36話 忘れられない過去

 中学一年生の初夏、俺は放課後の部活帰りにいつものメンバーと歩いていた。

 隣に居るのは伊吹奏、黒髪ショートカットで割と大雑把な性格をしているが、中身は純粋で繊細な女の子。もう一人は宮川薫、俺より背が高くて何かと頼りがいのある男子だ。


 二人は俺と同じ陸上部に所属していながらクラスも同じであった為、仲良くしていた。


 そんな中、俺達は帰りにコンビニで買い食いをしていた。


「ねぇ二人共聞いて! 実はウチ、彼氏が出来たの!」


 俺と宮川が外でホットスナックを食べていると、ふと伊吹がそんな事を言い出した。

「おいおい、こいつ何か言ってるけどどう思う?」


「さぁーな虚言癖でもあるんじゃねーの?」


「やっぱ立花もそう思うよな。伊吹に彼氏とか百年早いし」


 俺達はいつもの調子で伊吹をからかっていた。

 確かに見た目は整っているが、彼女は良くも悪くも男勝りなのだ。


 だから彼女に男が出来るなんて想像がつかなかった。


「二人共酷いし! そんなに言うならこれ見てみなよ」


 伊吹が頬を膨らませながらポケットからスマホを取り出した。

 その直後に彼女が俺と宮川に向けて画面を突きつけるように見せてきた。

 そこには男女二人で撮ったプリクラの写真が映っていた。


「嘘だろ……マジで彼氏出来てるじゃん」


「結構イケメンな人だな……」


「ふっふー、そうでしょ? 二つ上の先輩なんだけど向こうから告られてさー。ウチも丁度彼氏欲しかったしオッケーしちゃった」


「伊吹まじ裏切りだろそれは……。俺達差し置いて自分だけ彼氏作るとかないわー。立花もそう思うよなぁ?」


「そ、そうだな……」


 何だか途端に胃がキュッと締め付けられたような感覚に陥った。何だこの感覚……。


「何だよその反応! まさかお前、伊吹に惚れてたのか?」


「え、そうなの? 晴彦」


「な訳ないだろ、調子乗んな馬鹿」


 俺は視線を逸らしながら吐き捨てるように言った。


「馬鹿じゃないもーん、ウチには立派なイケメン彼氏がいるし」


「うわお前、彼氏できた途端に非リア見下す嫌な奴だ」


「悔しかったら二人とも早く彼女作りなよ」


「うぜぇー、まぁ陸部のエース候補である俺と立花が本気出したら余裕で学年のマドンナと付き合えるだろ、なぁ立花?」


「どうだろうな、伊吹以外の女子とあんまり話さないしキツイんじゃねーの?」


「それ言っちゃ駄目だろ、立花よぉー」


「あはは、二人共彼女までの道のりは遠いねぇ。ウチは二人とも応援してるよ」


————無邪気に笑う伊吹の顔がやけに眩しく映った。

 それから俺達はいつもの帰路で別れることになった。

 そして俺はふと振り返って彼女の背中を見つめる。

 ここで初めて俺は、少しだけ彼女にそういう感情を抱いていた事に気が付いた。


 ※※※※


 あれから約一か月半が経過した。夏休みも今日が最終日であり、明日からはまた学校が再開される。勉強に部活で忙しい日々がやってくるのだ。


 そんな中俺はというと、今日一日中オフであった故に駅前に一人で訪れていた。

 目的地は本屋である。お目当ては最近ハマっているライトノベルというものだ。

 元々漫画しか読まない口であったが、最近読みだしたらどっぷり沼に浸かってしまったのだ。


 そういう訳で俺は行きつけの本屋に足を踏み入れることにする。すると、入り口の隣で何やら揉め事が発生していた。


「そんな嫌がるなよ、ちょっと俺達と連絡先だけでも交換しようぜ?」


「さっきから嫌だと言っていますよね?」


「まじこの子頑固だわー。どうするよ?」


「カラオケに無理矢理連れ込むとか? 流石にヤバい?」


 何やら穏やかな雰囲気ではなさそうだ。つーか一人女の子に男子二人で寄ってたかって恥ずかしくないのかよ……。そんな事を思いながら俺は彼等の所へ歩き出した。


「そういうの良くないんじゃないですか?」


「あ? 誰だお前……」


 俺に気付いた片方の男が俺にガン飛ばしてくる。

 その瞬間、俺の心臓がピクリと跳ねた。……相手の威圧に屈したのではない。

 俺の目の前に居る男が見覚えのある人物だったからである。


 少し茶色がかった髪の毛に、シュッっとした目付き……間違いない、俺はこの人を知っている。月島先輩……同中の二つ上で伊吹の彼氏だ。写真で見たから見間違えもないはずだ。


 どうして伊吹という彼女が居るのにナンパなんてしているのだろうか?

