Dog's Nose

1. Dry Gin

「のんちゃんママってさ、すごい美人だよね」


 小さな子どもの発言は、時として大の大人のメンタルを凄まじい勢いでクラッシュする。発言者は自分の子どもとなれば、尚更だ。

 のんちゃんママ。旦那は外資系企業勤務で、現在NYに単身赴任中。本人はアラフォー世代に絶大な人気を誇るファッション誌の編集長。2人は同じ大学出身で、共にミスターコン・ミスコンのファイナリスト。そんな彼らから生まれたのんちゃんは弱冠7歳にして既に美貌を隠し切れず、ママ友や男の子達からキャーキャー言われる存在なのである。

 対する私はと言えば、夫はメーカーの営業マン。私は夫と同じ会社の経理部所属。子どもは1人しかいないものの、ワーママというのがここまで大変だとは知らず、毎日ヒーヒー言いながら、やっとの思いで生活しているのが現状である。


「そうね……」

「のんちゃんママ美人だし、なんかかっこいい仕事してるってのんちゃん言ってるし、本当すごい。私、将来のんちゃんママみたいになりたい」


 グサっ。グサグサグサグサっ。

 定時に上がって爆速で帰宅の準備して、買い出ししてクタクタで帰宅した母親に、そんな言葉を浴びせるのか君は……。

 可愛い声で「ママ、これ冷蔵庫に入れとくね」と言い、お手伝いを率先してくれるのは助かるが、あまりに強烈な台詞が私の心を滅多刺しにしていく。悪気はないんだよね。うん、きっと悪気はないのよこの子には。


 なぜ、住む世界が180度違うようなのんちゃんママと私が、何だかんだで最も親密なママ友になってしまったのか。

 それは、のんちゃんと私の娘の出席番号が前後だったことと、家が3軒隣であったことが理由である。席が近くて通学路もほとんど同じとあれば、喋らないわけがない。子どもには大人みたいな社会的立場もまだ作られていないし、先入観なしでざっくばらんに色々話す。娘達は波長が合ったようで、互いにクラスで最も仲の良い存在になったらしいのだ。そうなればママ同士の交流も自ずと始まっていく。私は娘とは違って、のんちゃんママとのちょうど良い関係のありかを、今必死に探している。


 別にママだろうがなんだろうが、社会的立場なんて気にしなければいい。そんなことは頭では分かっているし、私もそうだと思っていた。

 だけどのんちゃんママの態度に触れていると、気にせざるを得なくなってしまうのだった。


 いつも抜かりのない、トレンドをよく押さえたメイク。髪も上品に巻かれていて、頭がプリンになっているのなんか一度も見たことがない。着回しがすっごく上手なのもあるけれど、それ以前にまずアイテムの価格が違いすぎる。私がゲームの初期設定みたいな出で立ちだとしたら、彼女の出で立ちになるにはステージ20くらい進んで、ボーナスたくさんもらって、プレミアムレベルの課金してやっと、というようなレベルなのだ。一見シンプルな出で立ちに見えても、鞄の持ち手にさりげなく巻かれたスカーフはエルメス。靴はよく見ればフェルガモ。こうした細部のこだわりに気付いてしまう自分が恨めしい。

 そりゃあ、有名ファッション誌の編集長だから。仕事柄、このくらいおしゃれでないといけないのだろう。でも彼女を見る度に、ステータスの違いをまざまざと見せつけられた気分になるのだ。


 極め付けは、彼女の言葉の端々。


「ほら、私のとこ今旦那いないからさ? 家事手伝ってくれる人もいなくて、ついにハウスキーパー頼んじゃった。そしたらすっごい便利で! もう住み込みの人雇おうかなぁなんて思っちゃうよね〜。まぁ高いから考えないといけないけど」

「雑誌の校了前だと休日出勤もあるから、その時は大体外食。のぞみったらさ、キャビア食べてなんて言ったと思う? 『これ、たらこ? 美味しい〜』って! もう舌がバカで困っちゃうわうちの子」

「私の髪はストレートだから巻かないと格好がつかないんだけど、希はパパ似でクルクルしちゃって。将来校則引っかかって縮毛矯正させられるのかな。癖っ毛ってやだよね〜」


 自分ではマウントを取っているなんて思っていないのだろう。「住み込みのハウスキーパーは高い」と、いかにも「私は普通の金銭感覚を持っているので躊躇してしまうんです」というメッセージを滲ませてくるし、「希の舌はバカだ」「癖っ毛ってやだ」と言って、いつもチヤホヤされる自分の娘を時に落とす発言もしている。そうやってバランスを取っているのだろう。

 本当は、「ハウスキーピングを雇えるほどの財力」「7歳の娘にキャビアを食べさせてあげられる母親」「天然パーマのよく似合う可愛い娘」を見せつけたいのかもしれないけれど、角が立たないように、巧妙に。

 こうやって勘ぐってしまう私が、穿うがった見方をしてるんだろうか。彼女は人の子どもをけなすことは絶対にしない。むしろすごくよく褒める。私の娘のことも「なーちゃんは優しくて明るいから、希はいつも楽しそうにしている」と言ってくれる。

 でも彼女の言葉は、いつもどこかモヤモヤとする。会う度に笑顔で聞き流しているけれど、私はこういう人にはなりたくないと思う。


 しかし娘は言ったのだ。「将来のんちゃんママみたいになりたい」と。

 悔しい。負けたみたいで悔しい。娘が離れていきそうで悔しい。私は私なりに頑張っているのに。


 どうしたらいいの?

 私が魅力的になれば、ママ素敵と思わせられれば、あなたは私をもっと好きになってくれる?




**********

Dry Gin(ドライ・ジン)

ジュニパーベリー(胡椒のようなスパイシーな果実)を始めとする、植物で香り付けされた蒸留酒。あまり癖がなく、ストレートで飲まれることも多い。

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