第7話 包囲網
くそ。なんでこんなことに。
俺は唇を噛み、森を走る。
俺の周りを包囲するのはゴブリンの群れ。
その数は優に三十体を超えている。
ゴブリンは一対一でも真正面から戦えば苦戦するモンスターだ。
それが、数えるのも眩暈がする数で襲ってきている。
このままではゴブリンの集団との衝突は不可避。
そうなれば、俺に勝てる道理はない。
ゴブリンがこんなに強いモンスターだなんて聞いてねえぞ!
俺が生き残るには、このゴブリンの包囲を何とか突破するしかない!
残るスキルポイントは現在15。
俺はそのスキルポイントで『遠見』を交換する。
~~~~~
『
本来の視力と関係なく視認できる距離を延長する。
~~~~~
視認できる距離を伸ばすスキル。
これは俺の弓矢や集中と相性がいいスキルだ。
短剣の才能があるとはいえ、ゴブリンに接近されれば俺に勝ち目はない。
活路があるとすれば遠距離からの先制攻撃だ。
遠見を発動させると木々の奥に七体のゴブリンの姿を捉える。
「水集中!」
スキルを発動。
進行方向にいるゴブリンの一体の顔を目掛け水を集中させる。
もがき苦しむゴブリン。
周囲のゴブリンたちも突然苦しみだした仲間を見て動揺している様子だ。
ゴブリンたちの視線を見るに俺の攻撃だとは気づいていないらしい。
包囲の輪の一部が乱れる。
俺はその乱れた地点に向け駆け出す。
一体目のゴブリンが窒息したのを確認し、すぐに二体目に標的を定める。
前方にいるゴブリンの数は残り六体。
俺はSPの続く限り集中を発動し続ける。
二体目を倒し、三体目をギリギリ倒したところでSPが尽きる。
くそ。数が減った気がしねえ。
前方のゴブリンは残り八体、って本当に減ってねえ! 最初より増えているじゃねえか!?
いつのまにか俺の進行方向へと他からの応援が続々集まってきていた。
時間を掛ければどんどん不利になる。
所有ポイントは今倒したゴブリンの分だけ。
もう新しいスキルを取得することはできない。
くそ。打つ手がねえ。俺は走り続ける。
ゴブリンとの距離はすでに100メートルを切っている。
数秒後、俺はゴブリンと衝突する。
湧き上がる恐怖の感情。
目前に迫る死のイメージに俺は歯を食いしばる。
ここを突破できなければ後は前後を挟まれて殺されるだけだ。
ここが正念場。絶対に包囲を抜ける!
索敵で後方を探る。
俺が動いたせいかゴブリン達の動きはあわただしくなっている。
ものすごい勢いで前後へ動くゴブリンの群れ。
それらはどんどんこちらへと迫って……?
あれ、何かおかしい。
俺は直感から足を止める。
前方のゴブリンはすでに目と鼻の先であることが索敵で分かる。
しかし、後方の動きに覚えた違和感が俺の動きを止めた。
まっすぐに俺を追い詰めるように動いていたゴブリン。
しかしその一角の動きが俺の動きと関係なしに突然乱れたのだ。
その乱れは瞬く間に他のゴブリンたちへと伝わっていく。
なんだこれは?
これじゃあまるで何か高速で動く別の者をゴブリンたちが追っているようではないか。
ゴブリンの隊列の乱れは徐々に俺の方へと近づいてきている。
索敵にゴブリン以外のモンスターの反応は無い。
じゃあ、こちらに迫ってきているのは何者だ?
俺は遠見を発動させる。
ゴブリンたちの混乱の中心を見る。
そこに居たのはゴブリンの間を縫って駆ける影――人間の姿だった。
人間はゴブリンたちの攻撃を巧みにかわしながらすごいスピードで動き続けている。
ゴブリンたちは次々と攻撃を繰り出す。
しかしそれはゴブリンたちの目の前を駆け抜ける人間を捉えることは叶わない。
それほどその人間の動きが速すぎるのだ。
そいつは無秩序に森の中を駆けまわっていく。
けれども徐々にだが、俺の方へと近づいてきているのが分かる。
あれは、まさか転生者なのか?
