5話

依頼人の最期の日となった。約束していたコーヒーショップにいくと、彼の方が早く店に来ていた。彼が私に渡してくれた罫線ノートには文字がびっしり並んでいた。手書きで書いた小説、その文字は私に向き合った人の最後の命を感じた。

依頼人は、とても晴れ渡った顔をしていた。これから死ぬことを悟った人の顔。この顔だ。この依頼人は本当に死ぬ。この人は死ぬ直前に怖くなって死に損なう人じゃない。この人はちゃんと死ぬ。それを感じた私は少し怖くなった。どうして、私はその人が死ぬのかどうかわかるんだろうか。でも、わかる。この依頼人は必ず自殺する。

依頼人と話をつけた後、私は店に残って彼が渡してくれたノートを読むことにした。彼が子どもの頃からどういう性格だったのか、どのように自分が形成されていったのか、そして今、どうして死ぬことに向き合っているのか、そのような「語り」がずっと書き綴られていた。

読み難い文章だった。もし、彼が小説家になることを求めていたのだとしたら、きっと日の目を見ることはないと思う。でも、私はどんな小説よりも生々しくて瑞々しくて、好きな文章だった。

彼が伝えたいとしていること。私はやっぱり分からないと思う。どうして彼が死に至るのか。その独白をいくら読んでも分からない。彼が持つ苦悩、孤独感、そして自分への諦め。それらが自らの死とは結び付かなかった。「生きていても仕方がない」と思うこと。「積極的に、生きたいと思わない」と感じること。依頼人が遺したノートにはその思いが書かれていた。彼の言葉で、その思いが醜くも素直に描かれている。理解できないわけではない。世の中は理不尽なことばっかりだし、嫌になることも山のようにある。全部忘れてどこか知らない楽園に飛んで行けるのなら、そうしたいと思うことはある。でも、その楽園が「死」にあるとは思えなかった。だって「死」は中断だもの。「死」そのものに善悪なんて存在しない。ゲームをセーブせずに辞めたのと同じ。だからこそ、私は共感できない。依頼人がいうことは理解できるけど、納得できない。これが、もしかしたら私が死なない理由なのかもしれない。「死」が楽園なのか、それとも中断する行為に過ぎないのか。でも、依頼人だって「死が救済になる」なんて考えているとは思えない。もしかしたら、中断したかったのかもしれない。そう考えてみる。でも、やはり、納得はできない。私は残念ながら、続きを知りたいから。自分の人生というストーリーがどう紡がれるのか知りたいから。それがあまりにもつまらない小説のような話かもしれないけれど、最後まで読んでみたい。結局のところは、エゴなのかもしれない。自分のことが好きか否かかもしれない。自分の人生に興味を持てるか、自分が好きなのか。ナルシズムではなくもっと素朴で純粋な愛を自分に向けることができるのか否か。自分を愛して、大事にして、そして慈しむことができるか。自分を愛せなくなった時、モノクロの世界になるのかもしれない。私が見る世界は今の所、ちゃんとフルカラーだ。鮮明に色を感じることができる。でも、もしかしたら、もしかしたら、

−翔吾はこうだったのかもしれない

そう思えば思うほど、依頼人が遺した小説を読み捨てするわけにはいかなかった。まるで翔吾が話しているようで。翔吾の声が頭の中でリフレインしていた。私の頭の中で、依頼人の物語を翔吾が朗読していた。それが心地よく、カタルシスを感じていた。

読み終わると、ノートに書かれた表題を見る。

『僕は死ぬことにした』

その題名を見て、呟いた。

「へぇ、いいもの書くじゃん」

その言葉に翔吾が返事したような気がした。

―そうでしょ?これ、僕の力作なんだ。

エゴかもしれない。独りよがりかもしれない。それでも、私はなんだか、翔吾に近づくことができたんじゃないかと感じた。

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