第3話 はじめてのゴブリン


 異世界で初めて対峙する敵性生物エネミー――ゴブリン。

 身長1メートル程と小柄で、顔は体に対して大きく三頭身。

 腰には木の葉で編んだ腰当を身に着け、手には長い木の枝の先を尖らせた物を持っている。


 うわあ。生ゴブリンだ。

 創作物の中でしか見かけない二足で歩く珍妙な生物に俺は感嘆をもらす。

 同時に、ゴブリンの持った武器へと目が行く。

 木製とはいえ先の尖った武器。

 あれをまともに突き刺されれば痛いでは済まないだろう。


 俺は覚悟を決めゴブリンを観察する。


 俺とゴブリンは大体5メートル程離れている。

 この距離ならまず弓を外すことはない。

 ゴブリンの身体能力がどれほどかは分からないが、今矢を射かければ先制は取れるだろう。

 だがすぐにゴブリンがこちらに飛びかかってくるようなら二の矢は継げない。

 

 ゴブリンはきょろきょろとあたりを見回しながら森の中を移動していた。

 創作物の中のゴブリンはすばしっこいイメージがあるが、目の前のゴブリンの移動速度はそれほど速くない。


 一体何をしているのだろうか。

 ゴブリンは数歩進んでは足元を見回し、また進むというのを繰り返していた。

 その行動は何かを探しているように見える。

 その後も数歩ごとに立ち止まり周囲を見回していたが、急にしゃがみこんだ。


 行動の変化に俺は慌てて身を伏せるが、俺の存在に気づかれたわけではないようだ。

 俺が再び木の陰から覗くと、ゴブリンはその場にしゃがんだまま、素手で地面を掘っていた。


 何か埋まっているのか?

 10秒ほどかけ穴を掘っていたゴブリンは、穴掘りを止め立ち上がるとその手には何かを握っていた。


 黒色のきのこ

 ゴブリンはその茸から土を払うと腰に下げていた布の袋に入れる。


 いや、豚かよ!? 俺は思わず心の中でツッコミを入れる。

 どうやらゴブリンはその茸を探していたようだ。

 その姿に俺は嗅覚でトリュフを探す豚を思い出す。




 るか? 俺は自問する。

 目の前にいるのは異世界最弱の一角として描かれることの多いゴブリン、のようなモンスターだ。

 体格差を考えれば俺の方が強いはずだ。

 それが単独で行動しており、こちらに気づいてもいない。


 これ以上は無いほどの好条件。

 躊躇していたんじゃモンスターなんて倒せない。

 生きるためにはモンスターを倒さなければいけないんだ!




 ……なのに、なぜだ。

 なぜか俺の体は動かない。

 体が震え、弓に触れる手には力が入らないのだ。


 目の前のゴブリンは相変わらず茸を探している。

 吹く風は穏やかで弓の軌道を妨げる要因には成り得ない。

 しかし弓を放とうと上げた腕は大きく震え、狙いが定まらないのだ。


 汗が頬を伝う。

 手が痛いほど弓を持つ拳を握るが、手の震えは強さを増すばかりだ。

 動悸が激しい。息が苦しい。俺は動き出せない。


 俺の葛藤の間にもゴブリンは作業を進めており、様子見を始めてから三つ目の茸を掘り当てている。

 くそ。一度退くか?

 俺の脳裏に退却の二文字が浮かぶ頃、ゴブリンがこちらを振り返る!


「っ!」


 漏れ出そうになる悲鳴を押し殺す。

 バレたか? ゴブリンは辺りを警戒するようにしながらこちらへと近づいてくる。

 間違いない。ゴブリンは俺の存在に感づいている!


 いったいなぜ気づかれた? ゴブリンは探知系のスキルを持っているのか?

 ならなぜ今まで気づかなかった??

 頬を伝う汗を風が撫で、体に寒気が走る。


 ……そうか、風。

 ゴブリンは地中に埋まるキノコを探し当てた。

 その手段はおそらく嗅覚だ。


 風が俺の臭いをゴブリンの元へ運んだのだ。

 嗅覚の鋭敏なゴブリンはそれで俺の存在に気づいた。

 だが、それなら俺の正確な位置まではゴブリンに伝わっていないはず。


 ゴブリンは徐々にこちらに迫ってきている。

 不意をつくなら今しかない。 

 その距離はすでに3メートルを切っていた。

 一息に詰め切れる距離。もう戦いは避けられない!


「うわああああああああああああ!」


 迷いを断ち切るように咆哮を上げる。

 ゴブリンの眼が俺を捉える。

 俺はゴブリンをにらみつける。


 ゴブリンの顔へ。

 集中を発動させる。

 限界まで引き絞った弓を、放つ!


