第一話 タベチャイタイ 4

 カラオケボックスの小窓から薄色の空が見える。「なんとも気持ち悪い色。雨でも降るのか」と征矢は長椅子に座りながら考えつつ、目の前にあるテーブルへ目を戻した。テーブルに置かれるフライドポテトが盛った皿へ手を伸ばし、一本口に運ぶ。健康に悪そうなサラダ油の味、強い塩気が口に広がると、ますますお腹が空いてきた。

「お前、話を聞いているのかっ」男はテーブルを拳でたたき怒鳴ってきた。

 はい、と征矢は男をまっすぐ見て答えた。男はテーブルを挟んで自分と向い合わせに長椅子に座る。真面目な顔をしなくてはいけないのに、男の赤ら顔が滑稽に見えて失笑しそうになる。この男の名前はすだたいちであることを思い出してから、「たいちさん」と呼んだ。

「俺たちよりもずっと年上なのだから、普通に喋ってはくれませんか? 俺はともかく、美香さんは怖がっていますから」

 征矢は美香を見やる。美香は俯き、肩をすぼませ、征矢とたいちの間にある椅子に腰をおろしていた。美香のすすり泣きが聞こえてくる。

「いいか。今後二度とみっちゃんに近づくな。この最低やろう。みっちゃんの他にも女がいるくせに」

「さっきから他にも女がいるって、どういう意味なのかよく分かりません」

「付き合っている女がいるってことだよ」

 いませんけど、と征矢は正直に答えた。もう一人の恋人だった同じ大学の子とは馬が合わなくなって、先月に別れていた。「いないから」と美香にいい聞かせると、美香から小さく頷かれた。そして確信させられたことを、いうことに決めた。

「あの。さっきからお話を伺っていて思ったのですが、たいちさんは俺のストーカーですか? 俺に美香の他に恋人がいるといいだしたりと、つまり俺を調べたり、つけたりした?」

 たいちは目を見開かせ、唇を閉める。図星なのだ、と征矢に確信させ、尻尾を掴んでやれた嬉しさで笑いを吹いた。

「そうなのですね。そうですよね。さっき、突然とたいちさんが俺たちの前に現れたのは、俺をつけていたから。――お前がやっている行為は犯罪行為だよ」

 たいちは何もいわないで、真っ赤な顔をして、身体を小刻みに震わせだす。征矢は先を越されたくなく、笑いたいのを我慢して続ける。

「あんな人前で俺のことを死ねだの、名誉棄損だ。ストーカーに、名誉棄損で、今からでも警察へ行ってやろうか?」

 一瞬の内でたいちの顔を赤から白へと変色させられ、征矢は堪えていた笑いがでた。

「今後二度と近寄ってくるな、とはお前のことだよ。俺に、美香に、二度と近寄ってくるな。近寄ったら、警察だけじゃなく、お前の会社へ電話かけてやるよ」

 征矢は黙り、腕を組む。たいちに、美香は何もいわない。隣の部屋からの音楽と歌声が伝わり聞こえてくる。隣からの音と美香のすすり泣きを暫く聞いてから、席を立ち、美香の肩を掴み軽く揺する。「ここを出よう」と美香に促すと、頷かれる。彼女の手を掴み引くようにして、彼女を立たせた。

「覚えていろよ」

 白い顔のたいちが捨て台詞を吐いてきて、征矢は鼻で笑い返してから、美香を連れカラオケボックスから出て行った。カラオケボックスから出た後は、腹がもうぺこぺこで、この近場にあったファミレスを思い出して、自然と足がそのファミレスへ向かいだす。

「俺のこと嫌いになっちゃった?」征矢は美香の手を引きながら、悲しげに尋ねてみた。

 瞼を赤く晴らし、憂鬱な顔をする美香は首を横に振った。

「あまりの酷い侮辱であったまにきちゃったんだよ」

 征矢の言い訳に、美香は頷く。

「俺は美香のことが好きだよ。心配もしている。もしもさ、あのカレが美香に近づいてきたら、俺に教えて」

 この発言に何一つ嘘を、征矢はついていなかった。嘘だと思われたくなくて、彼女の手を握りしめる手にやや力を込める。彼女から微笑まれ、頷かれたが、心配は消えなかった。気持ち悪い心地にもさせられる——不吉なことの訪れを報せるような薄色の空が、頭上でまだ広がっていたからかもしれない。

 征矢は美香とファミレスで食事をし、中断となっていた繁華街でのデートを再開し、徐々に薄色の空は変化していき、午後八時頃には紺色の空へと変わった。紺色の空の下で、征矢が美香に自分のアパートへ行かないかと誘いだしていた時、美香の携帯電話が鳴った。

〈僕は君のことを忘れない。いつまでも君を思っている。いつまでも君をどこかから見ている。 たっくんより〉

 顔を真っ青にさせた美香から、征矢は携帯電話にそう綴られたメッセージを見せられた。腹の底からたいちへの怒りがこみあがり、「今から警察へいこう」と美香を誘った。

 美香は首を大きく横に振った。

「そんな可哀そうなことできないよ」

「あいつは美香のことをストーカーしだすつもりだ。いや、既にしているのかも」

「そんなことないよ」

 なんて彼女がいった直後に、また彼女の携帯電話が鳴り、たいちからのメッセージが届けられた。


 続

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