第20話 呪われる過去
墜ちる。
墜ちる。
墜ち……る。
三人の意識は、過去へと墜ちていく。
♢アスパラ♢
私の上履きがない。
これで、何度目だろう。上履きを隠されたのは……
少し離れた所で、なっちゃんたちが私をみて笑っている。
絵本袋から予備の上履きを出し、何事もなかったように履いた。
なっちゃんたちは驚いたように顔を見合わせ、こそこそ何か話している。
私は、気づかぬふりをして三階の教室へと向かった。
6年3組のドアを開ける。
「おはよう」
挨拶は、心の中でする。
机には、『消えろ!』『きもい!』『来るな!』『死ね!』という鉛筆で書かれた落書き。
いつものように、担任が来る前に消しゴムで綺麗に消す。
私の心の傷も、この落書きのように消しゴムで消すことができたらいいのに……
私は、泣かない。
正確には、泣きたくても泣けない。
小学二年で、涙は枯れ果てた。
自分の心がこれ以上壊れないように、何も感じないようにしてきたけど……
なんだか、疲れた。
今日は、いつもより気持ちが沈み込んでいる。何もかもどうでもよくなって、今すぐ家に帰りたい気分だ。気持ちを落ち着けようと、一人トイレに向かった。
えっ? ここのトイレこんなに暗かった?
背中にゾクリと悪寒が走る。
「お前さぁ、なんで上履き持ってんの?」
背中から声をかけられ、振り返る。
「なっちゃん?」
そこには、もの凄い形相をしたなっちゃんが一人、立っていた。
「なんで、毎日学校来んの? お前の顔見たくないんだけど!」
お腹に、蹴りが一発入る。
「うっ……」
変だ。おかしい。いつものなっちゃんと、なにか違う。
「なんだぁ。お前、弱いね」
お腹を抱えて蹲る私を見て、笑っていた。
「知ってる? 昔、このトイレの窓から下に落ちて死んだ子がいるんだって」
声が―― 低く、くぐもっている。
目の焦点も合っていない。
なっちゃんじゃない!
「これ、見て」
なっちゃんは、ビニール袋に入った雀を右手に持っていた。
雀は、ぐったりしている。
「さっき捕まえたんだぁ。ビニール袋の酸素が無くなって、もうすぐ死んじゃいそうなんだけどね――」
こんな小さな罪もない生き物に、なんてことをするんだろう。
悲しみと怒りが押し寄せる。
「雀、逃がしてあげて!」
なっちゃんが狡猾な笑みを浮かべた。
「いいよ。お前があの窓から飛び降りたら、雀は逃がしてやる」
「……」
「毎日虐められて惨めに生きているよりさ、雀のために死んだ方がいいんじゃない? お前生きてる価値ないよ、ホント」
私の心を凍らせる冷たい目、冷たい言葉。
確かにそうかもしれない。
辛く苦しい毎日を生きるより……
雀の為にも、私は……
死・ん・だ・ほ・う・が・い・い。
死・ぬ・ん・だ。
シ・ネ!
自分の思考が何者かに乗っ取られているかのように、体が勝手に動く。
トイレの窓を開け、身を乗り出そうとした刹那、激しい突風と共に声が聞こえた。
「アスパラさん、惑わされさいで下さい!」
あぁ、この声は!!
アスパラの意識が、螺旋を描き上昇し始めた。
♢レモン♢
「なんでも、お父さんがお友だちの借金の保証人になってねぇ、多額の借金抱えちゃって。それで……。子ども一人残されて、可哀そうにね」
『私に聞こえないようにコソコソ言ってるつもりだろうが、丸聞こえなんだよ!』
胸の内で、近所のおばさんたちに毒づく。
父は借金返済のために、自宅を手放した。商売をしていた家を手放したことで、仕事も失った。『土方で稼ぐさ』なんて言っていたけれど、すぐに体を壊す。
借金の取り立ては容赦なく、日を追うごとに酷くなっていく。
「保険金で返せや、おりゃー」
何度も、何度もそう言われ続けた。
働けなくなった父は、借金の取り立てにも悩み精神を病んだ。常に死のうとする。
そんな父を必死で支えていた母も、精神を病んでしまったのだろう。二人は、一緒に死んだ。車ごと、海に突っ込んで……
保険金500万円。
これが、両親の命の値段なのか?
たったの500万……
残された私は、親戚の家に行くことになっていた。
でも、逃げた。
一人で生きてやる!
