【遅疑逡巡】
優柔不断
確かに、写真の雪さんは
頬を赤に染め上げていた。
もしかしたら雪さんも
僕のことを……。
僅かな可能性に期待するも、
だからと言って
何が変わるわけでもなかった。
復讐ウェディングを終えた
僕らは着替えた直後帰宅して、
それまで通りの過干渉も
不干渉もない平穏な日常に戻っていた。
彼女は家事を、僕は部屋で読書
(女心を掴むハウツー本)をして
過ごし、夕食時に
結婚式の成功を祝ったくらいだ。
あんなことがあって
何の進展もないどころか、
未だに彼女が頬を染めていたことに
理由さえ尋ねられていない。
いくらなんでもヘタレすぎるだろ自分、
と自己嫌悪に陥りながらも
それでも、確かめられないまま
休日が早々と過ぎ去っていった。
そうやってお姉さんのことで
悩んでいたためだろうか。
僕が目覚めたのは、
太陽も真上に昇ろうかという午後だった。
閉じた目の奥さえ焼き付けるほど
爛々と照り付ける日差しが、
なんとも気怠い
気持ちにしてくれる。
ふぁ~あ、と大きな欠伸を一つかまして、
食卓へと向かった。
机の上には、
【お寝坊さんの雪生くんへ
朝食兼昼食を
用意しておきましたので、
早めに食べてください。
雪より】
という書き置きと、
保冷剤とラップで守られた
卵サンドが残されていた。
杣山の元から
逃げ帰ってきてからは、こうだ。
少し皮肉っぽいことを言って見せたり、
過保護さがすっかりなくなったり……と
まるで本当の
家族かのような「抜け感」がある。
もしかしたら、
僕が何も言わなければ
このままずっとお姉さんと
家族として
暮らしていけるかもしれないな。
「いただきます」
ラップの包みを解いて、
サンドイッチを
口に運ぼうとしたときだった。
「ピンポ~ン♪」
軽快にインターフォンが鳴らされるが、
目覚めたての身体には
栄養が必要だと卵サンドに齧り付く。
さすがはお姉さん。
安定の美味しさだった。
さっさと平らげようと
サンドを運ぶも、
「ピンポンピンポンピンポーン!!」
インターフォンが三連打もされ、
僕は仕方なくドアホンの方へと向かう。
「はい、どちら様です、か…………?」
迷惑なセールスや宗教勧誘なら
追い返してやろうと意気込むも、
僕は視界に飛び込んできた
人物に硬直せざるを得なかった。
丸々太った輪郭に、
噴き出す汗が分かるくらいの
毛穴が開ききったべたべたの肌。
くびれ一つ無い肥えた身体。
枝毛&切れ毛まみれのボサボサ髪。
そのくせ、谷間を強調するワンピース。
そこにかつての美少女の面影は
欠片もなかったけれど。
「ねえ、さん……?」
「あ、なんだやっぱり
いるんじゃん、ゆき。
さっさと開けてよねーもう、
外すっごく熱かったんだから~~」
そう言って、
肩くらいの茶髪を掻き上げた。
生え際に濃く浮かび上がる
夏の大三角のほくろを持つそのひとは、
両親が亡くなったとき、
叔父夫婦に貰われた
僕の姉さんだった。
ちょうど一年くらい前に
手紙が届いて、
会いたくて家を飛び出そうとして、
ばぁちゃんと
喧嘩になったこともあったっけ。
…………その結果がこれか。
気が付けば僕は機械人形のように、
姉さんを家へ上げていた。
「あーあっつぅー。
なんでクーラーついてないの??」
彼女は大層なキャリーケースを
床に放り出し、豪快に
冷蔵庫を開けて涼をとりだした。
「今、起きたとこだから」
「ゆきは相変わらず
朝弱いんだねーちぇ、
アイスもないのかよ……お」
勝手に冷蔵庫&冷凍庫を
物色した姉さんは、
目敏く食卓の上にある
サンドイッチに目をつけた。
「……それは駄目だからね。
僕の昼ご飯なんだから」
「いや別にお腹は
空いてないからいらねーし。
でもゆき、あんた料理できたんだね」
「別に今もほとんどできないよ。
それは……同居人が作ってくれたやつ」
食卓に置かれた料理を見て、
真っ先に僕が作ったものだと
思うのは些か不自然だ。
姉さんは僕がばぁちゃんに
引き取られたとしか
知らされていないはず。
何故、ばぁちゃんが
いないことを察しているのか。
一抹の不安は残るものの、
言及することもできなかった。
「へぇ~同居人、ねえ……。
そっか、そういうことか。
なら丁度いいや。
あのさ、ゆき。
今日からここで一緒に暮らそうよ」
「は? え、なんで?」
「なんでって、あたしら姉弟じゃん。
そもそも家族が離れて
暮らしてるってのがおかしかったんだよ」
こじつけとは言えない理屈だが、
姉さんからは何がなんでも
ここで暮らすぞという
執念じみたものを感じる。
やっぱり、何かがおかしい。
「いや……急にそんなこと
言われても無理だよ。
同居人が困ると思うし」
僕の拒絶発言を姉さんは
予想もしていなかったのか、
あり得ないと言わんばかりに
大層な溜息を吐いてみせる。
「は~~~実の姉よりも
同居人の方が大事ってわけね
……でもそれっておかしいなぁ?」
口の端だけを持ち上げて笑う。
実に不気味だ。
それでも十分ホラーチックだというのに、
姉さんはコキンッと音を鳴らして、
傾けた首をこちらに向けた。
僕の額から
冷えた汗がじわりと滲み出す。
「な、何がだよ」
「だって、それって~~
実の姉とは一緒に暮らせない相手
……少なくとも潦葉菊さん、
ゆきを引き取ってくれた人
じゃないってことじゃない。
同居人が親代わりの人なら、
〝僕じゃ決められない〟
〝聞かないと分からない〟って
決定権を転嫁するはずだよね~。
でもゆきは、
〝困ると思うし〟って自分に
決定権があるみたいな
口振りだった。
……ねえゆき。
葉菊さんじゃなくて、
あたしに同居人としか言えない
相手って誰かなあ?」
網にかかった獲物を見る
蜘蛛のようにニタニタと
勝者の笑みを浮かべる姉さんに、
僕は陥落される他なかった。
正直にこれまでの事の経緯を話した。
「ええ~~なにそれ!!?
家族が欲しくて、
一緒に住んでくれる人が欲しくて、
道で行き倒れてた人拾ったの?」
水飲み鳥のごとく頷いた。
「でも、見知らぬ女と
二人きりで生活なんて不純よ。
一度もそんな気が
起こらないなんてことは
ありえないし、面倒事になるわよ。
それに、本当の家族である
あたしがいるんだから、
赤の他人なんて、
もう〝要らない〟でしょ?
さっさと捨ててしまいなさいよ」
「だけどでも、お姉さんは……」
僕の孤独に寄り添ってくれた。
代わりに復讐までしてくれた。
健やかな道へと導いてくれて、
日々が楽しくなった。
けれど、僕が欲しかったのは
〝家族〟で
〝一緒に暮らしてくれる人〟だ。
姉さんは願ったものそのものに近しい。
条件で言えば
全てを満たす姉さんがいる今、
お姉さんは不要だ。
それなら僕にとって、
お姉さんの存在価値って
一体なんなんだろう……?
得難い感情は確かにここにある。
しかし、それは言葉にすれば
崩れてしまうもので、
ついには姉さんに
反論することはできなかった。
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