一章【冬来たりなば、春遠からじ】

どうして?


 時刻にして午後六時半過ぎ。


 葉菊がいなくなってから

 潦宅の居間は、

 畳とこたつと茶箪笥と

 座布団が二枚あるくらいの

 寂寥感溢れる一室だった。


 しかし今夜は

 何やらいつもとは異なる

 異様な光景が広がっていた。




 雪生の真向かいには、

 彼の服を着た見知らぬ

 若い女性が腰掛けている。


 彼女はここへ

 連れてこられたときよりも

 格段に美しかった。


 貞子のように顔面を覆っていた

 長髪は艶やかで

 こしのある黒髪となり、

 顔は病的なまでに白い肌と

 左目下の泣きぼくろが相俟って、

 幸薄な美人という印象をつけた。


 モデルや女優のような

 華はないものの、

 何故だか惹き付けられてしまう

 ……という

 和の赴きさえ感じられる。



 おまけに、彼女は

 隠れ美乳&隠れ美尻だった。


 風呂に入れたとき、

 見ないようにはしていたけれど

 どうしても雪生の視界に

 入ってしまったのだ。



 そういうわけもあって、

 雪生は彼女を

 直視することができず、

 ましてや話を切り出すことさえ

 ままならなかった。



「あの……、

 何故わたしを

 拾ってくださったのか

 お聞きしてもいいでしょうか……」


「っ……あぁ、はい。どうぞ」



 しかし冷静になった彼女としては、

「成人女性が(見知らぬ)

未成年の家に居座っている」という

 異常な状況に

 耐えきれなかったようで、

 不甲斐ない雪生に代わって

 話を切り出してくれた。



「ではお言葉に甘えて……。


 何故、わたしのような者を

 拾ってくださったのでしょうか?」


「何故、と言いますと?」



 雪生には

 質問の意味が理解できなかった。


 それは、

 単に見ず知らずの他人を

 家に上げて介抱した

 動機を尋ねているとも、

 助けた後の見返り・下心について

 尋ねられているとも取れたからだ。



 彼女は雪生の問い返しに

 特別な意味を

 感じ取りでもしたのか、

 驚いたように目を見張った。



「……だって、拾われたときの

 わたしはずぶ濡れで、

 髪も化粧もぐちゃぐちゃで……

 拾おうという気さえ起きない、

 拾う価値のない

 女でしたでしょう?」



 雪生は彼女の言葉に、

 耳を疑った。


 いくら行き倒れるような目に

 遭ったとは言え、

 この自虐は

 あまりにも惨たらしかった。


 何らかの下心を持って

 拾われたと考えているなら、

 もう少し自分をアピールして

 面倒を見させようとしても

 いいはずなのに、

 彼女からはそのような気配は

 微塵も感じられない。


 

 生きようという

 感情が見受けられないのだ。


 だからだろうか、

 雪生はそれまでの緊張を振り払って

 正面から彼女を見据えると、

 食い気味にこの一言を放っていた。



「そんなことないよっ!」


「え…………?」



 今度は彼女が閉口する番だった。



「少なくとも僕にとっては、

 拾う価値がないなんて、

 そんなことないんです。


 だって僕には、

 お姉さんを拾うだけの

 目的っていうか、

 下心があるから……」



 雪生は、

 自分の言っている言葉が

 あまりにも自分勝手で身勝手で、

 自分本位だということを

 分かるからこそ、

 その両手は服の裾を

 ギュッと絞り上げていた。



「目的、ですか……

 そちらもお聞かせいただいても

 よろしいですか?」



 彼女は雪生から見ても分かるほど

 あからさまに肩を落とした。



「家族が、欲しかったんです」


「えっと……それは

 どういうことでしょうか?」



 彼女は怪訝に目を細め、

 不可思議なことを言う

 彼に詳細説明を求めた。



「実は――」



 雪生は意を決して、

 打ち明けることにした。


 簡単な己の生い立ち、

 葉菊が行方を暗ましたこと、

 それから

 今日起きたことについて。



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