魍魎調伏

雷の体が崩れ落ちた。


ベンチの断片が両腿りょうももに刺さり出血している。


「……くっ!ごめん姉さん」


苦痛に顔をゆがめ少年がうめく。


「雷っ!」


青ざめた表情で風が駆け寄る。


「しっかりして!大丈夫よ」


痛みに震える弟の肩を抱きながら、懸命に声をかける。

その目に光るものが見えた。

並外れた力を持っていようと所詮は子どもだ。

肉親の惨状に平静を失っても無理はない。

その様子を見て、俺の中にある決意が芽生えた。


「風、俺があいつの注意を惹きつける。その隙に接近するんだ!」


それだけ叫ぶと、俺は足元に転がる木片を拾い上げた。

今の俺にはこんな事くらいしか出来ない。

こいつを始末出来るなら俺の命など安いものだ。


そう……


俺一人死んだとしても、大した事じゃない。


「待って、佐伯さん!そんな事したら……」


風の制止を振り切り、俺は木片を振り回しながら大声を張り上げた。


「やいっ、化け物野郎!遊びたいなら俺が遊んでやるよ!」


その言葉に、幼女の顔がゆっくりと俺の方を向く。


「ほら、来いよ!遊んでやるって言ってんだ。早く来い!」


次の瞬間、その顔に異変が起った。

口角こうかくが耳元まで裂け、頭部から角のようなものが生え出す。

真っ赤に染まった目からは、血の涙が噴き出した。

もはや人とは言えぬその形相に俺は言葉を失った。


『遊んでぇぇぇぇっ!!!』


変異した幼女の口から、異臭と共に絶叫がほとばしった。

途端に、凄まじい突風が俺に襲いかかった。

辺りに散乱していた木片や金属片が巻き上がり、飛弾ひだんとなって降り注ぐ。


「危ないっ!」


声と共に、俺の前に人影が立ちふさがった。

鈍い音と同時にその影が崩れ落ちる。

啞然とする俺の眼下に、胸元から血を流した風の姿があった。


「ふうっ!?」


俺は叫びながら、倒れかかる体を抱きとめた。


「馬鹿っ!なんでこんな事を……」


破片は貫通しており、すでに手のほどこしようが無かった。

逆流した血が、咳き込んだ口から漏れ出る。


「……本当に……せっかち……ですね」


血塗ちまみれの口が、ぎこちない笑みを作る。

最後の力を振り絞るかのように、震える手が俺の胸に当てられた。


「しん……おん……だいじょう……ぶ」


それだけ呟くと、手は胸から離れ落ちた。

目蓋まぶたが、ゆっくりとふさがる。


「うわぁぁぁっ!!」


冷たくなり始めた体を支えながら俺は絶叫した。


なんなんだ、これは!

まだ子どもだぞ!

ほんの子どもなんだぞ!


頬から生暖なまあたたかいものが流れ落ち、少女の額を濡らす。


なぜ自分を代償になぞしたんだ!


俺なんかよりお前の方がずっと生きる価値があるんだぞ!


それがなぜ!?


目が霞んで何も見えない。


…………!?


俺の中で何かがはじけた。

焼けつくような熱いものが体中を駆け巡った。


怒りだ──


少女を殺したものに対する憎しみが、自制心の壁を打ち崩した。


よくも……


よくも、やりやがったな!


気付くといつの間にか暴風は止んでいる。

遠くで、くくっという幼女の笑い声が聞こえた。

邪魔な祈祷師を始末し悦に入った声だ。


俺は風の亡骸なきがらを静かに下ろすと、その手に握られていた勾玉まがたまを手に取った。


「だ、だめだ佐伯さん!」


後方であえぐような声がした。

両足を損傷し身動き出来ない雷の声だと分かった。

だが俺は振り向かなかった。

頂点に達した憎悪は、もはや制御不能だった。

俺は立ち上がると、ふらつきながら前進した。


一歩、また一歩。


幼女は遊んでもらえると思ったか、そんな俺を嬉しそうに眺めている。


殺してやる!


俺の頭にはそれしか無かった。

幼女は、左手に抱えたボールをゆっくり前に差し出すと何か呟いた。

やがてそれに呼応するかのように、ボールがぐにゃりと変形し始める。

小さな円錐形に、気泡のような空洞がぷつぷつと開く。


それは……


どう見てもだった。


幼女はさらに口角を釣り上げ、俺の方を指差した。

するとその空洞の一つ一つから、小さな黒い物体が飛び出してきた。


蜂だ!


想像を絶する蜂の大群が、波のようにうねりながら向かってきた。


瞬く間に、俺の体はその波に飲み込まれてしまった。

数え切れない程の針が、全身に突き刺さり激痛が走る。

衣服は破れ、あちこちから血が噴き出した。

気の遠くなるような痛みの中、俺は無意識に勾玉まがたまを前方に差し出した。


と……


どうした事か、突然蜂の襲撃が止まった。

まるで防虫剤を散布したかのように、寄り付かなくなった。

俺の頭上で羽音をたて渦巻いている。


これもあの子らの力か?