まさか俺のピンチに気づいて助けに来てくれたのだろうか。
近づいてくる影に、都合のいい妄想が俺の頭をよぎる。
その妄想を裏付けるかのようにそいつとの距離が縮まっていく。
徐々に克明となる姿。
「あいつは……」
それは俺と同じ学生服を着た男だった。
『公立千文高校 2年3組』
この世界に連れてこられたきっかけであるメールの文言が思い出される。
この世界には俺のクラスメイトも転移させられているはずだ。
いつかは合流できればと思っていたが、いままでは自分が生きるので精いっぱいで探すような余裕はなかった。
それがまさか、このタイミングで会えるとは。
男は帽子を被っており顔までは分からない。
だが、誰だってこの状況を覆してくれるのなら構わない。
とにかく、助けてくれ!
前方のゴブリンとの距離はもう無い。
絶体絶命のピンチ。
男が俺の下へと走りこんで来たのはその時だった!
「オオカミさ~ん。た、助けてください~!」
「へっ?」
今何か変なセリフが聞こえなかったか?
俺の下へ来た男が開口一番に言ったセリフに俺はめまいを感じる。
たしか助けて、とか。
いや、まさかな。
助けてほしいのは俺の方なんだから。
「うわ~ん。オオカミさ~ん。助けてくださいよ~。何なんですかこの世界。モンスターとか聞いてないですよ。気づいたら何もない森の中に飛ばされてるし、歩いていたら緑色の気持ち悪い生物が追いかけてくるし。逃げて、逃げて、逃げて、逃げて、逃げて。昨日から寝てないんですよ~。何で僕がこんな目に合わなきゃならないんですか~」
いや、めっちゃ『助けて』言ってるわ!
だから、助けてほしいのはこっちなんだって!
男は俺の腕に縋りついて来た。その際に顔が見える。
俺の前に現れたのは元の世界での俺のクラスメイトである
普段は口数が少なくおとなしいのだが、パニックになるとこうして誰彼構わず縋りつき助けを求めてくる小心者だ。
ウサギは俺の腕に縋りつくと震える声で助けを求めてくる。
ということは何だ? こいつは俺を助けに来たんじゃなく、ただゴブリンから逃げていただけってことか?
救世主かと思ったら現れたのはただの足手まといだった。
「って、なんでだよ!」
「ひっ、ひ~~~~~~! オオカミさん、そんな怖い目で睨まなくてもイイじゃないですか~。怒らないでくださいよ~」
「ああ、いや。別に怒ってはいない」
「ぜっっっっったいに怒ってるじゃないですか~。やだも~、この世界恐怖しかないっ!」
なんだんだ、こいつは。
パニックになっているのは分かるが、面倒くさすぎる。
嘆きたいのは俺の方だというのに、状況がそれを許さない。
今はこいつに構っている場合じゃないっていうのに、どうしてこうなる。
前方からはゴブリンが迫る。
背後のゴブリンもすぐに追いついてくるだろう。
ただでさえ危機的状況なのに、俺に縋りつくウサギの加入でそれがさらに悪化した。
一人でも逃げるのは難しいのにどうすんだよ。
この場に置いていくか?
って、そんなことできるかよ!
くそ。こうなったら俺がおとりになってウサギを逃がすしかないか。
さっき見たウサギのスピードなら何とかこの包囲も突破できるかもしれない。
……いや、待てよ?
こいつ今めっちゃ速いスピードで走ってきてたよな。
なら、こいつの足を使えば俺もゴブリンから逃げられるんじゃないか?