 いや今は状況を鎮めることが先決である。


「通りすがっただけっすよ。彼女が嫌がってたので」


「はっ、カッコいいなお前……あーあ、何か白けたしズらかるぞ」


 月島先輩はそう言ってからその場を離れて消えていった。

 ふぅ……意外とあっさりだったな。揉め事は嫌いなタイプらしい。


「あの、ありがとうございました」


 助けた女の子がポツリとそう呟いた。

 眼鏡をかけた三つ編みの冴えない女の子だった。

 きっとか弱そうな彼女を敢えて狙ってナンパしたに違いない。


「別に気にすんなよ。つーか気を付けろよ。稀にああいう奴も居るからさ」


 そう告げてから俺は本屋に入っていった。

 月島先輩が女の子をナンパしていたという事はもう伊吹とは別れたのだろうか?

 今度それとなく確かめてみるか。


 ※※※※


 夏休みが明けた初日、俺は憂鬱になりながらも学校に向かった。それから昇降口に行った時に伊吹の姿が見えた。隣には月島先輩も居る。


 二人は楽しそうに会話をしながら登校をしていた。

 あの様子だとまだ付き合っているのか? だが昨日の事を彼女は知らないはずだ……。


 

 俺が疑心暗鬼を抱いたまま授業を受けていたら遂に放課後になってしまった。

 部活が始まれば再び話す機会を失うような気がしたので、俺は伊吹に声を掛けた。


「なぁ伊吹、ちょっといいか?」


「え、ウチ? どうかしたの?」


「話したいことがあるんだ」


「急に改まってどうしたの?」


「あのさ、お前まだ月島先輩と付き合っているのか?」


「い、一応そうだけど……」


「その言い草……あんまり上手くいってないのか?」


「別にそんな事ないけど、というか晴彦には関係ない事じゃん」


 そう言いながら伊吹が突っぱねてきた。流石に強引過ぎただろうか?

 だが俺も話を切り出した以上は引き返すわけにはいかない。


「確かにそうかもな……でもな伊吹、あの人とは直ぐに別れた方が良い」


「ど、どういう事? 何で晴彦がそんなこと言うの?」


「それは……」


 昨日の事を言うべきなのだろうか? いや、でもまだ間違いだったという可能性はある。月島先輩の口から聞いていない以上は100%という確証はない。それならば……。


「わりぃ、やっぱり今のは忘れてくれ。それと今日、俺は部活を休むから顧問の先生に伝えておいて欲しい」


 俺はそう言い残して、すぐさま教室を飛び出した。


「ちょっと……晴彦!」


 伊吹の声が聞こえた気がするが立ち止まっている暇はない。

              

 ※※※※


 俺は直ぐに校内を出て月島先輩を探した。伊吹曰く帰宅部であると言っていたので、既に下校しているはずである。すなわちまだ学校の近くにいる可能性が高い。

 それから俺は勘だよりでそこら辺を歩いた。すると彼の後姿があった。


 どうやら運が良かったらしい……。俺は話し掛けるタイミングを測るようにして彼を尾行した。そして、学校からある程度人気が無くなった河川敷付近で彼に声を掛けた。


「月島先輩、ちょっといいっすか?」


「あん?」


 振り返り俺の方を見た月島先輩が驚いたような顔をしていた。そりゃあそうだ、昨日も偶然にして会った人間に話し掛ければそういう反応も無理はない。


「奇遇だな、んで何か俺に用か?」


 高圧的な態度で月島先輩が俺に語りかける。流石にプレッシャーを感じるな……。

 だがここで弱気な表情を見せるわけにはいかない。


「先輩はまだ伊吹と付き合っているんすよね? なのにどうしてナンパしてたんすか?」


「はっ、その話か……。だが別にお前には関係ないだろ」


「関係なくないっすよ。つーか適当な気持ちで付き合うなら別れて下さいよ」


「それは無理な相談だな」


「先輩は伊吹の事が好きなんですか?」


「別に好きじゃねーよ。ただ惰性で付き合ってるだけだ」


 ……は? 何だよそれ、意味わかんねぇよ。

 だったらこっちにもやりようがある。


「なら今の会話をあいつに聞かせても問題ないっすね」


 そう言いながら俺はスマホアプリのボイスレコーダーを月島先輩に見せる。


「成程な、確かにそれは困るな。なら取引しないか?」


「取引?」


 聞き返すと、月島先輩がこちらにやってきて俺の肩に腕を回してくる。

 その直後に彼がポケットからスマホを取り出して画像を見せてきた。


————え? 息を吸う事を忘れてしまいそうなほどの衝撃が走った。

 何故なら俺の目に映ったのはあられもない伊吹の姿だったからだ。


「お前にもこれやるからチャラにしてくれね?」


「……この画像、お前盗撮でもしたのか?」


「あーバレた? あいつ、俺んち来た時汗かいたからシャワー浴びてさー、その時にこっそり撮っただけだ」


 月島先輩がそう言いながら画像をスライドしていく。

 たった一枚ではなくこんなに沢山あるなんて思いもしなかった。


「何かの間違いだろ」


「おいおい、ショックなのは分かるけどさー。現実逃避するなよ。あいつ馬鹿だから未だに俺の事好きっぽいぜ? つーかマジでエロい身体しているよな、この画像俺の知り合いに売りつけて金儲けしようと思うんだけど、お前どう思う?」