「ゴブッ!?」


 ちっ。手先がブレ、矢が大きく逸れる。

 集中の効果で軌道を曲げた矢はギリギリゴブリンの右肩を捉えた。

 だが、ゴブリンは止まらない。獣じみた速度で俺に接近する。


 振り上げられる木の棒。

 俺は膝から崩れるように振り下ろされた棒を回避。

 頭上スレスレを風が通り過ぎるのを感じる。


 くそっ。俺は腰元へ手を伸ばし矢をひっつかむ。

 ゴブリンを見ればすでに木の棒を振り上げている。

 矢を番える時間はない。

 痛みに顔をゆがめ、血走ったゴブリンの眼。


「集中!」


 俺はその眼へ向けて、あらん限りの力を込め矢を突き刺した!





「はあ。はあ。はあ」


 息を吐くのが苦しい。呼吸が喉を締め付ける。

 目の前にはゴブリンの死体。鼻をつく血の濃厚な臭いをかいだ俺はむせ込んだ。

 ……だが、俺は生きている。


 死んだかと思った。俺は息苦しさから涙目になりながらさっきの戦闘を思い返す。

 最後、ゴブリンの振り下ろした棒は俺の背中を強打した。

 その威力は大きく、肺に衝撃を受けた俺は一瞬、呼吸困難に陥った。


 一方、俺の突き出した木の矢は、集中の効果によりゴブリンの眼へと引き付けられ、突き刺さった。

 刺さり具合を見るにおそらく矢は脳まで到達しているだろう。

 ゴブリンは矢が刺さると一瞬体をビクンと震わせ、そのまま地に倒れ伏した。


 俺は顔を上げ、もう一度ゴブリンを見る。

 ゴブリンは顔から地面に倒れており、もう動く様子はない。

 念のため探知を発動させるが、生命の気配は感じられなかった。


 はは。やった。俺は勝利したんだ。

 内から湧き上がるのは勝利の歓喜と、そして死を乗り越えた安堵だった。

 不思議と命を殺めたという忌避観は無かった。

 俺はふらふらふらつく体をゆっくりと制御し、地面に横たわる。


 

 そのまま俺は気分が落ち着くまで体を横たえて休むことにした。




「……」


 ゴブリンとの戦闘から体感で30分程経っただろうか。

 ようやく心臓の鼓動が落ち着き、思考がクリアになってくる。

 落ち着くと同時に、生物を殺めたという罪悪感が湧き上がるが、今は無視する。


 自分が生き残るために思考するべきだ。

 後悔は文字通り、ことが終わった後にすること。

 今は先へ進むんだ。


 俺は空を見上げる。

 太陽(?)は空高く上がっており、今はこの世界でいうところの昼間にあたるのだろう。

 この世界の一日が何時間なのかは分からないが、日没までにやらなければならないことはたくさんある。


 急務は衣食住と身の安全の確保だろう。

 知らない森の中、着のみ着のままでいられるほど俺は神経、図太くないのだ。


 背中に背負うリュックタイプの学生カバンからノートを取り出す。

 今俺の恰好は学校帰りだったため、学生服姿だ。

 勉強道具一式がカバンには入っている。


 ノートから一枚ページを破り取ると、シャーペンで現在の持ち物を記載していく。


~~~~~


持ち物リスト



 ・学生服上下

 ・コンタクト

 ・靴下

 ・靴


 ・学生カバン

 ・ノート 3冊

 ・筆記用具

 ・教科書 3冊

 ・空の弁当箱

 ・水筒


 ・財布

 ・スマホ(充電切れ)


 ・木の弓

 ・木の矢×6本

 ・空のペットボトル


 ・木の棒

 ・ぼろきれ

 ・布の袋(小)

 ・黒茸×5


~~~~~



 上から順に、現在の服装、学生カバンの中身、ポケットの中身、ポイントで交換した物、ゴブリンが持っていた物だ。

 さっき倒したゴブリンが持っていた物は木の棒を除いてカバンの中にしまってある。

 飲みかけだった水は空の水筒の中に移した。


 改めて自分の恰好を見る。

 先ほどの戦闘で学生服には膝の部分に穴が開いていた。

 全体的に泥だらけであり、体の前面は元の色が分からないぐらいに汚れている。


 スマホは昨日充電を忘れていたせいで、さっき画面を確認した時に電源が切れた。

 充電が残っていれば時間などの確認ができるのだが、無い物は仕方がない。

 財布には現金がいくらか入っているがここでは使えるはずもない。


 木の矢は6本まで減っている。

 元がもろい素材であり矢先が欠けてしまうため、一度武器として用いれば再利用は難しい。

 もう一度戦闘したら補充が必要だろう。


 ゴブリンの持ち物で有用そうなのはやはり茸だろう。

 現状では貴重な食料だ。ゴブリンが集めていたのだから食用だろうと予測がつく。

 ……しかし、茸と言って真っ先にイメージするのは毒がある可能性だ。

 

 ゴブリンが食べれるからと言って俺が食べて問題ないとは限らないんだよな。

 黒い茸と聞いて真っ先に思い浮かぶのはトリュフだ。

 正直、もしこれがトリュフなのだとしたら食べてみたい気持ちが強いが、ここは病院の無い異世界だ。

 お腹を下して満足に動けなくなれば待つのは、死だ。

 他に選択肢が有る現状ではこの茸を食べることはできないよな。


 そう。食料の当てはあるのだ。


「メニュー」


~~~~~

メニュー

 ステータス

 スキル

 ショップ

 メール

 ???


