3. Cube Sugar

 どれくらい歩いていたんだろう。

 気づけば、微かにオレンジ色だった空にはいつの間にか夜のとばりが降りて、真っ黒な空になっていた。ちらほらと灯り始めたネオンの光。そんな人工的な光に暖かさを見出してしまうくらい、僕の心は弱っているんだろうか。


 しばらくして、雨が降ってきた。

 しまった、天気予報は見ていたのに。思いつくまま外に出たせいで、傘を持ってくるのを忘れていた。

 財布も携帯も、生徒手帳も持たないまま外を出たことに気づいて、我ながらびっくりする。仕方がないから、少しだけ身をすくめて街を歩き続ける。

 予報では小雨程度だと言っていたはずなのに、僕の体に叩きつける水の勢いは、どんどん強くなっていった。パラパラ、ジャージャー、ザザーっ。バケツをひっくり返したような雨に叩きつけられて、僕は思わず身震いする。

 さすがに雨宿りする場所が欲しくなって、竦めていた体をちょっと伸ばした。

 視線の先には、黄色のケースと青のケースが積まれた倉庫のような場所。……きっとあそこなら、しばらくは雨宿りできるかもしれない。

 僕は小走りをして、その中に入っていった。雨はなかなか止まない。


「おい小僧、テメエ何やってんだ?」


 10分くらい雨宿りをしていたら、急にドスの効いた声がした。反射的にビクッとして振り向くと、見るからにヤンキーの格好をした男性が2人立っていた。夜でも目立つような金髪に、第3ボタンまで開けた黒いシャツ。そこから覗く、大振りのネックレス。歩いてくる度に聞こえる、チェーンの音。僕が今までに出会ったことのない属性の人。


「あ……そ、そのっ、ごめんなさいっ!!」


 すぐに謝ってまた雨の中に駆けて行こうとしたけれど、腕を思いっきり掴まれた。


「お前さ、そのまま帰れるとでも思ってんのか? あ?」

「滞在料がねえとなぁ。君の財布はどこだぁ?」


 そのまま体をまさぐられるけれど、ないものはない。彼らもすぐさま気づいたみたいで、先程よりさらに凄みを増した声で僕に迫ってきた。


「てめえ、財布ないってどういうことだよ。え?」

「金がねえんなら、何か違う落とし前つけてもらわねえとなぁ?」


 2人は下卑げひた笑いを見せて、僕の腹に一発拳を入れた。今までに感じたことのない痛みが急激に僕を襲う。そのまま、2発、3発。顔にも。途端に唇が切れて、血の味が滲んでいく。


「おい、何やってんだよお前ら」

「あ、ケイさん。不届き者の処理っすよ」

「ケイさん、いっそのこと、ここでシメちゃってくださいよ」


 ケイさんと呼ばれたその人は、真っ直ぐ僕に向かって歩いてきた。ケイさんは2人に「こいつのこと、一旦離せ」と命じた。2人は素直に従い、その瞬間僕は尻餅をついた。

 これから何をされるのだろう。この2人よりも格上の人が来たんなら、もう僕の命はない。

 何も持たずに出てきたことを後悔した。でももう為す術がないので、僕はギュッと目を瞑った。


「おい。目開けろ。…………開けろって。何もしねえから。…………本当だって。いいから開けろ」


 僕は恐る恐る目を開けた。言葉通り、ケイさんは何もしてこなかった。ただ黙って、僕の目をじっと見つめていた。


「ケイさん? どうしたんすか。さっさとケリつけましょうよ」

「黙れ」

「でも——」

「いいから黙れっ!……お前らは消えろ。さっさと仕事戻れ」


 ケイさんの剣幕に2人の手下みたいな人達はびっくりして、逃げるように倉庫から去っていった。僕も思わず身を竦めた。


「……驚かせたな。悪い」

「あ、いえ……」

「今のうちにさっさと行け」

「え?」

「今なら誰もいない。さっさと行け」

「なんで……殴らなくて、いいんですか。ケリ、つけなくて」


 我ながら、何を聞いたんだろうって思った。自分から、どう見てもヤクザ系の人に「殴らなくていいんですか」なんて、どうかしている。

 ケイさんは言った。


「お前は、雑味のないをしてるから。だからお前は、絶対にこの世界に来ちゃダメだ」


 ケイさんは優しかった。オラついてるのは外見だけで、ケイさんこそ、心がすごく綺麗な人なんだろうと思った。間違って闇の世界に片足を突っ込みそうになった僕を、助けようとしてくれている。

 でも、だからこそ、僕はその場から動けなかった。


 僕はそこに、ケイさんのその言葉と態度に、を感じてしまったから。「絶対に来るな」、そう拒絶されているはずなのに、そこには愛があったから。僕という人間をちゃんと見つめて、言ってくれたから。僕が欲しくてたまらなかった、ほんのりと甘いものを、ケイさんがくれたから。


 気づけば僕は、両腕をケイさんに差し出していた。

 雨に打たれた寒さと、未だ拭えぬ恐怖に震える体で。血の滲んだ、醜い顔を見せながら。冷たい雨とはちょっぴり違う、温かいものが流れていく目で、真っ直ぐに彼を見つめながら。

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