「ウサギ。確認したいことがある」
「な、なんですか~。なんでも話しますから怒らないでください~」
「なんで俺が怒る前提なんだよ。今は時間が無いんだ。余計なことは言わずお前の職業とスキルを教えろ」
「ひ~~~~~~~。やっぱり怒ってる~~~~~~」
「だから怒ってないって」
もう。面倒くせえ。
こいつ何なんだよ。まじで切れそうだ。
というかこいつ、実は余裕なんじゃねえのか!?
その後さらに何度か問答を繰り返しようやくウサギから何とか職業とユニークスキルを聞き出すことに成功する。
ウサギの職業は暗殺や潜伏を得意とする『忍者』。
ユニークスキルは感じた恐怖の分だけスピードに補正が付く『脱兎』。
さっきものすごいスピードで移動していたのは『脱兎』のスキル効果らしい。
ウサギのスピードがあれば二人で脱出もできるのではないか?
だがそれには目の前のゴブリンを何とかしないといけない。
「「「「「ゴブー!」」」」」
前方のゴブリンが俺たちの前に到着する。
いくらウサギのスピードが速くてもゴブリン同士の間隔はすでに手を広げれば届くほどに狭まっている。
こうなってはゴブリンの間を抜いて逃げ出すことは不可能だ。
くそ。やはり正面から戦うしかないのか。
ウサギが走り回って隊列を乱したところを俺が短剣で攻撃する?
いや、この数を前に上手くいくわけがない。
二人とも攻撃されて終わりだ。
せめて後一手。
ゴブリンたちの目をそらせるものがあればその隙に駆け抜けることができるかもしれないのに。
逆転の要素を探して必死に辺りを見回す。
目に留まったのは、ある痕跡。
それは俺がテントを張った時の物だった。
ゴブリンから逃げる内に、キャンプをしていた場所まで戻ってきてしまったらしい。
とはいえ、この辺りに何か戦える武器や罠を用意していたわけでもない。
ここがキャンプ地だからといって状況が変わるわけじゃ……
いや、違う! 俺は思い出す。
あるじゃないか。目の前のゴブリンたちを倒せる武器が。
俺は周囲を見回し、すぐにそれを見つけた!
SPは多少回復したとはいえ心もとない。
だがこの状況を切り抜けるにはやるしかない。
重要なのはタイミングだ。
じりじりと俺達ににじり寄ってくるゴブリン達。
時間を掛ければ後方のゴブリン達が合流し、俺たちは挟み撃ちに合う。
前門のゴブリン。後門のゴブリン。
時間はゴブリンたちの味方だ。
ゆえにゴブリン達は時間をかけゆっくりと距離を詰めてくる。
だが、それゆえにタイミングが図れる!
「“大木”集中!」
俺はスキルを発動する。
ゴブリンは俺の声に驚き動きを止める。
すべてのゴブリンの視線が俺へと向く。
ミシミシミシ
ゆえに、後方からの物音にゴブリンたちの反応は一瞬遅れる。
聞こえてくる不吉な物音。
ゴブリン達を上から覆う巨大な影。
ゴブリンたちは異変に気づき空を見上げる。
そこに見たのは倒れてくる巨大な木――ゴブリンたちにとっての絶望だった。
集中は静止している物体に対してはあまり効果を発揮しない。
木に発動すれば葉を枝から千切って引き寄せることはできるが、木の幹はびくとも動かない。
それは単純に集中の出力が足りないからだが、もし仮にその木の幹が倒れる寸前まで削られていればどうだろう。
その結果が目の前の惨状だ。
逃げ遅れ、倒れた木の下敷きになったゴブリンたちはすでに絶命している。
あたりには大きな音と共に砂煙が舞い、衝撃の強さを物語っている。
俺がスキル上げの為に幹を削った大木。
まさか短剣の才能がこんな形で役に立つとは思わなかったが、結果オーライだ。
「走るぞ、ウサギ」
俺はウサギに声をかけ砂煙の中へと突っ込む。
せっかく前方の包囲が解けたのだ。
もたもたしていては後方のゴブリン達に追いつかれる。
「ま、待ってくださいよ~」
後からウサギが追ってくる。
索敵を発動すれば後続のゴブリンたちも追ってくるのを確認できるがゴブリンと俺たちでは歩幅が違う。
徐々に距離を引き離し、やがてゴブリンたちは索敵の範囲外へと消えていく。
逃げ切った。そう確信し、走るスピードを緩めたその時、索敵が今までにないほど強く警笛を鳴らす。
「!」
思わず振り返る。
索敵が示すのは後方ではない。上方だった。
10メートルを超える高さを誇る木々のさらに上。
何もない中空にローブ姿の人影が浮かんでいる。
遠見を発動させる。
その人影の正体はゴブリンだった。
しかし索敵からは、通常のゴブリンではありえないほどの存在感が伝わってくる。
それは端的にこのゴブリンがただ者ではないことを示していた。
圧倒的強者の反応。
まずゴブリンが空を飛んでいる時点で尋常なはずがない。
ローブの裾をたなびかせ佇むその姿は強者の風格を感じさせる。
そのゴブリンは手にした杖を天に掲げる!
