は焚き火にかけてあった鍋からスープを掬い、それを器に注ぐと、ソフィアさんに渡した。

 彼女は両手で受け取ってくれて、息を吹きかけて冷ますと、ゆっくりとスープを一口啜ってくれた。


「あっ……美味しいです」


 頬を赤く染めて、ぽつりと呟く。


 漏れる吐息が、夜空に溶けていた。


「温かいです……。そして、私……生きてます……」


「うん」


「テオ様が、生き返らせてくれたのですよね」


 俺は鍋をかき混ぜると、ソフィアさんのお椀におかわりの分のスープをよそった。


 そして、とりあえずソフィアさんのお役目が終わった後のことの話をした。


 消えていくソフィアさんの聖魔石を代償に、俺のスキルを発動したこと。


 ソフィアさんは、俺のスキルを詳しくは知らない。

 眷属のことは知っているし、なんとなくは察しているみたいだけど、これまで彼女から俺のスキルのことについて詳しく聞くことはなかった。

 だから、そのことについて説明する。


「そう……だったのですね。だから、私は、消えずにここにいられています」


 ソフィアさんは静かに頷いて、相槌を打ってくれた。


「テオ様……ありがとうございました」


「いえ……勝手なことをしてしまったかもしれません」


「そんなことないです……。私も、消えるのは怖かったです……。死なずに済むのなら、そうしたかったですから……。だから、助けてくださったテオ様には感謝をしております。テオ様のおかげで死なずにすみました」


 バチリと焚き火の枝が、大きく音を立てて弾けた。


 ……でも、別に俺は、感謝されるようなことは何もしていない。

 最後の瞬間にスキルを発動したとはいえ、結局、消えるソフィアさんを見ていただけだ。


 聖女殺し。

 ……その呼び方はぴったりだと思った。


「……私、これからどうしたら良いのでしょう」


 ソフィアさんがそう呟いたのは、ある程度、スープを飲み終わった頃だった。


「今まで聖女としてお役目を果たすことだけが、目的でしたので……。その目的がなくなってしまった今……、教会に戻るべきなのでしょうか……。それとも戻らない方がいいのでしょうか……」


 その彼女の顔は、不安そうな顔で、戸惑っている顔のようにも見えた。


 彼女はお役目の時に言っていた。

 自分は、お役目を果たしたいと。


 聖女だったから、得られたものがある、と。

 その恩を返すためにも、お役目をしたい、と。


 そして、ソフィアさんはそのお役目を果たした。


 その命と引き換えに。


 だったら……もう十分だと思う。


「……これからは好きに生きていいと思う。やりたいことがあるなら、やればいい。でも、できれば教会には戻ってほしくない。教会は、敵だから」


「ふふっ」


 ソフィアさんが、くすりと小さく微笑んだ。


「でも、好きに生きていい……ですか。それは、なんというか、困ってしまいます……」


 ソフィアさんがどこか困ったような顔もしていた。


 まるで、自由を持て余すような、そんな感じで、戸惑っているようにも見えた。


「……テオ様なら好きに生きていいと言われたら、どうしますか?」


「俺は……どうだろう。……多分、何もできないかもしれない。俺も何をすればいいか、分からないから……。それでも、テトラたちがやりたいことを、俺もやりたいと思う」


 改めて考えてみると、俺もいまいちピンとこなかった。

 でも、今の俺にはテトラたちがいてくれている。だから、時間があるのならテトラやコーネリスたちが望むことをしたいし、それが俺のやりたいことなのかもしれない。


「……前にテトラさんが言っていました。『テオは優しい』……って。『それがどうしてだろう』……って」


 ……それは俺も、前に、テトラに直接聞かれたことがあった。

『テオは色々やってくれる』と。『どうしてそこまでしてくれるの』と。


「……あのっ、どうしてなのか、聞いてもよろしいでしょうか?」


 どこか躊躇うように、ソフィアさんが質問をする。


 俺は寝ているテトラたちの姿を見ると、声を潜めて答えた。


 ……別に俺が何かをやっているわけでもない。

 その、逆だ。


「……ただ、そばにいてほしいからです」


「そばにいてほしいから……」


「……俺はお金を持っているわけでも、何かを持っているわけでもない。何ができるわけでもないし、何も持っていない。それでも……テトラのそばにいたいし、テトラにはそばにいてほしい」


 テトラだけじゃない。コーネリスたちもそうだ。


 だから、やれるだけのことはやりたいと思っている。

 我慢も、苦労も、できるだけさせたくない。


 単にそう思い、繋ぎ止めているだけだ。


「……浅ましくて、ずるい考えだと思う」


「そんなことないです……」


 ソフィアさんが、静かに首を振っていた。


「それが、誰かを大事に思うということではないのでしょうか?」


「…………」


 風が吹き、俺たちの髪を揺らした。


 だけど、俺は、自分のこの考えが酷く思えて、好きではなかった。


「……このことは……みんなには言わないでください」


「「「「……んふっ」」」」」


 ……同時に寝返りを打つテトラたち。

 少し離れたところで、みんなが身を捩っていた。


「みんな、起きてました」


「〜〜〜〜っ」


「ふふっ」


 ソフィアさんが見守るように微笑んでいた。


 ……なんてことだ。

 聞かれていた……。

 でも、腕輪のリンクは切っていて、みんなはぐっすり寝ていたはずなのに、どうして……。


「みんなテオ様のことが大好きだから、きっと、そういうの分かるんですよっ」


「そういうものでしょうか……」


『『『『そういうものですよ』』』』


 腕輪を通じて声が聞こえてきた。

 それぞれ、その腕輪がピカピカと光っていて、俺はその腕輪をそっと撫でると、誤魔化すように空を見上げた。



 その時だった。



「あっ、流れ星です……」


 空に光るものがあった。


 流れ星だ。


 それが、一つだけではなく、いくつも落ちていた。


「……私、流れ星、初めて見ました。確か、お願いを言うと、そのお願いが叶うんですよね」


 ソフィアさんがその星を見ながら、ぽつりと呟いた。


 しかし……眩しそうにしつつも、そのソフィアさんの顔にはどこか寂し気な雰囲気もあって、どことなく諦めが混ざっている顔に見えた。

 ソフィアさんは、よくそういう顔をする時がある。


「眩しいです……」


 その眩しさから目を逸らすように、彼女がこっちを見ていた。

 すると、目があった。


 俺も眩しいものがあったら、いつも自然に目を逸らしてしまうようになっている。


「……テオ様は、流れ星にお願いしないのですか?」


「……どうせ、願っても叶いませんから」


「ふふっ。同じことを考えてました」


 ソフィアさんが可笑しそうに微笑んでいた。


 もしも、お願いすれば願いが叶うのなら、俺は今ここにはいない。

 きっとソフィアさんもここにはいない。


 願っても、叶わないのだ。

 だから、俺は、流れ星があまり好きではなかった。


「それでも……祈るぐらいならしてもいいかもしれない」


 祈るだけでも、気を晴らすことができる。


「でも……今なら何かご利益がありそうです」


 そう言って、ソフィアさんが祈り始めたのは、流れ星にではなくて俺に向かってだった。正確にいうのなら、俺の腕にはめられている腕輪に向かって、だ。


 その俺の腕では、それぞれの眷属の腕輪がピカピカと光り輝いており、確かにご利益がありそうだと思った。


 だから、月光が降り注ぐ夜空の下、俺たちは胸の前で手を組んで、そばにいてくれる眷属に祈りを捧げるのだった。






        第二部 完。



 読んでくださりありがとうございました。


 *次回は間話で、各地にいる聖女たちの話になります。

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