第29話 Cu

カドミウムと共に道なりにゆっくり歩く。いつしか延々と左側に続いていた青酸の森が消え、市場のように色々なお店が立ち並ぶにぎやかな場所に出た。食べ物を売っているお店もあるようで、辺りには美味しそうな匂いが漂っていた。

西欧諸国の市場がこんな雰囲気だろうか。興味深げに視線を巡らす俺を楽しそうに見ながらカドミウムが口を開く。

「王都へはもう少しで着きます。そこにあるお城に行き、この地方の王、原子様に謁見しましょう」

カドミウムの言葉に頷いてみせる。

(原子様か……いかにも化学地方の王様って感じだなあ)

俺は彼に会うのを楽しみにしながら歩みを進めた。

次第に大きな城が見えてきた。それとともに人通りも増え、さらに通りが賑やかになってくる。その上、兵隊のような服を着た人たちが町のあちこちを歩いているのを見かけるようになった。

「ねえ、カドミウム。あの人たちは誰?」

そう尋ねるとカドミウムが俺の視線を追って兵隊のような彼らを見た。

「あれは電子ですよ。化学地方の兵隊なのです」

彼の言葉に納得する。

(原子とは別に電子もいるのか……)

ということは陽子と中性子もいるのだろうか。そう思いながら、とことことおもちゃの兵隊のように歩く電子たちを一瞥した。


城に大分近づいて、建物が大きく見えてきたとき、ふと疑問に思ったことがありカドミウムの方を振り返った。

「カドミウムも王都に何か用事があったの?」

そう尋ねると彼が「いえ……」と少し言い淀んだ。

「違うの?」

もう一度尋ねるとカドミウムが言いづらそうに口を開いた。

「ええ。……今日は、あなたを送ってそのままシアンタウンに帰るつもりです」

そう言ってカドミウムが困ったように笑う。それを見て俺は申し訳ない気持ちになった。

「俺のためにわざわざここまで来てくれたの?だったら、お城までついてきてもらうのは悪いよ。ここから先は一人で行くよ」

「いえ、でもあなたに何かあったら困りますから」

そう言うカドミウムに俺は首を振る。

「大丈夫だよ。お城まではもう一本道だし、迷うこともないからさ」

近くには兵隊の電子も巡回している。誰かに襲われることもないだろう。

そう言ってなんとかカドミウムを説得すると、彼が諦めたように息をついた。

「……わかりました。気をつけてくださいね」

「うん、ありがとう。またシアンタウンにお邪魔させてもらうね」

そう言うとカドミウムが頷いた。

「あなたにまた会える日を一同楽しみにしております」

彼の言葉に俺は微笑むと、丁重にお礼を述べた。カドミウムがこちらに背を向けて歩き出すのを見届けてからお城の方に振り返る。

(よし、早く原子様に会いに行こう)

近くを通り過ぎていく電子たちを見ながら城の正門に向かって再び歩き出した。


正門まであと少しというところになったとき、不意に目の端に何か黒いものが映った。はっとして足を止め、振り返る。

音もなく現れたのは、アルカリ湖の近くで出会った黒い服で身を包んだあの男性だった。初めて会ったときのように腕を組み、木に寄りかかった状態で俺のことを見つめている。

「あ、君、あのときの……」

俺が声をかけると彼が木から背中を離し、俺に向かって手招きをした。

なんの用事だろうかと気になる一方、彼についていっても大丈夫だろうかと迷う。

道からそれると森の中に入ってしまう。そうなると電子たちの目も届かなくなってしまうだろう。そこで彼にもし攻撃でもされたら太刀打ちできない。迷うように彼を見ると、彼は真剣な顔をしてこちらを見ていた。