12歳だけど、生きていけないわけじゃない。
そう自分に言い聞かせる。
まず、住む場所は前から目を付けていた空き家。
夜、灯りをともさなければ、見つかることもないだろう。一週間ぐらい身を隠せたら、あとは別な場所をみつければいい。
生きていくために必要なお金の稼ぎ方は、もっと簡単だ。
私は、昔から勘が良かった。その勘をギャンブルに使ってみようと思った。
簡単なことだ。競馬場で、人のよさそうなおじさんに勝ち馬を教える。
「おじさん、今日はあの馬が調子いいよ。買ったら? で、もし当たったらさ、私におやつ代頂戴」
「そうか、そうか。よし当たったら、お小遣いやろう」
そんな感じで、声をかけた。私の予想は、面白いように的中し、競馬場でちょっとした有名人になった。
両親が生きている間にこうして稼げたら、二人は死なずにすんだのに……。心の中にチクチクする痛みを抱えながら、競馬場は私の新しいフィールドとなる。
そして私は、競馬場である人物に出会った。
父に借金の保証人を頼んだ人物。そいつは、缶ビール片手に笑っていた。
あいつのせいで、両親は死んだ。
なのになぜ、あいつは生きているんだ!
怒りで、両手が震えた。周りの景色も吹っ飛んだ。憎しみの炎が全身を包む。
『殺せばいい……。お前の両親を殺した奴だ! あいつは、その報いを受けて当然だろ?』
あぁ、誰かの声がする。
いや、私の中に眠っていた声か?
殺・せ・ば・い・い。
殺・せ。
コ・ロ・セ。
12歳の私でも、あいつを階段から突き落とせば、きっと――
思考が何かに乗っ取られる。
でも、この言葉に抗えない。
私は、あいつの後を付けた。殺すために。
「レモンお姉さま、惑わされないで!」
あぁ、この声は!!
レモンの意識が、螺旋を描いて上昇し始めた。
♢みかん♢
「お腹空いたなぁ」
私はいつもお腹を空かせていた。
そんな私を気遣って、近所の神父さまが時々家を訪ねてくる。
「お腹空いたら、遠慮しないで教会に来なさい」
そう言って私の手を取る。
温かい手だ。優しさが温もりとなって、私の心を癒してくれる。
「○○ちゃん、この教会で暮らしてもいいんだよ。私がお父さんとお母さんに、はなしてあげるから」
「ううん、いいの。お父さんとお母さんと一緒がいい」
「そうか……。それなら困った時は、いつでもおいで。この教会も○○ちゃんのおうちなんだよ」
「ありがとう、神父さま」
両親はお酒とギャンブルにお金をつぎ込み、私の面倒を全くみない。真冬の寒い日に半袖を着せられ、神父さまが慌てて冬の服を用意してくれたこともある。両親は、もしかしたら神父さまに甘えていたのかもしれない。
小学二年生の時だった。12月半ば、教会はクリスマスの準備に追われていた。私は体調を崩し寝込んでいた。高熱が出て咳が止まらなかったが、両親は病院に連れていかない。診察代がなかったのか、勿体なかったのか、その理由はわからない。
薄れていく意識の中、私は神父さまに助けを求めた。
「○○が、三日も学校に来てないって電話があったけど、どうしたんだ?」
神父さまの声が聞こえる。
「おい! しっかりしろ!! 今、病院に連れていってやるからな!」
この日、私の心臓は一度停止した。
神父さまが、行き場のない怒りを父に向ける。
「なんで、もっと早く病院に連れてこなかった? なんで、見殺しにした? このバカもんが!!!」
握りこぶしで殴られる父の姿を、私は病院の天井から見ていた。
『なんだ、あなた過去に死んでいたの?』
声がする。
『このまま、あの世に送ってあげるわよ。生き返らないようにね』
この声は、聞き覚えがある。でも……、思い出せない。
神父さまの叫びが激しくなってきた。心配で下を見ると、黒い影が神父さまを包んでいくのがわかった。
『神父さんを狙っていた魔物たちが、心の隙をついて集まってきたみたい。普段、憎々しく思いながらも光が強すぎて近寄れなかった魔者たちが、魂を貪り食おうと躍起になっているわ』
「ダメ! 神父さま、駄目です!!」
『あなたの声は、届きませんよ。もう、死んでいるのですから』
私は、胸のドリーム・クリスタルを握りしめた。そして、もう一度叫ぶ。
「神父さま、お父さんとお母さんを許してあげてぇー!!!」
神父さまが、驚いた顔で上を見た。
同時に、心音が復活した。
みかんの意識が、螺旋を描いて上昇する。
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