「……やめろ、頼むからあいつの心を弄ばないでくれ」


「嫌無理だろ。あいつ普通に見た目良いし、捨てるならヤッからの方がいいしな」


「は、お前何言ってんだよ?」


「おいおいキレるなよ、もしかしてお前童貞か? うわキモイわー、どうせオナニーして満足してんだろ? お前もとっと捨てた方が良いぜ童ー貞くん」


「うるせーよ」


「怒んなって、つーかお前何なの? 正義感ぶって普通にキモいよ? 中二病拗らせてんのもいい加減にしろよ。大体お前さ、本当は伊吹の事寝取られて悔……」


 その直後に————ガッと音がした。殴打の音だ。

 俺は気が付かなうちに月島先輩を本気で殴りつけていた。


 そして、倒れ込んだ隙に月島先輩のスマホを奪って俺はそれを川に投げ捨てた。

 流石に俺がそこまですると思っていなかったのか、彼が初めて怒りを露わにした。


「お前……何すんだよ」


「ざまぁないっすね。その様子だとあの画像らを他のフォルダーに移しておかなかったんすか?」


「黙れよ」


 どうや本当にあの画像はスマホにしか保存されていなかったらしい。

 それならば好都合だ。俺の目的はこの時点で達成された。


「残念すね。先輩のお宝が無くなってしまって」


「……ふっ、お前面白い奴だな」


「お褒めの言葉を頂き光栄っすよ。それで殴られた分の借りは返さなくていいんすか?」


「いや、今日は止めとくわ。殴られたのは癪だがお前をただ殴っても気が済まねぇ気分だ。


久しぶりにいいおもちゃが出てきたんだ。たっぷり可愛がってやるから覚悟しておけよ、正義マン君」


 そう言い残して月島先輩はその場を消えていった。

 どうやら近頃報復に来るらしい。ここまでの事をやったんだ。それなりの覚悟は必要だろう。だが後悔はない。お陰で伊吹の名誉だって傷つけずに済んだのだ。


 そうだ、これでいい————。

 この時までの俺は本気でそう思っていた。


 ※※※※                 


 翌日、俺はいつものように学校に登校した。授業を受けたりなどとくだらない日常生活を送っていたのだ。そんな中昼休みに俺は伊吹に呼び出しを食らった。


 人気のない体育館裏、待ち合わせ場所に行くと彼女の姿があった。


「急にこんな所に呼び出してどうしたんだよ……」


「ねぇ晴彦、昨日の放課後部活サボって何してたの?」


 伊吹から冷たい声が発せられた。普段の会話とは違う裏に棘が隠されている気がした。


「ちょっと体調悪くて……」


 俺が月島先輩と会ったなんて話すわけにはいかない。ましてやあの画像の事なんて絶対に口に出来ない。だが伊吹に俺の嘘は通用しなかった。


「誤魔化さないでよ! 晴彦昨日、龍哉君と会ったんでしょ?」


「何でそれを……」


「昨日の夜、龍哉君に別れを告げられた。突然の事だったから納得できなくて、理由を聞いたら晴彦のせいだって言ってたから」


 あの野郎……そんな事を言いやがったのか。つーか、別れる気はないって言っていたのにあっさりだな。それにしても困ったな。これじゃあまるで俺が邪魔したみたいなニュアンスに捉えられかねない。いや実際に間違っては無いけど、伊吹はあの人の本性を知らないんだ。


「月島先輩はやめたほうがいい。あの人は……」


「ウチはそんな事頼んでないよね? 何で余計な事するわけ?」


「————っ」


 何で怒ってんだよ。俺はただお前を救いたかっただけなのに。

 あんな関係、どう考えてもおかしいだろ。


 伊吹はあの人に遊ばれて、性欲のはけ口になっていただけだろうが。


「もういいよ、晴彦の顔なんて二度と見たくない。これからも話し掛けられても無視するから」


 そう言い残して伊吹はその場から消えていった。

 ……。残された俺はただジッとその背中を追った。

 一体何がいけなかったのか分からない。俺は黙ってあのまま知らないふりをしておけばよかったのか? 


 結局俺がしたことは無駄だった。彼女を助けたいと思っていただけなのに逆に傷つけてしまったのだから……。

 俺は後悔しながら空を見上げた。皮肉なほどの快晴で余計に腹がたった。


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ここまでお読みいただきありがとうございました!

残り話数3話ということで明日完結します。

12時に1話投稿、19時に最終話とエピローグの2話投稿予定です!

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