3. Sweet Vermouth

 高校と大学が別々になってからは、彼女と会う頻度もめっきり減った。僕はいつしか、彼女に抱いていた淡い感情を忘れて、他の出会いを経験するようになっていた。

 彼女と会えるはずだった成人式の日は、僕が風邪を引いてしまって、集まりに行くことができなかった。もし女子だったら、何としても振袖を着たくて地団駄を踏んでいたことだろう。でも僕はどうせスーツだったし、地元の連中とはちょくちょく会っていたから、欠席することにあまり抵抗はなかった。


“久しぶり。10年って、あっという間だね。近いうちに見に行かない? タイムカプセル”


 就活を終えて少しした頃、彼女から久々にメッセージが来た。

 あれから10年。ずっとずっと一緒にいて、それが当たり前だと思っていたけれど、今じゃもう、なかなか会えない存在になっていた。彼女と会えなくなることに怖さを感じていた10年前とは異なって、今は彼女と会うことに怖さを感じていた。怖さといってもいわゆる恐怖ではなくて、互いにどれだけ変わっていて、そのことにどんな感情を抱くか分からないという、怖さ。


“久しぶり。そうだね、見に行こうか”


 僕達は日程を合わせて、懐かしの母校に赴いた。一応卒業アルバムを持って守衛さんの所に行くと、「お約束はありますか」と言われた。公立の小学校は先生がどんどん変わるから、「恩師に会いに」なんて言えない。僕がどうしよう、と思っていると、彼女は「10年前に埋めたタイムカプセル、掘り起こしに来たんです」と堂々として言った。「私達、この年の卒業生なんです。ね? 顔に面影残ってるでしょ?」と畳み掛ける。面影だけで顔認証を済ませようとする彼女の大胆さは、昔と何も変わっていなかった。事情を聞くと守衛さんは破顔して、「お帰りなさい」と門を開けてくれた。こんなに堂々とタイムカプセルの存在を言えるのなら、なぜ僕はあんなに臆病になっていたのだろう、と思った。


 彼女は守衛さんに言っていた通り、面影が割と残っている方だった。童顔な彼女はふんわりとパーマを当てて、控えめなメイクをしていた。身長は160cmくらい。ただ服装と髪色が変わっただけのような印象だった。

 一方で僕は、180cmになっていた。彼女は最初、僕だと認識してくれなかった。最後に会った時は170cmくらいだった。なんと、僕は今でも身長がわずかに伸びている。「すっごい、頼りがいある感じしてきたね」と一言目に言われて、「今まで頼りがいなくて済まねえな」と口答えをすると、「喋り方も大人っぽくなった!」と言われた。


 何となくここらへんかな、と目星をつけて、持参したミニスコップで掘っていく。僕達の勘は非常に良かったらしく、少ししてコツン、と音がした。手で土を払っていくと、10年前の缶が姿を現した。

 そっと蓋を開け、目に飛び込んできたのは僕達宛ての手紙。彼女は「うっわー! 10年前に書いた手紙! 懐かしいね、エモいね」なんて言って、早速自分の手紙を読み始めた。僕もそれに倣って、恐る恐る自分の手紙を開いた。


*******

10年後(22才)の自分へ


 おひさしぶりです。お元気ですか? 今、何してますか?

 20才をすぎたなら、お酒が飲めるのかな。うらやましいな。


 ぼくは今、自分の部屋でこれを書いています。夜10時。

 もうねなきゃいけない時間なのに、こっそり起きて書いています。


 1つ、10年後の自分に聞きたいことがあります。

 ぼくは、彩音あやねが他の男子にやさしくされてるのを見ると、不思議な感覚がします。

 余計な絵の具を紙の上に落としちゃって、絵をダメにしちゃうような、にごっちゃうような感覚です。すっごく、モヤモヤします。

 この感覚、なんていうんですか? 教えてほしいです。


 でも、この感覚をなんていうかは分かんないけど、ぼくは彩音のことが好きなんじゃないかなって思います。きっといつか、告白するんじゃないかなって思います。

 もう告白しましたか?


 もし今になっても告白してないんだったら、とんだ大バカだ。

 ぼくは10年たっても、おく病なまんまなのかな。


 まだ彩音のことが好きですか?

 好きなら、告白してみてください。ぼくは10年後の自分を、応えんしています。


                               12才の大地より

*******


 ちょうど僕が読み終えた頃に、声が聞こえた。


「えええ、私イケメンじゃーん」


 彩音は何を書いたのだろう。自分で書いた手紙だというのに、しきりに感心していた。すると彼女は、「ねえねえ」と僕を呼んだ。


「ねえ、手紙、読み合いっこしない?」


 僕は思わず自分の手紙を落としそうになる。これを読んだ時の、彼女のリアクションが全く想像できない。


「え、な、なんでだよ」

「何、何かやましいことでも書いてあるの? 罪の告白と懺悔ざんげ、とか?」


 “告白”という言葉にドキリとしたけれど、何ともない素振りを頑張って見せてみる。もう付き合いは20年を超えるけれど、この動揺はバレてない……はず?


「そんなわけねえだろ」

「じゃあ見せられるじゃん」


 僕との距離をじわりじわりと詰めてくる彼女。僕は文面を思い出す。

 ——“もし今になっても告白してないんだったら、とんだ大バカだ”

 10年前の自分に罵倒された僕。でも過去の自分に、僕は背中を押された気がした。「お前、もう良い大人だろ」って。

 小さい頃、彼女よりもずっと臆病だったはずなのに、手紙の中の小さな僕は、とても強い男の子であるような気がした。は自分で言うほど、臆病じゃない。

 僕は手紙を封筒に入れ直して、小さく深呼吸をする。彼女をチラリと見て、呟いた。


「…………2人だけの、秘密だかんな」

「えっ、内緒ごと? うっわぁ、わくわくするね。何書いてあるのかますます気になる!」


 昔から“内緒ごと”が大好きな彼女。あの頃と変わらずに目をキラキラとさせて、「みーして!」と僕から手紙をひょいと取る。男勝りな部分がだいぶ薄まって、可愛さだけが見事に抽出された感じがした。こんな可愛い彼女を、他のやつに取られたらたまらなくモヤモヤする。

 ——そうか、嫉妬だ。それがあの感覚の答えか。今更分かったよ、10年前の大地。


 僕の忠告など聞いていないかのように封筒から手紙を取り出した彼女を見て、僕はさっきより大きな声で言った。


「おい、秘密なの忘れんなよ。絶対だぞ。絶対だかんな!!!」




**********

Grand Slam(グランド・スラム)

「2人だけの秘密」

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