第53話:(知りたくなかった)酷い答え
翌七月十九日。
カーテンの隙間から漏れ入る光は
目を穿つような
力強さを持っていた。
カーテンを引くと、
その先には天災の前触れとも
言われるほど紅く、
朱く燃ゆる太陽があった。
不吉だ。
(どうしてあんなことを……僕は、)
一日経っても
罪悪感からは解放されていなかった。
ほんの一瞬でも、
お姉さんとばぁちゃんを
天秤にかけてしまったことは罪深い。
客観的指標がどうこうよりも、
僕は僕自身の
価値観によって苛まれていた。
人間を、
価値の大きさで測るなんて、
道徳的に間違っている。
そんなことは
誰に言われるまでもなく
分かっているけれど、
現実はそんな綺麗事じゃ
片付けられない。
二者択一。
二つに一つなのだ。
どちらかを選ばなければ、
どちらも
なくしてしまうかもしれない。
そうするとまた
あの地獄(独りぼっち)に逆戻りだ。
温もりを知ってしまった僕に
それは耐えられない。
「そういえば、あの夏も……」
現実逃避さながらに、
僕は昨年の
出来事を思い出していた。
(あれは確か、
ちょうど今頃だったはず……)
七月に入って、中頃。
毎年遅れ続ける梅雨入りのせいで、
当然梅雨明けも遅れる。
暦上では真夏だというのに、
じっとりと不快な
気候が続いていたのだ。
その頃僕は、
雛鶴さんの下着事件が
きっかけでいじめを受けていた。
ばぁちゃんに心配させたくなくて
そのことを
ひた隠しにしていた僕は、
誰にも相談できない悩みを抱えて
ストレスだらけだった。
そんな僕の心を
支えてくれていたのが、
姉からの手紙だった。
別々の家に暮らすようになってから
ずっとやり取りを
していたわけではないけれど、
僕が中学生になった辺りから
急に手紙が来るようになったのだ。
始めはなんとなくで
返事していた手紙だったけれど、
いじめられるようになってからは
楽しみにさえなっていった。
それがある日、姉から手紙で
「久しぶりに、会って話したいね」
と云われた。
手紙の差出人欄には
名前はもちろん住所も
ちゃんと記されていたし、何より
……嫌な現実から目を背けるための
非現実に会いたかった。
傍に居るばぁちゃんには無理でも、
遠くで暮らす姉ならいじめのことも
相談できるかもしれない。
そう考えた僕は、
帰宅するなり
姉に会いに行こうと思った。
でも何の悪戯か、
その日は生憎の雨だった。
大雨に見舞われた、
という表現が的確なくらい嫌に
雨ばかり降りしきっていた。
そんな悪天候の中、
どこに出掛けるつもりだと
ばぁちゃんは聞いてきた。
僕はそのとき、
確か嘘を吐いた気がする。
(なんだっけ?
思い出せない…………)
何にせよ僕は、
目の前にあるものよりも
遠くにあるものを
重んじてしまうらしい。
遠い親戚よりも近くの他人。
この言葉こそが
僕にはピッタリだと
痛いくらい分かるのに……、
あのときは、姉>ばぁちゃん。
今は――、ばぁちゃん>雪さん。
何度考え直しても、
心の中の結論は変動しなかった。
コンコン。
「ひっ」
すっかり殻に
閉じこもっていたせいで、
外からの音に
反射的に身体が跳ね上がった。
「――雪生くん?
もうすぐお夕飯ですよ~~」
二者択一の取引を
杣山から持ちかけられているとは
露も知らない雪さんは、
いつも通り穏やかな調子だった。
ここにいられるだけで
倖せだという気持ちが
壁越しでも伝わってくる。
それだけで、僕の胃は
ギリギリと締め付けられた。
痛む胃を押さえて
僕はベッドから這い出る。
扉の前に立った。
「……いい。いらない。
今日は晩ご飯も
風呂もいらないから」
扉の向こうへ向けて
それだけを吐き捨てると、
僕はベッドに潜り、
布団にくるまった。
その後、
お姉さんからの僕を心配する
言葉が次々と上がったけれど、
聞こえないように耳も塞いで、
眠りに就いた。
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