4話

結局、メールの差出人はわからなかった。誰が翔吾のメールアドレスを使って不可解なメールを出してきたのか。気味が悪いし、自分の裏側をみられているようでとてもいい気がしない。でも、私にとってそのメールは本当に翔吾から送られてきたようなものに思えて、返信をすることはできないもののずっと気になっていた。

「ねぇ、香織何ぼうっとしているの?」

とビールジョッキを持った楓は少し不満そうな顔をして私に言った。

「あ、ごめん。ちょっと考え事していて」

「今日は私の誕生日なんだから、楽しい顔していてよね」と楓は笑って答える。

楓の誕生日で彼女が行きたがっていたイタリアン居酒屋にいることすら忘れている自分がいた。

「にしても、楓がビール飲むなんて珍しいね」

「なんかさ、このまま年取って死んでいくんじゃないかと思うと嫌になってね。ビールでも飲んで全て忘れたいわけよ」

「なんか、達観してる」

私は楓の顔を見る。綺麗に酔っているな、頬が少し赤くなっていつもの何倍も可愛く見える。そして、彼女は絶対「自殺」なんかしないんだろうな。

「なんか私の顔に何かついている?ソースとか口の上の方についているとかないよね?」

「大丈夫。いや、楓って人生すごく楽しんでるんだろうなって」

「何、それ。私だって嫌なこととか辛いこととかあるよ?バイト先の店長がタバコ臭くてやってらんないとか」

私は本当に嫌そうに話す楓を見て少し微笑んだ。

「あれ、例の相談のこと考えていたの?」と楓は少し真剣な顔をして言った。

「まぁ、少しは考えちゃうかな」

「別にさ、香織がすることに私がとやかくいうことではないとは思っているけど、今日は誕生日の私の戯言だと思って聞いてほしいかな。私は香織が少し心配だよ。どこかに行っちゃうんじゃないかって。いつか大学の屋上から飛び降りちゃうんじゃないかって」

「大丈夫だよ」

「わからないじゃん」楓は続ける。

「そんなのわかんないじゃん。人が死ぬ時って本当に一瞬で来るし、いつの間にか剃刀を握っていることだってあるんだよ。人の心ってすっごく脆くて、弱いんだよ。ガラスなんかより。少し力を加えちゃったらポキって折れちゃう。帰って来れなくなる」

「うん」

「そして、あなたは、そんな『折れちゃった』人と話を続けているわけ。そうなるとね。あなたはいつの間にか自分の心を自分で折っちゃうんじゃないかって」

「それって、私が自殺志望があるようになっちゃうってこと?」

「そんな明確なものじゃないとは思うけど、例えば『追いかけたい』って思ったり」

私は押し黙る。

「あるの?」

「気にしないで。大丈夫。今日は楓の誕生日なんだからこんな暗い話は無しにしよ?」

私は話を変えようとする。

楓は、そのあと何も言わなかったけれど、私を心配していることは伝わってきた。


「あぁ〜飲んだ飲んだ」と楓は気持ちよさそうな声をあげる。

「結構飲んでたもんね」

「今日ぐらいいいかなって」

「そりゃあ、いいんじゃない?」

「でもさ、なんか香織はあれだね。酔っ払ってないね」

「私は、そんなに顔に出ないような人だから」

「本当はそんなに飲んでないくせに」と楓はいじらしそうに笑った。

「そうかな?」

「うん。飲んでない。何か、隠しているでしょ?」楓は少し真面目な顔をして言った。

「何か、隠している?」

「そう。多分、ってところぐらいまでしか分からないっていうのが本音だけど、香織が何か『持っている』ことはわかる。

「何も隠していないよ」

「別に言いたくないなら別にいいよ。でもね、私はほんの少しだけ、ほんの少しだけだよ?怖いんだ。香りがどこか遠くにいっちゃいそうで。今、香織はね、黄昏にいるの」

「なんか、楓らしくない比喩の使い方だね」

「酔っているんだから許してよ。私だって実は文学少女な部分もあるんだから」

楓は楽しそうに話しながら、それでも真剣な顔をしていた。

「香織がしていることを止める気はないし、止めることはできないって思っている。でもね、私は本当は怖いって思ってる。香織はいつか私たちが行かないような世界に行っちゃうような気がして。そしてね、二度と帰ってこないの。ずっと私たちが行けない世界で誰かの腕に抱かれながら静かに笑っているの。いつか、香りがそんな世界に行っちゃうんじゃないかって思っちゃうの」

「すごいファンタジーだね」と私は楓に言う。

「酔っ払いの戯言だからね。詩的だって思ってもらってもいいんだよ」

楓は、私の顔を覗き込むように見て言った。

「私は、あなたの友達。だからさ、ひとりにしないでね」

私はうん、と乾いた返事をした。

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