~~~~~


 俺はメニューウィンドウを呼び出す。

 他の選択肢というのは当然このショップ機能で交換できる食料だ。

 ポイントで交換すれば武器やアイテムだけでなく、食料も手に入るのは確認済みだ。


 俺はショップ画面を開く。

 表示されるのは『武器』『アイテム』『ガチャ』の三項目。


 そういえばまだ『ガチャ』の項目は見ていなかったな。

 俺はそう思いガチャの項目を選択する。


~~~~~


保有ポイントが足りず、その項目は選択できません。


~~~~~


 ああ、はい。そうですか。

 機械的な返答に俺は思わずため息をつく。

 いいんですよ? 別にそんなに気にしていませんから。

 むしろ、徐々に機能解放されていった方が燃えるよね! ……はあ。

 まあいいや。早くアイテムを確認していこう。


 そういえば、さっき飲料水を交換するときに知ったのだがショップでは、特定の項目のみを表示できる絞り込み機能が使えるようだ。

 俺は食べ物に表示を絞る。

 

 出てきたのは『サンドウィッチ』や『おにぎり』など日本ではコンビニでおなじみの商品だ。

 しかしその値段は一番安いもので3ポイント。

 14ポイントしか無い現状では手を出すのに躊躇する。

 俺は画面をスクロールし、安い食料を探す。




~~~~~


アイテム『完全栄養食』 1ポイント


一日分の栄養がこれ一食に!

味を無視すれば最もコスパのイイ商品です!


~~~~~



 うん。怪しさしか感じない。

 俺が見つけたのは他の食べ物が軒並み3ポイント以上で表示されている中、一つだけ破格の1ポイントと表示されている『完全栄養食』だった。


 効果だけを見れば破格だ。

 これを食べれば一日他の食事をとる必要が無いらしい。

 説明文に書いてある以上、嘘では無いだろうし、2リットル入りの飲料水が1ポイントなので、『完全栄養食』と『飲料水』を一日に一つずつ交換すれば消費するのは2ポイントとなる。

 現状の保有ポイントでも一週間生活できる。


 しかし問題が一つ。

 『完全栄養食』のアイテム説明内容だ。


 『味を無視すれば最もコスパのイイ商品です!』

 

 うん。説明文に書いてある以上、やはり『味を無視すれば』の部分もアイテムには反映されているのだろう。

 つまり、まずいのは確定。

 しかもわざわざ説明書きに書かれているのをみるに、相当まずいのではないだろうか。



 ぐ~。躊躇する俺だがしかし腹は減る。

 食べ物の名前ばかり見ていたから余計にお腹がすいて来た。

 くそっ。なぜ見えている地雷を踏みにいかなきゃならんのだ。


 しかし、どのみちいつかは食事をしなければならないんだ。

 なら、覚悟を決めろ。

 ぜんは急げだ!


 俺は覚悟を決めて『完全栄養食』を交換する。

 形は球形。色は黄色。

 サイズはピンポン玉ぐらいで一口で食べることもできるぐらいだ。

 

 完全栄養食を持つ手が震える。

 だが、ここで躊躇していては時間の無駄だ。

 俺は眼をつぶると一口にかぶりついた。




「……おいしくない」


 なんだこれ。噛んだ瞬間感じる不味さ。これは、味が無い。

 噛むたびに口の中に広がる残念感。

 食べるほどに生気を吸い取られていくような気がする。


 うん。まずいならまずいでいいんだよ。リアクションとれるし。

 だがこれは、味が全くしないのだ。


 これに一日分の栄養が入っているんじゃなかったの?

 イノシンさんは? グアニルさんは? グルタミンさんはどこへ行ったのだ!? 

 仕事しろよ旨味成分!


 旨味だけでなく辛味も、苦みも、甘みも、酸味もない。

 例えるなら噛み続けて味が抜けたガムを食べている感じ。

 しかもめっちゃパサパサ。


 俺は無理やり残りを飲み込むと慌てて水筒の水を飲み干した。


 ああ。テンションが下がる。これから毎日これを食べなきゃならんのか。

 確かに腹は膨れたし、食料の役目は果たしているのだが、こんなものを毎日食べていたらいつかメンタルが壊れるぞ。

 何としてでも早急にもっとおいしい物を食べられる環境を作らねば。


 俺は食事のあまりの味気無さに、早く強くなることを決心するのだった。



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