第54話:味なご奉仕


「――くん、雪生くん~~!!」



 雪さんの僕を呼ぶ声で僕は目を覚ました。


 目蓋を開くと、そこに彼女はいない。

 どうやら声は

 扉の外からのもののようだ。


 一体どれぐらい眠っていたのだろうか。


 少し開けたままになっていた

 カーテンの合間から見える景色は

 琥珀色に揺れている。

 ちょうど丸一日寝たのだろう。

 身体はぐったりとしていて、

 心なしか頭も痛い。

 寝過ぎだ。



「んん~~~」



 なんとなしに頭に手を置くと、

 髪はベタベタと粘ついていた。

 首も触ってみると、

 ねちょねちょとねばっこい。


 おそらくは一日

 風呂に入らなかったのと

 寝汗の賜だろう。

 この異様な疲弊感も寝汗のせいか。


 コンコン


 そんな僕を急かすように、

 再びノックがなされた。



「雪生くん、雪生くん?

 出てきてくださいーそろそろ、

 水分と塩分補給しないと

 脱水症になっちゃいますよー!」



 返答しなくては。

 雪さんが心配してしまう。


「は、」


(心配させるも何も、

 僕は雪さんに合わせる顔があるのか?)



 杣山の取引に耳を傾け、

 あまつさえ価値に

 順位をつけてしまった僕なんかに。 


 そう思うと、

 返事なんてできるはずもなかった。



「雪生くーん、雪生くん?

 まさかまだ寝てませんよね?」


「…………」


「雪生くん……

 先に謝らせていただきます。

 申し訳ありませんっっっっ!!!!」


「え、」



 バゴォンッ



 僕が間抜けな声を

 漏らすのとほぼ同時に、

 扉が蹴破られた。

 いや、鍵はかけてなかったから

 蹴り開けられたと言うべきか。


 突如僕だけの世界が

 こじ開けられたような感覚に、

 ベッドの上で腰を抜かしていた。



 けれどお姉さんは僕に構うことなく

 気丈な振る舞いで、



「は~い、これから

 癒しサロンにご招待致しま~す」


 僕を抱えると、

 脱衣所まで移動した。



 脱衣所でようやく下ろされた僕は 

 訳が分からず右往左往すると、

 彼女はまた突拍子もないことを言った。



「は~い、では服を

 脱いでいただけますか?」


(!???!)



 僕は咄嗟に

 自分の両肩を抱き寄せていた。



「ソ、ソソグサン??

 ナニ言って…………」


「ご自分でお脱ぎに

 なれないのであれば、

 わたしがお手伝い致しますね」



 抵抗も虚しく、

 お姉さんは手をひらりと躱して、

 有無を言わせずに

 僕は身ぐるみ

 剝がされてしまったのだった。 



 浴室の戸を開けると、

 中にはモクモクと

 湯気が立ち籠めていた。

 どうやら先に湯を

 湧かしてくれていたらしい。



「ではではー

 お背中、お流し致しますね」



 全裸にされてしまった以上、

 抵抗しても無駄と悟り、

 僕はされるがままお姉さんに

 身を預けることにした。


(ていうか……雪さん、

 僕の裸見ても

 なんとも思わないのかな?)


「ふんふふふ~ん♪」


 横目で窺った彼女は

 僕の背中を流すためか、

 腕まくりをしていた。

 その様子は平生よりも

 少し浮かれ気味なくらいで、

 別段変わったところは見受けられない。

 特に、恥じらいや

 緊張と言った類いは皆無だ。



「では、髪を濡らすので

 耳を塞いでいただけますか?」


「え?……あ、はい」



 背中を流すんじゃなかったのかと

 一人ツッコミを

 こっそりやりながら、

 僕は耳を塞いだ。



 サァァァアアア……


 頭皮にシャワーの

 程良い刺激が与えられ、

 粘ついていた髪も

 流水でつるりと纏まる。


 すると彼女はシャワーを止め、

 シャンプーを手にした。



 ヌチュヌチュ


 耳元で響く粘り気を孕んだ

 その音にゾクリと

 肩を震わせたのも束の間、



「は~い。

 では、洗っていきますね~」



 彼女のしなやかな指が

 僕の地肌を包み込んだ。


 人に頭を洗って貰うというのは、

 記憶の限り初めての体験だ。

 動画サイトでしか見たことのない

 シチュエーションに緊張感が高まる。



「っふぁぁ……」



 地肌と髪を丁寧に揉み込む。

 ASMRよりも肌に感じる

 シャンプー音と

 女を感じる柔い感触に、

 全身の力が抜けて、

 首や頭に溜まっていた

 凝りが解れていく……。


 彼女の手で泡立てられた

 シャンプーがいつもより

 ダイレクトに地肌に響いて、

 心地好い。



「では、

 洗い流させていただきますね~

 お次はコンディショナーです」



 僕は身も心も彼女に任せ続けた。


 心地好くてうっかり

 眠りに落ちてしまいそうに

 なったときだった。



「――では、

 お背中も流しましたし、

 今度は前を

 洗わせていただけますか?」


「いいいいい、

 いや、それはいいよっっ!!」


 僕は慌てて前屈みに身体を丸めた。



「ふふ、冗談ですよ。

 でも、十分以内に出てこなかったら

 実行しちゃいますからね」



 雪さんは耳元で悪戯に囁くと、

 浴室を後にした。



(さっさと洗ってしまおう……)



