Cardinal

1. Red Wine

 自分から何かを掴み取りに行く経験。

 多くの人は、あまりないと答えるかもしれない。奥ゆかしさとか、控えめであることを美徳とするような日本人にとっては、特にそうだろう。そういった意味で、どんな時でも結構ガツガツと行ってしまう私は奇特な方に分類されるかもしれない。


 立候補制のものには、大抵何でも立候補した。それが当たれば意気込んでやったし、外れてもあまり引きずらなかった。面倒そうなグループのリーダーもあらかた経験した。

 そして何より、私が積極性を発揮したのは——恋愛であった。

 とにかく「この人だ! かっこいい! キュンとした!」と一瞬でも思ったら、すぐにアクションを開始した。相手が私のこと苦手だったらどうしよう、とかそういうことはあまり気にしていなくて、ただただ自分の直感だけを愚直に信じていた。


 けれど、そうしたアクセル全開の恋愛も、そろそろ終わりにしなくてはならない。

 もう27歳。アラサーと呼ばれる時期に来て、一人娘の私が結婚できるかどうか、両親は絶えず心配するようになった。加えて、私にはいとこもいないので、祖父母や伯父、伯母まで私の結婚に口を出す。しかし、彼らがこぞってお見合い用の写真を撮ろうと言い出した時には、さすがに止めた。1人しかいない若者を心配する気持ちは分かるが、そこまでお膳立てされたくなかったのだ。

 だから私は、次の恋愛でもう最後にしようと決めていた。——次に出会った人と、生涯を共にしようと。29歳までに、絶対に結婚しようと。


 高校時代の友達にセッティングしてもらった合コンに、私は全ての期待を託した。社内恋愛はしたくなかったからだ。

 赤いリップをしっかり塗って、席についた。私の斜向かいに座ったその人を見た途端、「アクセルを踏め」と脳が指令を出した。

 緩くパーマをかけた黒髪に、春らしいジャケットを羽織り、女性陣よりも先に料理を取り分け、笑顔を絶やさないその人に、私は釘付けだった。終了後すぐに彼に連絡して、デートの約束を取り付けて。そしていつも通り私から告白して、付き合った。この人こそが、私の運命の人。


 彼と永遠の時間を過ごすために、彼に好きになってもらうように努力した。

 自分から告白することには、メリットとデメリットがある。

 メリットは、能動態でいれば「いつ告白されるか」と不安にならなくて済むこと。デメリットは、告白されていない分、相手にどれだけ好意を抱かれているか分からないことだ。

 告白を受け入れてくれる以上は、最低限の好意があると捉えて良いはずだが、私と同程度である保証はない。だから、交際を始めてからが本当の勝負なのだ。


 お付き合い自体は順調に進んでいった。互いの家を行き来するようにも、ちょっとした旅行に行くようにもなった。その時私はもう28歳を迎えていた。あと1年。結婚式の準備ももろもろ含めて考えれば、もう時間は残されていなかった。

 半ば押しかけるように同棲を始めたのが良くなかったのかもしれない。生活を共にするようになってから、彼の素が次々と明かされていった。彼には悪気などなかったのかもしれないけれど、私にとっては、彼が何枚も何枚も仮面を外していくような、そんな気がした。

 洗濯物を所定の場所に入れない。補充が必要なものを先延ばしにする。料理の手際が悪い。なかなか起きない。

 合コンの時に見た、細やかな気遣いを怠らない彼とは正反対の人格なんじゃないかと疑ったくらいだった。……でも、彼との恋愛で最後にすると決めたのだ。


 きっと結婚すれば、ちゃんと話し合えるはず。もし彼が色々できないままでも、私が全てやれば大丈夫。彼は忙しいのだから。私が得意なことは、私がやれば良い。


「洗濯物、畳んでおいたよ」

「うん、ありがとう」


 畳み方は違うけれど。そんなかさばる畳み方、しないで欲しいけれど。


「買ったもの置いといたよ」

「助かる。ありがとう」


 自分で冷蔵庫に入れて欲しいけれど。家に商品を持ち帰っただけで買い物終了なんて、思わないで欲しいけれど。


 きっと、私がわがままなだけだ。彼氏とこんなに長く恋愛が続いたのは、初めてなのだ。私を受け入れてくれるのは、もう彼しかいないんだ。

 だから今日も私は、嘘をつく。彼の目を見て、嘘をつく。


「ねえ、まだ俺のこと好き?」


 好きという感情の意味が、分からなくなってきていた。人を好きになることと、一緒に過ごしていて楽であることは、違う気がした。楽な人を探した方がいいんじゃないか、そんなことをふと考える。でももう、29歳はどんどん近づいている。縁談を全て断って、「29歳で絶対に結婚するから」と親類に啖呵たんかを切ってしまった以上、もう引き返せないのだ。これで頓挫とんざしたら、私は親類の言いなりになるしかなかった。


「うん。大好きだよ」


 だから今日も私は、真っ赤な嘘をつく。彼の目を見て、嘘をつく。

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