彼がウランだという推理が正しいのなら、きっとこちらに危害を与えることはないだろう。

迷った挙げ句、俺は彼についていってみることにした。


少し森の奥に入ったあと、彼が振り返った。俺との間に距離を開けて、こちらの顔を見つめる。

「あの……俺に、何か用?」

そう恐る恐る尋ねると、彼が口を開いたようで、口元を隠しているバンダナがかすかに動いた。

「……何故あの時、先輩に対して私のことを見ていないと嘘を言ってくれたんですか?」

そうその男性に尋ねられ、はっとする。聞き覚えのある声に、俺は微笑んだ。

「よかった。やっぱりウランだったんだ」

そう言うと彼が黒いバンダナを外した。

そこから見慣れた顔が現れる。眼鏡はつけていないが、その顔は間違いなくウランであった。

俺に見つめられて彼が恥ずかしそうに微笑む。

「まさか放射線量で見抜かれてしまうとは思いませんでした。……人間の作る機械も、中々侮れませんね」

そう言う彼に不思議に思ったことを尋ねてみる。

「ウラン、どうしてこんな格好をしてここに?君が全然帰ってこなくて、セシウムが心配していたよ」

そう言うとウランが困ったような顔をした。

「あまり詳しいことは言えないのですが……。実は私、シアンタウンを見張るよう送り込まれたスパイなんです。ですから、本業はこちらなんですよ」

その言葉に俺は目を丸くする。

「そうだったの?」

「ええ」と彼が頷く。

「あなたの前にこの格好で現れたあの時は、原子様の命令よりあなたを消すつもりでいたんです。……あなたがシアンタウンを破壊しに来た刺客だと聞いていたので」

ウランの話を俺は黙って聞く。

「けれど、あなたを消すどころか逆に正体を感づかれてしまって……。私はスパイ失格ですね」

そう言って彼が自嘲気味に笑った。

「……まあ、あなたを殺すよう命令を受けたときに動揺してしまった時点で任務が成功するわけがなかったのでしょうけど」

そう小声でウランが付け加える。残念ながら俺にはその声が聞こえず、首をひねった。そんな俺の気をそらすようにウランが話を変える。

「しばらくはシアンタウンには帰れないでしょう。……先輩には悪いですが、仕方ありません」

そう言ってウランが残念そうな顔をした。初めこそ円滑に任務を全うするためにセシウムと仲良く接していたのかもしれないが、今のウランの彼への友情は間違いなく本物のようだった。

俺は俯いている彼に話しかけた。

「ウラン、俺、このことはちゃんと秘密にしておくよ。誰にも言わないから安心して」

そう言うとウランが微笑んだ。

「ありがとうございます。……さあ、早く原子様のところに行ってください。あなたのことを待っておいでですから。……ああ、もうあなたへの誤解は解けたので命を狙われるようなことはありませんよ」

彼の言葉に俺は頷いた。

「分かった。会ってくることにするよ」

そのまま踵を返して歩き出そうとした俺に、ウランが思い出したように声をかけた。

「そうだ、一つあなたに伝えなければならないことがあります」

不思議に思って振り返る。ウランは至極真面目な顔をしていた。

「なに?」

「『ヘビ』についてです」

ウランの言葉に俺は首をひねる。

「『ヘビ』って、動物の?」

そう尋ねると彼が首を振った。

「いえ。そうではなく、教科の国に神出鬼没で現れる、謎の存在のことです」

ウランが厳しい顔で続ける。

「奴は外から来た人間に『隠されたもの』を見つけるよう唆す、教科の国における重罪人です」

「『隠されたもの』?」と思わず聞き返す。ウランが頷いた。

「ええ。教科の国、特に理系の国では各国に人間がまだ見つけていない公式や法則が存在します。それらは外から来た人間に決して見せてはいけないもの。何故なら、それらは人間が自力で見つけるべきものだからです」

ウランが険しい顔で続ける。

「『隠されたもの』の内容は国によって違いますが……。数学の国なら『隠された公式』、化学地方なら『隠された元素』や『隠された化学反応』などになります。それらはその国の王によって人間の目に触れないよう厳重に保管されています」

「人間って、しょっちゅう教科の国に来るの?」

驚いてそう尋ねると、ウランが頷いた。

「しょっちゅうというわけではありませんが、あなたのようにたまに紛れ込んできますよ」

彼の言葉に俺は考え込んだ。俺といいその人たちといい、どうして教科の国に入り込んでしまうのだろうか。

首をひねっている俺を見ながらウランが続ける。

「『隠されたもの』を人間が見るのは禁忌に値します。……しかし、昔、数学の国に来たある人間が『ヘビ』に唆されて『隠された公式』を見てしまうという事件が起こったのです。『隠されたもの』を見てしまった人間は、二度と教科の国から出ることはできません。そのようなことが二度と起こらないように、それから『隠されたもの』の取り扱いがかなり厳しくなりました」

ウランの言葉を聞きながら俺は相槌を打った。

「つまり、『ヘビ』に会って『隠されたもの』を見るよう勧められても、断れってことだね」

俺の言葉にウランが頷いた。

「ええ。決して相手にせず、私たちに速やかに『ヘビ』の居場所を教えていただけると助かります。奴には厳しい処罰を受けてもらわないといけませんから」

「分かった。『ヘビ』に会ったら近くにいる人に知らせるよ」

そう言うとウランが微笑んだ。

「ご協力ありがとうございます。……きっとあなたのことですから、彼の甘言にはのらないだろうと思っております」

「もちろん」と俺は頷いた。

「そんなふうにまだ見つかっていない元素や反応を見つけたって面白くないもんね。自分で研究して見つけ出すから面白いんだもの」

そう言う俺にウランが笑みをつくった。

「……あなたならそう言ってくださると思っていましたよ」

一通り話し終えたウランが再びバンダナを口にまいた。そして城の方を指さす。

「さあ、それでは原子様のところへ向かってください」

俺が頷くのを見ると彼が再び口を開いた。

「……さようなら」

「うん。……また来るね」

そう言って手を振るとウランがかすかに目を細めた。

「……ええ。では、また」

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