第二話 ドコ ガ イタイノ? 2

 今日の朝の風はやけに冷たい。五月の上旬は春なのであろう。けれども季節のどこかではまだ冬が微かに残っているのかって、身体を不思議がらせる。

 明里がコンビニから出ると、そんな風がまた吹いてきて、髪と制服のスカートを揺らされ、スカートと靴下の間の皮膚を冷やされる。じんじんと痛む頬が風に撫でられ、それが妙にくすぐったくて、頬を手の甲で摩った。家を出てから随分経過するのに、母からもらった痛みは残る。

 コンビニの近くで明里は座りこみ、さっき買ったばかりの紙パック入りの苺ミルクにストローを刺して飲みだす。苺ミルクはよく冷えていて、胃まで流れ冷やす。何気なく空を見上げる。水色の空で千切れちぎれの雲が泳いでいた。

 これが生きているという体感なのかな、と明里は頬の痛みから考えだす。生きているから痛いんだ。生きているから痛むのかな、なんて考えちゃったら、わたしは学者なのかな。

 さて、このまま素直に学校へ行こうか、それともひねくれて繁華街へか、と彼女は迷いだす。肩に掛ける鞄から携帯電話が震えるのを感じ、携帯電話を確認してみれば、待ち受け画面に数件の着信履歴に、四通の新着メッセージを報せる表示があった。

 待ち受けの表示だけで、電話してきた者はすべて母から。四通のメッセージの送信者は、一通は母から、二通はつぐるから、残りの一通は紅葉からと、ちょっとした詳細があるので、明里は知ることができた。

 まず初めに、家で憤慨している母を明里は思い起こして、苛々する。次に、自分と同じ高校二年の、学校のグラウンドで野球部のユニホーム姿の男子、こちらに向かって歯を見せて笑いかける告を思い起こして、さらに苛々する。最後に、教室で自分の前の座席につき、微笑んで振り返って、配られたプリントを自分に手渡してくれる可愛い女の子――紅葉を思い起こして、アイスが溶けていくみたいに苛々が和らいだ。

 明里は紅葉からのメッセージだけを開いて読む。

  学校に早くおいで。明里ちゃんが来ないなら、わたしは家に帰っちゃうぞ!

 思わず、明里は嬉しさから口が笑った。紅葉からの送信時間が今から十分前と確認してから、画面を人差し指で早く打ちだす。足は自ずと学校へと向かいだした。

 返信遅れてごめんね。交差点近くのコンビニ前だから十五分もしないで到着するから。ほんとーに、ごめんね。

 そうメッセージを送り終えると、明里は携帯電話を鞄に突っ込んで、学校へ全力で走る。空気を全身で掻き分け、腕を前後へ動かしながら、「紅葉に早く会いたい」との願望が胸で駆ける。

 横断歩道が迫り、そこの信号機は赤に灯る。車が走ってくる様子でないので、無視をして突入する。渡り切った後で、後ろから車のクラクションの音がしたが、足をとめない。

 学校への最短コースである住宅街を通る小道へ、明里は入っていく。曲がり角の多いコースで、面白味のない、店がひとつもなければ、人通りも少ない道、と相変わらずに思わせられる。

 このペースなら十五分以内でつけるな、と明里は考えだした時だった。右足に嵌る革靴の靴底が地面に食いついたが、噛みとどまることなく、右足を後ろへ高く引きあげる。その弾みで体勢が崩れ、前へと体が倒れていく。反射的に両腕が顔を庇うように顔前でクロスして、地面に強い衝撃を受け着地する。着地と共に、チャックが開けっ放しだった鞄の口から化粧ポーチ、筆箱、小物やらが飛び出し、道に散乱する。

 痛い。かなり痛い――と明里はまず両腕から、次に全身へと感じてから、その後で自分が滑って転倒したと理解した。

 明里は体を起こして地面に座り込み、一番痛いと感じる両腕を見る。両腕には裂けた皮膚と滲み出る血で織り成す斑模様ができあがり、裂けた皮膚の所々に砂利が入り込んでいる。それから、次に痛い膝小僧を左右みれば、どちらも開花したように皮膚が破け、破けたところから血が滲みだしている。

「くそが」

 明里は漏らす。左腕に埋まる砂利を指で摘みだしながら、何故転んだのかと探るために後ろを見る。原因っぽいもの、破れかけで、くしゃくしゃのチラシが地面に落ちている。むしゃくしゃして堪らない。

 右腕の砂利を取り除きにかかった時、自分の後ろから横を、男がゆっくりとした歩調で通りすぎた。

 男は長袖シャツ、ジーンズを着て、スニーカーを履く。背格好からして若そうに、明里には見えた。散歩中のような、急いでいない雰囲気。

(女子高生が怪我して蹲っているのに、男のくせに手助けしないの?)

 明里は男に対してわざと聞こえるように舌打ちをした。しかし男は振り返ることなく、歩調を変えずに歩み、散乱する私物を気に留める様子なく横切ろうとする。彼のスニーカーが化粧ポーチと掠って、明里は頭に血がのぼった。

「おい。こらっ。てめぇ」

 明里が吼えると、男は立ち止まってから、顔だけを振り返らせた。男は顔を黒く崩壊させ、右目だけはあるべきところで白濁し、下顎が抉れられたように欠如していた。

 ――おもどりになられたやつ、か、と明里は判断して、男の顔を見つめる。男はお辞儀もせずに、くるりと前を向きなおして歩きだす。

 おもどりになられた人を見かけたら すぐに〇2×番を!

 斜め前にある家を囲むブロック塀に、そう黒字で書かれた黄色い金属板が貼られているのを明里は目に留まる。つい笑いをこぼしてから、立ち上がる。周囲を急いで見渡し、近くにある家には道路へ晒した花壇があり、その中にレンガが一個置かれているのを発見した。

 明里は花壇に駆け寄って、レンガを手にいれる。すぐさま男の背後へ駆け寄り、男から一定の距離を置いて立ち止まり、男の後頭部を見つめ、レンガを高らかに振り上げてから、鬱憤が晴れるように力任せに投げた。


 続

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