第四話 カワリユク 6

 何事もなく、時は歩いていた。誰からも阻まれること、束縛されることなく。輝くものたちも、どうすることができやしない。

 類子のいる街の北、何事もない白い小惑星の横を通り過ぎて、時は午前二時三十六分となる。そして謙吾が何事もなかったように、自らで上半身をベッドからゆっくり起こし、面を俯かせ、また動かなくなる。

 類子は何事もないなんて、これっぽっちもない。謙吾のいる傍らで立ち尽くし、変化を見届けた。何事もなく、気を遣ってくることなく、心配、不安、動揺、困惑は、内にぎゅうぎゅう詰めで勢揃い。

 謙吾の寝ぐせだらけの頭髪を、類子は落ち着かない胸に手を当て見つめる。低血圧な彼らしく、起きてすぐに覚醒できていないのか、と思えてしまう。声をかけようか迷う。時が三十八分となって、声をだした。

「謙吾。大丈夫?」

 うん、と謙吾が頷くような反応を示した。

「本当に、大丈夫なの?」

「ああ。大丈夫」

 謙吾から声をだされ、類子は息を飲みこむ。鼻と口から普通に息をだしてしまうのが何だか怖く、鼻の穴から静かにだす。

「妙に、体が苦しくないな。ひと眠りしたから、調子が良くなったのかな」

 謙吾が小声でいって、類子のほうへ顔をあげる。黒い点がない白い瞳、悪化したニキビ跡に似た紫色の点が全体に広がった茶色い顔、と変わってしまっている。輪郭線は彼そのもので変わりのないが、「これは、謙吾なのか」と類子は疑いかける。

「ごめんな。さっきはお粥をあんまり食べれてあげれなくて。もう少ししたら、また食べるよ」

 紫色の唇から、照れ臭がる、彼の優しい声が発せられる。彼であるのに間違いないのだ、と、類子は理解した。さて、どう接したらいいものかと困る。彼の言葉からして、彼の身に何が起こったのかを気がついていないのだと思える。その証拠のように、彼は苦笑して、目元に不安を宿す。

「そんな不安そうな顔をして、どうしたのだよ? 俺のことで不安なのか?」

 類子はちょっと悩んでから、正直に頷く。すると、彼から明るく笑われ、久しぶりに聞く明るい笑いに驚かされる。

「不安になるなよ。俺はもし死んでも必ず、お前のところへ戻ってくるから。……いや、言葉が悪かったな。これから眠る時間をもっと増やしていけば、自然と元気になるさ」

 鼻根が痛くなり、類子は泣きたいのだろうと分かる。堪えようとしたが駄目で、泣きだせば、謙吾から明るく励まされる。泣くのを堪えながら、謙吾を見据える。

「わたしのこと、どう思う?」

「どうって」詰まって、謙吾は白い瞳を瞬かせる。照れ臭そうに頬を掻きながら、「それは分かっているだろう」

 うん、と類子は頷く。彼に聞きたいことから外れての答えで、質問の仕方に間違いであったと思うが、もう聞きたいとは思わない。自然と笑み、彼の傍らで座った。彼から肩に手を置かれ、笑まれる。

「俺は大丈夫だから」

「うん。分かっているよ」

「不思議なくらいに、世界が白く、ぼやけて見えてはいるけどな」

「そっか」

 類子は謙吾の肩に頭を乗せ、目を閉じた。黒い視界の中、彼の変わらないにおい、手が頭を優しく撫でてくるのが分かる。疲れていて重たい頭だ。心はとても軽くなる。一瞬だけ、あたり一面に無数の流星に似た、散らばり走る小さな光が見えた。

 ひと知れず、時は午前三時間近になろうとする。類子のどこかでは、変化が起こりだしていた。



 第五話 終

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