「ウサギ! 全力で走れ!」
「えっ? はっ、はいっす!」
俺はウサギの背に捕まる。
ウサギは俺の行動に一瞬戸惑いを覚えた様子であるが、背後を見た途端、俺を担いだまま速度を一気に上げる。
背後に感じる破滅的な熱量。
恐怖を押し殺し振り返ると、そこには巨大な太陽があった。
「なんすかあれ! なんなんすかあれ! やばいっすよ!」
「いいから走れ! 走ってくれ!」
ゴブリンの掲げた杖の先に生み出されたのは太陽のごとき巨大な火の玉だ。
ゴブリンはまだ索敵の外縁にいる。
距離は300メートル程離れているはず。
なのに背中に感じるのは皮膚を焼かれるほどの熱量だ。
ゴブリンが杖を振り下ろす。
それに合わせ火の玉が俺たち目掛け襲い掛かる。
景色が矢のごとく後ろへと過ぎ去っていく。
感じた恐怖を速度に変換するウサギの走り。
肌を打つ風はもはや暴力的な威力を持っていたがそれでも俺はもっと早くと心の中で念じる。
火の玉は音を立てながら、もう目前まで迫っていた。
俺は力の限りウサギに捕まることしかできない。
「うわああああああああああああ!」
「ぎゃああああああああああっす!」
背後からの暴風。
熱が肌を焼き、風が俺たちを吹き飛ばす。
バランスを崩したウサギが倒れると俺は宙に投げ出される。
視界が回る。
背中を木にしこたま打ち付ける。
咳き込み吸った息の熱さに俺はむせかえる。
いったい、どうなった?
周囲を見渡すと地面に倒れるウサギを見つける。
火の玉は俺たちよりも手前で地面へと着弾していた。
地面が赤色に溶けている。
直撃は免れたはずだ。
なのに何なんだ。このダメージは。
車に衝突されたかのような痛みが全身を駆け巡る。
俺は火の玉のでたらめな威力に震えあがる。
……そうだ、あのゴブリンはどこだ!
眼を宙に向ける。
ゴブリンはいまだ浮いており、初期位置からは動いていない。
ウサギが走った分距離は稼げた。
次弾が来る前に逃げなければ。
痛む体にむち打ち起き上がる。
ウサギの下に駆け寄ると体をゆする。
「おい。ウサギ」
「あれ、オオカミさん? まだ僕は生きてるっすか?」
「ああ。だから逃げるぞ。またあの火の玉が来る」
「えっ……えええええええええ! それは勘弁っす! 逃げるっす! 焼肉は勘弁っす!」
ウサギは奇声を上げ跳び起きた。
俺が捕まるとウサギは一目散に走り出す。
とにかく遠くへ。ゴブリンとは反対方向へ。
走って、走って、走って。
俺たちはウサギの体力の尽きるまでただただ逃げ続けたのだった。
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