それでは漸く
鼻腔と日本人の
本能をくすぐる
芳しい出汁の香り。
雪生はどこからともなく
流れ込んできた食事の匂いで、
目を覚ました。
「ふぁわぁぁあ……」
(――結局僕、
いつ寝たんだっけか)
力なく上体を起こした雪生は、
窓から差し込む
光の明るさに思わず目を眩ます。
「うわっ、眩しっ。
今何時だよ……」
寝ぼけ眼を擦りながら
スマホを手に取ると、
画面上には
(10:32)と表示されていた。
想像以上に遅い
目覚めと気付き、
雪生は布団から跳び起きる。
勿論隣に雪はいない。
彼女を捜し求め、
寝起きで覚束ない
足取りながらも、
雪生は台所へと向かった。
「あら、お目覚めですか?
おはようございます、雪生くん。
朝食の支度は済んでますよ」
雪は清々しい笑顔で雪生を迎えた。
その顔に疲労は表れていない。
昨夜はぐっすり眠れたのだろう。
服は昨日彼女が着ていた
白いブラウスと
紺色のフレアスカートに
着替えていた。
雪生が寝ているうちに洗濯して
乾かしたのだろうが、
彼服でなくなったのは
少し残念な気もした。
「うん、おはよう……
それにしても雪さん、
このご飯はどうしたの?」
雪生はいい匂いの正体である
食卓の上のものに
目を遣って言った。
玉子焼きに、
味噌汁、
焼き鮭、
ほうれん草のおひたし。
明らかにこの家にあった
材料から作られた
とは思えない献立だ。
「はい。
今朝方、近所のスーパーで
買ってきました。
素晴らしいですよね、
朝から買い出しができるなんて」
「え、買い物に行くったって……」
雪生はふと考え込んだ。
生鮮食材を使用した料理が
食卓に並んでいるのだから、
どこかしら買い物に
行ったことは間違いない。
しかし、雪生は雪に
金を手渡した記憶はないし、
通帳や現金の在処を
教えたこともなかった。
それならその食材は
どうやって調達されたのか。
疑いたくはなくとも、
解明されない謎に
疑心暗鬼で彼女を見つめた。
すると、
思考が顔に表れていたのか、
彼女は大丈夫ですよと言い、
「ほら、これです」
ポケットから取り出した
カードらしきものを
じゃーんと掲げてみせる。
「……電車のICカード?」
そのカードには
駅名と使用可能期間、金額、
それから名前に至るまでが
ビッシリと印字されており、
定期用のカード
ということは明確だった。
「その通りです。
このICカード、
定期券としてだけでなく
電子マネーとしても
利用できるので、
いざというとき用にいくらか
お金を入金しておいたんです」
まさに備えあれば憂いなしだが、
今回の「いざというとき」は
かなり特殊すぎた。
「なるほど、
そうだったんですね。
でも、電車のICカードが
スーパーでも使えるだなんて、
知りませんでした。
便利な物ですね」
「ええ、お陰で
雪生くんにきちんとした
朝食を用意できました。
さぁ、
一緒にいただきましょう?」
ここに来て
(正気を取り戻して)からは
笑顔を絶やさず、
自分に尽くしてくれて、
ご飯も美味しい彼女。
――これ以上他に
何を望むというのだろうか?
(いや、そんなものないよな)
「……うん。そうしましょう!」
雪生はおもむろに
食卓の椅子へと腰を下ろした。
釣られて雪も
真向かいに腰を下ろす。
そして合掌し、
「いただきます」と食事を始めた。
「ついでに、
これからの生活についても
話し合いましょうか。
昨日みたいに
行き当たりばったりでやらかして、
これ以上雪さんに
不便な思いさせたくないですから」
「はい、承知しました。
……では、具体的に
何をされるのでしょう?」
彼女はこれまで、
雪生の言うこと為すことに
従順な態度を見せている。
疑うことも知らない
年でもないだろうに、
けれど雪生に向けられる
眼差しに疑いは
これっぽちもなかった。
これほど信用されすぎるのも
却って重荷になる。
「ひ、ひとまずは!
雪さんの
生活必需品の調達かな。
服とか、消耗品とか、日用品とか、
ちゃんとしたドライヤーとか
……寝具とか!」
「最後だけ
やけに語気が強いですね」
(そりゃあ一晩、
理性と戦うような目になればね!)
と、心の声を
そのまま伝えるわけにもいかない
雪生は、
「そ、それはー
毎日使うものだし、
必需品中の必需品だし!?」
とやや不自然な
ギャルチック言葉を披露した。
「それもそうですね。
となると、かなりの
重労働になるのでは……?」
彼女はまた、
迷惑をかけてしまう……
といった風に眉尻を下げ、
困り顔になった。
彼女は少し、
迷惑をかけるということに
過敏すぎなのではと
雪生はぼんやり考えた。
「そこはご心配なく!
現代には、
ネットショッピング
というものがあるので
これを利用します」
「え、でもそれって
かなり費用がかさむのでは……?」
「気にしないでください。
お金は僕が出しますし、
家族をお金で釣ろうと
したくらいには
無駄金持ってますから」
何か思うところがあったらしい
彼女は困り眉をしたかと思うと、
自信なさげに
おずおずと話を切り出した。
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