第一話 タベチャイタイ 7

 最初の速報が入ってきてから僅か十分しか経過していないのに、次から次へとテレビの上部に新しい速報のテロップが一分も刻まずにひっきりなしで流れてくる。日本における速報だけではなく、世界各地における速報だ。

 テレビには、青いナース服を着た外国人の女が涙ぐみ、額に手を当てているのが映される。彼女は記者たちからマイクで囲まれている。

「混乱していて、よく分からないの。亡くなった患者さんが突然に体を起こして、ドクターに襲い掛かったのよ」

 外国人の女が外国語で喋る声に、日本語翻訳の女が喋る声とが重なって、テレビから流される。

 征矢はテレビと見つめあいながら、外国人の女のように額に手を当て、混乱させられる。頭の中を整理させると、要は、今現在世界各地で、主に病院と事故現場において亡くなった人間が蘇り、生きている人間に襲いかかっているという出来事が起こっているのだろうか。

 ウイルス。ゾンビ、の二つの単語が征矢の頭脳で交錯する。ゲーム、映画さながらのゾンビパニックが現実で開催されたとしか思えない。先ほど友人からついさっき携帯に送られてきたメッセージを見直す。それは「ゾンビが発生した」との旨のメッセージだ。

(美香……)

 征矢は美香のことが心配になってくる。美香に電話をかけてみるが、待てども繋がらない。「今どこにいるんだ?」とメッセージを送ってから、また電話をかけるも同じであった。

 もう一度美香にメッセージを送った後、征矢は玄関の扉を見やる。今から、美香が立ち寄るコンビニに行こうか、最寄り駅へ向かってみようかと考え始めると、自然と体が動きだし、ジャケットを羽織り、玄関へと向かう。

(ここを越えていいのか……)

 征矢は玄関のドアノブを掴んで、体の動きがとまった。体が動かなくなる。暫くして携帯電話で美香に電話をかけてみる。繋がるのを期待するも、繋がらない。

 間違いなく、と征矢は考えだす。美香は応答することができない状況にいる。何かあったのだ。

 警察――が頭に浮かび、征矢は警察に電話をかける。すると回線が繋がらなかった。遂には、国内で電話回線がパニック状態に陥っているのだと考える。

(どうしよう……)

 征矢は扉の前から動けない。扉の向こうでは、映画みたいにゾンビの群れが待ち受けているとは想像のし過ぎで、速報が入ってから一時間も間もないのに、そりゃないだろうと判断している。ゾンビがいるのではという怖さから、身を動かせられないのではない。今この扉を越えれば、知りたくないことを、必ず知らなくてはならない気がして怖いのだ。

 美香から連絡がくるのを期待して携帯画面を見つめる。画面に表示される時刻が進んでいく。どんどんとゆっくり進んでいく。――どんどん、どんどん。

 どんどん、とゆっくり鈍い音で、扉が唐突に鳴った。誰かが叩いたと征矢は判断し、即座にドアスコープに目を当てた。

 扉の向こうに、美香が立っていた。目を真っ赤にさせて涙ぐんでいた。顔は非常に血色悪く、いたるところに無数の細い線の傷がある。髪は乱れ散らしている。彼女の着るピンク色のトレンチコートはあちこちに黒い染みで汚れ、前のボタンが留められておらず開きっぱなし。その下にあるブラウスも黒い染みで汚れ、胸元のボタンが壊れている。

「征矢。早く開けて。中に入れて」

 征矢はドアスコープから目を離す。彼女の血色の悪い顔から、扉を開けるのに躊躇う。――ゾンビに襲われたのでは、と想像させられる。征矢が見てきたゾンビ系の映画では、もしもゾンビに襲われたら、襲われた相手はただの怪我からでもウイルス感染でゾンビになる。

「体のあちこちが痛いの」

「何があったんだ?」

「いるんだね。開けてよ。助けて」

「まず答えろっ」

 征矢は苛立って吠えた。

「ひ、ひどい。……征矢の家へ行く途中で、たいちさんが待ち伏せしていたの。ナイフを持っていて、振り回してきて、わたしをいっぱい傷つけてきたの」

 太った中年の男の笑い顔を、頭の中で征矢は思い描き、歯を食いしばらせる程の激しい怒りがこみあがる。扉の向こうから美香のすすり泣く声が聞こえてくる。

「わたしのこと好きじゃないのだね。遊びなのだよね。わたし、知っているのだから。わたしと付き合いだした時、征矢に彼女がいたこと。その彼女は征矢と同じ大学で、わたしなんかよりも見た目も頭もずっといいことだって」

 そんなことないっ、と征矢は扉に向かって叫び、急いで扉を開けた。目の前にいる美香は幸せそうに微笑んでいた。そんな彼女が愛おしく、思わず抱きしめる。

「俺はお前のことを愛している」と告げた時、美香の背中に目を奪われた。背の衣服は原型を留めていないほど裂かれており、左胸にナイフが根本まで刺さっている。首筋に当たる美香の頬は冷たすぎる。

 征矢は体に戦慄が走り、美香から離れようとしたが、首に腕を巻きつかれ、喉仏に歯を食い込ませられる。食い込ませてくる力が強く、喉が潰されたのか声がでない。食い込まれたところから温かい液体が一気に夥しく溢れ、喉元から胸へ伝わり感じる。意識が朦朧とし、美香に後ろへと押し倒される。

「――死んだはずの父がしゃべったのです。息を吹き返したって思った。僕と消防士さんとしゃべって、ポケットから鍵もとりだして。けれど、突然、あの人に襲いかかって」

 部屋の奥にある点けっぱなしのテレビから、怯えて訴える男の声が流れてくるのを、征矢は朦朧とした意識の中で捉える。食い込まれた歯だけでなく、冷たくも柔らかく愛おしい唇を喉で感じながら、次第に視界が揺らいでいった。



 第一話 終

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