杞憂の先には、虹がある
お姉さんこと鈴生雪さんと
出逢ってから、七日が過ぎた。
そろそろ、いよいよ、
彼女の視線から
逃れて生活することが
苦しくなってきた。
部屋は分けていると言っても、
朝・昼・夜の食事は
共にするわけだし、
風呂のバトン伝言もあるわけで、
顔を合わさずに済むわけがない。
たとえば夕食時だと……、
「お口に合いますか?」
「う、うううん!!
美味しいです、
お姉さんの料理は
いつも美味しくて
つい食べ過ぎちゃうくらいでー」
「ふふふ。
それは作り手にとって
最高の褒め言葉です。
それに雪生くんは成長期なのに、
食が細すぎですよ。
もっとしっかり食べて、
成長しませんと」
「ぅ……そ、そうですね!
じゃ、じゃあ
早速おかわりしようかな」
「それでしたら
わたしがよそいますね。
どのぐらいに
いたしましょうか?」
「え、えっと、
は、半分くらいで……」
こんなやりとりをしながら
僕は終始
机とにらめっこしていた。
お風呂の
バトン伝言のときだと……、
「お風呂、お先に
いただいちゃいました。
冷めないうちにお次どうぞ」
「は、はい、そうします……」
(お姉さんの濡れ髪と
うなじが度エロいんだけど!?)
「あら、そんなに身体を
じっと見つめられて……
まさか吹き出物でも
ありましたか!?」
(身を乗り出すように
ぐっと身体ごと
近付けてくるお姉さん)
「い、いや
そういうわけじゃ……」
(ち、近い……)
「ならどうして、
そのように顔を
背けられるのですか?
はっ……見るに堪えないほど
肌が汚いのですね。
申し訳ございません、
とんだ面汚しを
してしまいまして」
「いやっ
ホントに違いますって!!」
「では、こちらを向いて
そう仰ってください。
それなら信じられます」
(だから胸と顔、
どっちも
近すぎるんだって!!!!)
「……もう僕、
風呂入ってくるんで」
と言った具合に
スケベシチュを回避した。
ゲームならもうちょい
主人公頑張れよとか、
もう少し先のシーンまで
期待してしまうけれど、
恋愛経験値マイナスの僕には
耐えられなかったのだ。
このままではいけないと
思いつつも、
身体が勝手に雪さんを
避けてしまって、
どうしようもできない。
話さない時間が
増えれば増えるだけ、
恋心は
増長してしまうというのに。
それにまだ、
完全に女心を
掌握できたとは言えない。
もう少しだけ、勉強を続けよう。
そしたらきっと、
お姉さんを楽しませられる
男になれるから……、
夕方になって不意に、
ある本の発売日が
今日だったことを思い出した。
それは、僕が読み込んだ
恋愛心理学の本を
執筆した著者が、
最近行った実験を元に
女心を解剖するという
試みを纏めた本だった。
スマホ文化とも言われる
現代的シチュエーションの
実験だというので、
かなり実用的なことが
載っているに違いないと
期待に胸を
膨らませていたのだ。
「こうしちゃいられない。
今からでも買いに行かないと!」
時計で時刻を確認してみると、
まだ六時にもなっていない。
外はさほど暗くないし、
本屋の閉店にも
十分間に合うはずだ。
自室のベッドに寝間着姿で
寝っ転がっていた僕は
素早く起き上がると、
カッターシャツに腕を通し、
ハーフパンツに
足を通して外着に着替える。
さらにループタイと
いつもの猫耳帽子を
身に着ければ準備万端。
ショルダーバックを手に取り、
玄関まで急いだ。
すると…………、
「そ、雪さん!?
そんなとこで
一体何して……?」
玄関口に靴下で、
僕の行く手を阻もうとする
お姉さんがいた。
明らかに様子が違う。
「……………………さい」
「え?
なんて言ったんですか?
というか、
今ちょっと急いでるので
そこを通して貰えませんか?」
僕の言葉など
聞こえていないかのように、
お姉さんは黙り込んでいる。
それを了承かどうか分からず、
合間を
すり抜けようとしたそのとき、
彼女は声を上げた。
「雪生くん……わたしの他に、
家族にしたいひとでも
できたのでしょう?
それならそうと、
早く言ってください。
わたしは、
暫くここに
置いてもらえただけで
十分ですから……」
夫の不倫を知った妻が
離婚覚悟で
カミングアウトを
するような態度だった。
けれどその諦念には
反するように、
雪さんの肩は
小刻みに震えていた。
長い髪を前に垂らして
顔を隠す彼女だったけれど、
髪の隙間から見える目は
泣きそうに思われて。
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