俺は、風と雷がありったけの霊力を込めた勾玉まがたまを握り締め前進を続けた。

幼女が微笑みながらも、不思議そうに首を傾げるのが見えた。


あと少し……


あと一歩……


手を伸ばせば届く距離まで近付いた時、幼女の表情が変化した。

先程までの笑みは消え失せ、眼光が燃えるように赤く瞬いた。


『シャァァァァァッ!!』


威嚇じみた奇声を発し、巨大な口が開く。

びっしり並んだ鉤爪かぎつめのような牙がき出しになった。


『シャァァァァァッ!!』


幼女の右手が、俺の左胸に掴み掛かる。

鋭い爪が肉にくい込み、血がほとばしった。

狙いは俺の心臓のようだ。


だが、俺はひるまなかった。

不思議な事に、痛みを感じなかったからだ。

その理由はすぐに分かった。


風の残した最後の力……


心音しんおんまじない】が効いているのだ。


心音……大丈夫……


少女の死に際の言葉が、俺に最後の力を注ぎ込んだ。

俺は幼女の手を片手で掴むと、勾玉まがたまを握った腕を振りかぶった。


「この……クソったれ!!」


幼女の額めがけ拳を叩き込む。


ぐしゃっ!!


驚く程感触の無い皮膚に、勾玉まがたまがめり込んだ。


『ギャァァァァァァァッ!!』


断末魔の悲鳴が、幼女の口から迸った。

顔面を両手で覆い、信じられない角度でる。


明らかに効いていた。


俺がさらに打ち込もうと身構えた時、幼女の身体から何かが飛び出した。

それは黒い影のようなものだった。

噴水のように、次々と飛び出しては中空を跳ね回る。

それと共に、幾つもの声が耳に飛び込んできた。


【……あんな奴死ねばいいのに……】

【……いつか仕返ししてやる……】

【……あいつまた虐めてやる……】

【……嫌な奴苦しめ苦しめ……】


恨めしい

妬ましい

憎い……憎い……憎い……


その罵詈雑言ばりぞうごんは、影の一つ一つから放たれていた。

幼女に目を向けると、両膝をつき苦しそうにあえいでいる。

影が抜けていくたびに、弱っていくのが見て取れた。


その時、俺はこいつの正体を悟った。


駅を利用する奴らが垂れ流す恨みつらみの数々──


不浄な感情から生まれ出しもの──


姿


駅という閉鎖空間の中で、日々尽きる事の無い恨みや憎しみをかてとし増殖したのだ。

勾玉まがたまの霊力で【穢れ】がはらわれた今、弱体化しているのが何よりのあかしだ。


俺の中でかつて自分を仲間外れにした者、虐めた者を恨んだ記憶が蘇った。

頼みもしないのに、こんな体質に産んだ両親さえ恨んだ。

分別ふんべつのつく年齢になった今でも、心の奥底ではなお恨み続けている自分がいる。

俺が自分を卑下ひげし、命を軽んじる理由も恐らくこれが原因なのだろう。

分かってはいたが、認めたくなかっただけだ。


なんの事はない。


つまり俺も【穢れてる】って事だ。


きっと別の場所で、別の駅で、

人を自殺に追いやっているに違いない。


ならば……


ならば尚更、始末をつけねばなるまい。


もう一人の俺に終止符を打たなければならない。


この馬鹿げた連鎖を終わらせなければならない。


俺はうずくまる幼女に歩み寄ると、静かにその体に手をまわした。

その途端、手にした勾玉まがたまから極彩色ごくさいしょくの光が一斉にはじけ飛んだ。

風と雷の霊力が一気に開放されたのだ。 


『ギャァァァァァァァッ!!!』


再び幼女の口から苦悶の叫びが迸った。


もはや振りほどく力も残っていないそれは、頭を揺らしてただ叫び続けた。


やがてその声に呼応したかのように構内が振動し始めた。

ごぉぉという地響きが辺りを揺るがす。

その揺れは次第に大きくなり、やがて立っていられない程になった。

天井や壁には亀裂が走り、土埃つちぼこりが雪のように舞った。


これ以上の残留は危険と判断した俺は、幼女から手を離し立ち上がった。

仰向あおむけに倒れたそれは、すでに事切れていた。

微動だにせず、口からは濃緑色の液体が垂れていた。

締め付けるような虚無感に襲われたが、俺は頭から振り払った。


今こいつと心中する訳にはいかない。

まだ最後の仕事が残っている。


俺は地響きの反響するホームを、雷の元へと走った。

気を失ってはいるがまだ息はある。


「風、こいつは必ず助けるからな……」


そう言い残すと俺は少年を肩に抱え、立ちこめる粉塵ふんじんの中を走った。

波打つ階段を上りかけて、反射的に振り返る。

崩れ落ちた瓦礫がれきが、幼女の上に降り積もるのが見えた。

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