 彼女に言われた通り、

 十分以内に浴室を出ると

 バスタオルを手にしたお姉さんが

 待ち構えて――

 いることはなかった。


 脱衣所の洗濯機の上に

 バスタオルと

 着替えが用意されてある。



 さっさと身体を拭いて、

 着替えを済ませて

 戸を開けた先には

 ドライヤーとフェイスタオルを手に、

 僕をお待ち構える彼女の姿があった。



「身体を冷やす前に、

 髪を乾かして差し上げます♪」



 彼女は手早く髪をタオルで

 パッティングしていくと、

 ドライヤーを根元から当てだした。



 ブォォォー……


 彼女はそれきり何も喋らないし、

 僕も何も聞かなかった。


 ただドライヤーの機械音が

 流れるだけの静寂が

 数分間続いた。



 カチリ、

 とスイッチが切られた音。

 彼女は僕の手を取って、



「ではそろそろ、

 お夕飯に致しましょう?」


 食卓へと誘う。



 机の上に並んでいたのは

 豪華絢爛といった

 ごちそうではなく、

 定番の家庭料理だった。


 肉じゃが・豚汁・

 ほうれん草のおひたし・

 玉子焼き・豚しゃぶサラダ。


 しかし相変わらず種類は豊富で、

 見た目と匂いだけで

 食欲がそそられる。


「では、

 いただきましょうか?」


 雪さんの呼びかけで、

 僕は慌てて両手を合わせた。


「「いただきます」!!」


 それから犬のように

 おかずを食べ攫う僕の姿を、

 お姉さんは静かな

 微笑みで見守っていた。



「――ごちそうさまでした」


 追従するように続く

 彼女の「ごちそうさま」。



 雪さんは食器を

 シンクの桶に入れ、水を張る。

 いつもなら食後すぐに

 食器洗いをするのにどうしたのかと

 様子を窺っていると、

 彼女が振り向いて、


「お次は耳かきです♪」


 そう笑った。



 僕は彼女の言動に思わず……、



「…………雪さんさぁ、

 もしかして動画の視聴履歴見た?」


「はい!

 ネットでレシピを調べようと

 雪生くんのパソコンを

 お借りした際に、偶然…………。

 雪生くん、

 こういったシチュエーションが

 お好きなのではないですか?」



 何か間違ったことを

 してしまっただろうかと

 不思議そうに首を傾げる彼女。


(間違ってはいない、けど……)



「好きだけど、でも、

 あれはそういう意味で

 見てたんじゃなくて……」


 ちょっとエッチな表現が含まれる

 シチュエーションドラマを

 視聴していたことを

 知られていただけで

 僕のメンタルは圧死寸前だ。



「そういう意味でないと

 おっしゃられますと、性的こ――」


「わーわーわーわーわーわー!!

 してください、してほしいです、

 年上のお姉さんに

 あんなことされてみたかったって

 思ってました!!!!

 大人しく認めるので

 それ以上は勘弁してくださいっ」   



 涙ながらにそう弁舌すると、

 お姉さんはけろっとして

 あらかじめ用意してあったらしい

 耳かきやら綿棒やらオイルやら

 入った籠を隣に置き、

 リビングに正座した。



「ほら、太腿に

 頭を置いてくださいな」


 ぽんぽん、とお膝を叩いて

 僕を急かす仕草を取った。


 健全な男共なら

(年上お姉さん+生足の膝枕+耳かき)

 こんな誘惑には抗えまい。



 僕も男だ。

 その甘い蜜に吸い込まれるように

 ……ではなく、

 彼女の隠された意図を

 ほんの少しばかし察して、

 その太腿に頭を預けた。


 くすぐらせないようにと、

 お姉さんが

 僕の髪をそっと掻き上げる。



 オイルの染み込んだ綿棒が

 耳の中に突っ込まれて、

 ぞわぞわとした感覚が全身を覆った。


「ふぁ……んぅ」


 自分でしたときでは得られない

 予測できない動きが、

 声を漏らすほどの快感をもたらす。

 綿棒の耳掃除が終わり、

 耳かき棒が入れられ、

 性的興奮と快楽とも言い難い

 甘美な心地よさに

 脳が蕩けそうになった。


 そのときだった。



「辛いことがあったときは、

 あったかいお風呂に入って、

 あったかいご飯を誰かと食べて

 ……そうすることで

 心身を落ち着かせる。

 身をもって感じたことです」



 ちょうど耳に入れられていた

 綿棒が取り出され、

 僕は彼女の表情を窺ってみる。


 思った通り、雪さんは何もかもを

 見透かしている様子だった。



 僕が頭を太腿から退けると、

 彼女は待ち侘びていましたと

 言わんばかりに続けた。



「話して、いただけませんか」



 そこにいつものような

 お姉さんの笑顔はなく、

 瞳には哀傷がたたえられていた。



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