38話 藤原千春の胸懐
体育祭が終わった後、クラスの打ち上げに参加した私は次の店に移動するというタイミングで帰ることにした。クラスメイト達と騒ぐのも嫌いではないが、今日はそういう気分では無かった。だから最低限の付き合いだけをしてそのまま帰路に立った。
それに大事な弟君のことが心配なのである。倒れた後に彼から大丈夫だと連絡は来たけど、きっと彼の事だから打ち上げにも参加せずに一人寂しく家に居るに違いない。だからここはお姉ちゃんとして彼の事を一人にするわけにはいかない。と、いかにも彼のためと心の中で強調しているけれど、本当は単純に彼と二人きりで、私たち以外誰もいない落ち着いた家でご飯を食べたいだけなのだ。
それにしてもあのリレーは凄かった。まさか彼があんなに足が速かっただなんて知らなかった。正直なところ心の底からカッコいいと思ってしまった……。
と、そんな事を考えながら家の方に向かっていると途中にある公園で人影を見つけた。
————あれは弟君と七宮さん……。
私は二人に声をかけようと思った。けれど何となく直感で間に入ってはいけないような気がした。だけど、私は二人が何を話しているのか気になってしまった。
だから私は、彼らがいるブランコの背後から聞き耳を立てることにした。
本当はいけないことだけど、丁度公園の外の茂みから彼らにバレずに近づける都合の良い場所があったのだから仕方がない、と自分を無理矢理納得させた。
そして、私は色々なことを知ってしまった。
弟君の過去、七宮さんが彼に好意を抱いているということ。
正直なところ、これらを聞いてしまったせいでかなりの罪悪感に襲われた。
特に彼に関しては何か抱えている過去があるのだと思っていたけど、想像していたものよりずっと辛かった。
それから私はこんなところで何しているのだろうという気持ちに襲れ、二人の話が終わる前にその場を離れることにした。
※※※※
「あれ、千春さん先に帰っていたんですか?」
「うん、そうだよ。立花君こそ帰るの遅かったね」
「まぁ色々ありましたから……」
「色々っていうのは公園での長話?」
「何で千春さんが知っているんですか……って帰りに見かけたんすね。声を掛けてくれれば良かったのに」
「うーん、何か二人の邪魔したら悪いと思ってさ」
噓だった。何故なら見かけたのは本当だけど、途中まで二人の背後に居たのだから。
「それにしても何か、立花君の様子が変だよ。もしかして咲良ちゃんに告白でもされた?」
私はからかうようにそう言った。本当は答えを知っているのに。
「まぁ実は告白されました……」
「そうなんだ。返事はしたの?」
「まぁ断りました。とはいえ実質的に保留みたいなもんなんですけど」
「そっか、じゃあ立花君。私が君のことを好きだって言ったらどうする?」
意味のないことを口にした。本当は知っているのだ。弟君が今は誰とも付き合う気がないということは……。
「え、千春さん。冗談ですよね?」
「噓じゃないよ。でもまぁ弟としてだけど」
「ですよね。つーか、紛らわしい言い方しないでくださいよ」
「あはは、御免ごめん……」
そんなやり取りをして私はいつものように誤魔化すことにした。
————本当は『異性』として気になり始めているんだけどな……。
でも今はまだこういう平和な日常が好きだから胸の内に留めておこう。
とはいえ幼馴染という思わぬ伏兵が現れたのでのんびりとはしていられない。
クラスも弟君と同じらしいし、家の中では私とずっと一緒だけど学校の中では咲良ちゃんと居る時間の方が長い。
彼はきっと屋上で会った時が初めての会話だと思っているに違いない。
けれど本当はもっと昔に会っているのだ。
彼が中学一年生で私が中学二年生の時。
私は本屋の前でナンパされた時に彼に助けてもらったことがある。
あの時の私は三つ編みに眼鏡をかけた地味な女の子だったから気付かないのは無理がないけど……。
それからずっと彼の事が気になっていて、義理弟として生活することになったと知ったときは運命だと思った。
そして、改めて一緒に生活してみて私が彼に対して好意を抱いている事に気が付いた。正直なところ、ほぼ好きになってしまっているといっても過言ではない。
とはいえこういう気持は初めてだったから自分でもまだ戸惑っている段階だ。
そんな感じで私はずっと自分の気持ちに蓋をして、余裕のあるお姉ちゃんを演じてきた。
上手く出来ているかは分からないけれど……。
暫くの間はこんな感じで姉弟という停滞した関係が続いていくと思う。
その日常が大きく変わるのはきっと、私が彼に想いを伝えたときだろう。
その日が来るから分からないけど、今はこの掛け替えのない日々を大切にしたいって、どうやら今の私は思っているらしい。
とはいえいつまで私が辛抱強く我慢出来るかは分からない。
「弟君、好きだよ」
いつか来るかしれない日に備えて、私は気づかれない程度の音量で弟君の背中に向かってそう呟いた。
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