2. Dry Vermouth

 相変わらず臆病な僕は、学校に隠れて裏庭にタイムカプセルを埋めたことがバレやしないかと、終始ビクビクしていた。でも彼女は全く気にする素振りを見せないまま、小学校の卒業式を迎えた。


「ば、バレなきゃいいね……タイムカプセル」

「絶対大丈夫。あれだけ深く埋めたんだもん。見つかりゃしないわよ」


 そのまま僕達は、公立の中学校に進んだ。クラスが同じになることはなかった。僕は中学3年生になるまで成長期が来なくて、まだまだチビの名が定着していた。一方彼女はさらに身長が伸びた。健康診断の度に憂鬱になる僕と、見るからにウキウキしていた彼女は、やっぱり対照的で、凸凹コンビのままだった。160cmの彼女と、145cmの僕。身長が伸びても、差は縮まらないまま。

 だからなのか、僕は女子から「可愛い男子」というポジションを得ることになってしまった。「本当に可愛いよね〜」とチヤホヤされるのは、まぁ悪くはなかったけれど、思春期に片足を突っ込んでいた僕には複雑な感情が残った。一方で骨だけがぐんぐんと伸びていった彼女はモデルのような体型をしていて、女子からは羨望の眼差しを、男子からは好奇の眼差しを浴びていた。


 彼女とはクラスが違ったけれど、彼女はことあるごとに僕に相談を持ちかけてきた。場所は中学校だったり、帰りに時折寄ったファストフード店だったり、互いの家だったり様々だった。


「今さ、ちょっと悩んでて……」

「何に?」

「……これは、私達だけの内緒ごとね」


 中学生になると、彼女は人差し指を口の前で立てる仕草をやめ、僕に求めることもなくなった。ぶりっ子っぽいかもしれないから、と彼女は言っていた。


「うん、分かった」

「絶対内緒だよ。……私、好きな人がいるの」


 男勝りな彼女が、か弱い女の子に見えた。そして同時に、僕にその手の相談をしてくるということは、僕は対象外なのだということも察した。

 彼女は学年でもとびきりの美男子に恋していて、男の子目線で、女の子からどういうアプローチや告白を受けたら嬉しいか、ということを聞いてきた。


「そんなん、僕恋愛したことないし分かんないよ」

「でもほら、私のことよーく知ってるし、身近な男子っていったら大地だいちしかいないし」


 よーく知られている自覚があるなら、僕を対象にすればいいのに。

 そんなことを思った自分にびっくりして、でも平静を装いながら、曖昧なアドバイスをした。ただそんなアドバイスでも役立ってしまったらしく、彼女は恋愛を成就させた。

 小学生の時と同じ感覚がした。綺麗なキャンバスに余計な絵の具が入り込んで絵をダメにしちゃうような、濁っていくような感覚。そしてそこに新たに、ピリッとした感覚も混じった気がした。どんどん複雑になっていく感覚を、僕はまだ言語化することができずにいた。


「どうしたの、急に」


 程なくして、僕はまた彼女に呼び出されることになった。彼女は僕を見た途端に、涙をこぼし始めた。


「部活の、後輩に、彼を取られた……」

「大丈夫?」

「だいじょばないよっ」


 彼女は声を上げて泣き始めた。中学校の屋上だというのに。

 僕は失恋した女の子の慰め方が分からなくて、オロオロとしていた。そうしたら、彼女が突然僕の胸に飛び込んできた。かなり頭をかがめて。160cmの彼女が、145cmの僕の胸元に。その光景はきっと、弟が姉に抱きしめられているように見えただろう。彼女は僕の胸元で嗚咽を噛み殺しながら、吐き捨てるように言った。


「もう、もう男なんて、信じない」

「え」

「男なんか消えちまえ! クソ食らえ!」

「え、じゃあ僕は……」

「大地はいいの! ただの幼馴染だから!」


 、幼馴染。

 僕の頭をポンポンとして、僕に恋の悩みまで打ち明けるような彼女にとって、確かに僕はただの幼馴染でしかなかった。僕が彼女に抱き始めていた、ほんのり淡い感情に、彼女は気づいていなかった。

 それもこれもきっと、僕がチビで臆病だからだ。

 なんで誕生日が同じなのに、こんなに差があるのだろう。

 僕は発達に性差があることなんて、知らなかった。いや、多分保健体育で習ったと思うけれど、知らないことにしておきたかった。

 僕なら絶対、彼女を泣かせないのに。彼女をよーく知っている分、泣かせずに済むのに。


「だから、消えないで……」


 僕が“男”として認識されれば、消えろと思われる。

 “幼馴染”として認識されている今は、消えないでと言ってもらえる。


 もう僕には、何が正解なのか分からなかった。

 彼女にどう思われたら正解で、僕も満足できるのか。


 それが全く分からないまま、僕達は中学校を卒業して、別々の高校、大学へと進んでいった。




**********

Dry Vermouth(ドライ・ベルモット)

白ワインをベースに、香草やハーブを配合して作られたリキュール。辛口で、爽やかな苦味を持つ。

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