第三話 ナニ ニ オモワレタノカ 4

 目の下がじんわりと痛み、彰人は瞬きをした。

 真っ暗な中でも、目の前の遠く先にある、天井につり下がる電球が見えてしまう。目がすっかり闇に慣れてしまった。十月二日の今夜もひとり、真っ暗な寝室のベッドに横たわるだけで、眠らないで過ごすことになる気がしてきた。もう既に翌日になっている気もする。

 近頃から体調のために寝なくてはという心配、焦りはない。寝ない日が何日も続いたりする期間が、既に四か月経るも、今のところ朝がくれば問題なく仕事できているから。眠気もなければ、眠りたいという欲求もない。だから仕事着のままで、パジャマに着替えずにもいる。

(もはや、寝ようという体勢もしていないな……)

 彰人は、自分に対して失笑した。煙草を吸いたくなり、コートの内ポケットから煙草の箱と百均ライターを取り出した。

 ベッドの上で横たわりながら、黙々と煙草を吸っていると、枕元に置いてあった私用の携帯電話が鳴った。こんな夜遅くに電話をかけてくる人間を思い浮かばない故、不思議に思いつつ手にした。山海からの着信であった。慌てて身を起こし、応答した。

 ――すぐに俺の家に来てほしい。俺が呼んだことを誰にもいうな。家の近くに着いたら、連絡してくれ。

 山海から静かな声色でそう頼まれ、一方的に通話が切られてしまった。彰人は嫌な予感がした。家を飛び出し、山海の家へ車を走らせた。

 山海の家の近くで下車した時、十月三日午前一時近く。郊外の住宅街の離れにあるこの家の辺りは、時折こおろぎの鳴き声がするも、静かであった。彰人は山海の真新しい家を一見し、昨年引っ越しの手伝いをしたのを思い出す。そして車の近くで、頼み通りに山海に電話した。

 ――玄関の扉は開いているから、チャイムを鳴らさずに家の中に入ってきてくれ。

 彰人は山海に従い、チャイムを鳴らさずに玄関の扉を開けた。山海のいう通りに扉が開いていたことから、嫌な予感が強まり、腰に下がる拳銃を手にしてから、扉を通り抜けた。玄関で山海を呼ぼうとする前に、家の奥から山海に静かな声で台所にいることを教えられた。靴を脱がずに家へあがり、拳銃を構えながら台所へ足音を潜ませてゆく。

 台所近くになり、彼の鼻が死臭を微かに捉えた。思わず、足をとめてしまう。それを山海から察知されたのか、「安心しろ。お前に危険なことは何もない。頼むから早く来てくれ。時間がない」といわれた。信じて、足を進めた。

 台所では鼻がねじ曲がりそうな死臭が漂っていた。その中で、山海は無表情で拳銃を下げて持ち、佇んでいた。山海は足元を見下ろしていて、足元には女がうつ伏せになって倒れている。彼女から一メートルほど離れたところに、老若男女の判定ができない人の形をしたものが、仰向けに倒れていた。

 彰人は恐る恐ると山海に声を掛ける。山海は身体を震わせだし、目つきを鋭くさせ、涙を流しだした。

「今夜も遅くまで仕事だった。家に到着したのは、昨日の午後十一時だ。家に帰ってみたら、台所で嫁が死んでいて、あそこにいるおもどりになられた者がいた。俺は、あのおもどりになられた人をお返しした。その直後、嫁はおもどりになって、俺に教えてきた。『台所で食器洗いをしていたら、突然知らない人、おもどりになられた人に襲われた。家の戸締りをちゃんとしていたはずなのに』っと。俺が家に帰ってきた時、玄関の施錠はされていた。――あのおもどりになられた者はどのようにして、ここへ入ってきたと考える?」

「玄関以外の場所から入ってきた、ですね」

 山海は、おもどりになられた人のほうを睨む。

「あれ……いいや、あの者がどのようにして入れると思う? 相当腐敗が進んでいるおもどりになられた人は意思、思考を失っている場合が多い。あの者の意思で、ここに侵入してきたのだろうか?」

 彰人は首を傾げる前に、山海は続けた。

「妻は恨みを買う者ではない。俺と結婚する前に交際した者はひとりもいない。常日頃、家の戸締りをしっかりしている。今日、偶々家のどこかの戸締りをしていなくて、不幸にもおもどりになられた人に理由なく侵入され、襲われたのか?」

 山海が悔しげに唇を噛みしめ、足元の倒れる女のほうを見る。彰人は山海の顔を見つめ、何も言葉が出てこなければ、頷くことも、首を横に振ることもできない。

「これは事件だ。間違いなく」と、山海は断言して、彰人を見た。「お前なら信用できる。理解してくれると思って、呼んでしまった。悪かったな」

 いいえ、と彰人は何とか答えることができた。

「俺があそこにいるおもどりになられた人と、おもどりになった妻をお返しした。――妻から、他の者ではなく、俺によってお返しして欲しいと頼まれた。おもどりになった人は脳髄を破壊する方法が、一番本当に楽におかえりなれる方法なのか。何をいっているのだ、俺は。……ああ。銃声を起こしたから、きっと近隣住民が通報している。だから間もなくすれば、お仲間が来るだろう」

 彰人は胸騒ぎがおこる。この胸騒ぎを、山海に何と伝えればいいのかと戸惑う。

「俺はもう駄目だ」

 山海は静かにいって、瞬時に銃口を蟀谷に当てて、引き金を引いた。銃声が高らかにあがる。自分の鼓膜を銃声が震わせてきた――とまで、彰人は覚えていて、それから記憶が飛んだ。長い記憶の喪失ではなかった。記憶が戻り、倒れる山海に駆け寄り、山海の頬に手を触れれば、温もりがあったから。

 彰人は山海の傍で正座をし、山海がおもどりになるのを待ってみた。頭を拳銃で撃ち抜いて亡くなった者で、おもどりになられた者と今まで出会ったことがない。自分は本当に愚かだと思う。どこかでおもどりになるのでは、と期待をしている。絶対に、山海はおもどりにはならない、とも考えているのに。脳を破壊したからじゃない、山海はひとりじゃないから。

 近隣から通報を受けた同僚たちが自分のもとにやってきて、彰人は期待を裏切られた。期待なんてするものではない、と、またも思い知らされた。


 

 続

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