31話 体育祭⑨

……。暑苦しい。温度が、空から降り注ぐ太陽の日差しが、そして、大衆の空気が。

 俺はグラウンドの中央部で処刑台に立たされている気分であった。

 遂にこれから始まる地獄という名のデッドレースに足を踏み入れるのである。


 結局あの後、流れに逆らえなかった俺はこの場に立つことになってしまったのだ。

 今更後悔したってもう遅い。もう既にリレーは始まろうとしているのである。

 俺が沸き立つ歓声に辟易していると、誰かが横から俺の名前を呼んだ。


「今にも死にそうな顔してっけど、その調子でアンカーが務まるのか?」


 話しかけてきたのは大岩だった。まさかこいつから喋りかけてくるとは……。水沢のように気を遣うタイプではないだろうが、それほど彼から見て俺の様子が変に映っていたのだろうか。にしても因果なものである。まさか俺が毛嫌いしている陽キャラとこんな形で入学以来、初めての会話をすることになるとはな……。


「別に気にするな、まぁ走る順番には不服しかないがな」


 普通こういうのってエースにアンカー託すものだと俺は勝手に思っていたが、元々石田がアンカーだったらしいので致し方がない。


「先行逃げ切りっていう作戦だからな。まぁ安心しろ、必ず俺達が引き離してお前にバトンを渡すから」


 何の憂いもなく大岩が言い切った。はっ、まじでカッコイイなこいつ。

 これはもう大船に乗ったつもりで覚悟決めるしかなさそうだ。


「分かったよ。まぁー負けても俺のせいにすんなよ?」


「そんな真似しないから安心しろ。それよりお前、七宮と仲いいのか?」


「……は?」


「いやお前が七宮と楽しそうに会話している姿を偶然見てな……悪い、今のは忘れてくれ」


 大岩が照れくさそうに、首を掻きながらそう口にした。

 色々と言いたいことがあったが、今は止めて置こう。ぶっちゃけそんな会話をする余裕が今の俺にはない。


 そんなこんなで、彼と会話しているうちに、間もなくレースが始まろうとしていた。


「じゃあ行ってくるわ」


「おう、頑張れよ」


 俺が適当に返事をすると、大岩は直ぐにその場を去っていた。彼は二番手であるが故に直ぐに準備をしないといけないらしい。


「これより第一学年4×100メートルを開始します」


 運営にいる放送部がそう声を掛けると、観客席からの声援が一気に大きくなる。

 既に一番手の人たちはスタート地点でストレッチしたり、身体をほぐしたりと走る準備をしていた。


あーあ嫌だなぁ。マジで始まっちゃうのか……。

 俺が憂鬱そうにぼやいても時間は止まってはくれなかった。

 いつだって時は残酷なものだ。心の準備を終える前に物事は進んでいくし、何かを放置すればそれは遅効性の毒にしかならないのだ。


 そんな事を俺が考えていると、銃が発泡されレースがスタートした。

 ひとまず俺は様子を追っていく。一番手は確か陸上部の田邉であったはずだ……。


「おーっと、先ずは四組白組が一歩リードです。後ろには二組白組、そして、九組紅組と続いております」


 おいおい先行逃げ切りのプランが早速崩壊してるじゃねーか。まぁでも三番手なら上出来なのか? 走り方を見るに、恐らく一位~三位は全員同じ陸上部なのだろう。


 最初に早い奴を置くことで、二番手以降の走者は良い順位のままインコースを走ることが出来る。追い抜く際には必ず外側から抜かなければいけない以上、先手必勝という作戦は悪くないはずだ。


 間もなく一番手が二番手にバトンを渡し終える。

 俺達のクラスは田邉から大岩にバトンが渡された。


「わりぃ、結構ヤバいかも」


 走り終えた田邉が息を切らしながら俺の肩にポンと手を置いた。


「お、おう……。まぁ上出来なんじゃねーの?」


 もう少し気の利いた事を言った方が良かっただろうか? と思ったが、そもそも俺はそんなスキルを持ち合わせていなかったので考えても無駄だった。


 つーか他人を労われるほど俺に余裕はない。だがまぁ順位が一位でないならばある意味気が楽である。一位でバトンを渡されて俺の時に抜かれるのが最も最悪な状況である。


 こちらとしては追われる展開より、追う展開の方が精神衛生上良いのだ。

 なんてことを俺が考えていると、大岩から三番手の水沢にバトンが渡っていた。

 どうやら下位はかなり順位が入れ替わっているようだが上位にさほど動きは見られない。こりゃあ俺達のクラスも変わらず三位かと思った瞬間である、彼が前の白組を抜き去ったらしい。


「あーっと九組紅組が一人追い抜き二位に浮上! トップの四組白組に迫っていきます」


 おいおい、水沢の奴頑張り過ぎだろ……。この高順位だと俺が走るのが申し訳なくなるな。まぁいいや、俺はあくまでも所詮補欠だ。気軽にやるとしよう。

さてと、そろそろ俺も準備をするか……。俺は外から中のレーンに足を踏み入れた。

 その瞬間、誰かが俺に話しかけてくる。


「お前、トイレで会ったよな? もうウンコは出切ったのか?」


 俺の視界に映ったのは城之内であった。どうやら四組のアンカーを勤めるらしい。

 それにしても最初の会話が煽り言葉とはかなり舐められているな。


「うるせーっつの」


 俺は吐き捨てるようにそう答えた。


「石田の代役がヒョロそうな奴で助かったわ。ま、お互い頑張ろうぜ」


 何かを悟ったように、そして憐むように城之内が俺に対して言葉を投げかけてきた。

 その刹那、彼と視線が交錯した。


————あぁ良い眼をしている。その眼だ。

昔の事を思い出させるその眼、俺はかつてその眼を見たことがある。

強者が弱者を憐れむかのように見る、その眼。

いつの日か俺はそれを同じ様な経験をしたような気がする。


ふっ、そりゃそうだろうよ。お前から見れば俺はモブオブモブ。モブキングである。

本来はこのステージにキャスティングすらされていない補欠だ。

と、そんな事を俺が考えていると四組の客席から盛大な応援が聞こえてくる。


「城之内、気を抜くなよー!!」


「一位獲れるぞ! 城之内―!」


嗤っちまうよな。裏ではゲスいことしてた奴でもこんなにも声援が貰えるんだぜ?

それなのに俺のクラスはお通やモード、やっぱりこの世界間違ってるだろ。

どいつもこいつも頭が湧いてるとしか思えない。


いつもクラスの中心、主人公みたいな立場にいるお前にはこの気持ちは一生理解出来ないだろうよ。あーあ、嫌だなぁマジで……。。何でこんなにアウェーなんだよ。


 俺がそんなどうでもいい自己嫌悪に陥っていると、一際大きい叫び声が俺の耳に入った。


「ハル君! ……頑張れえええぇぇえー!!!」


 ふと、そちらの方を見やると声主は七宮であった。

 あの馬鹿何考えてんだ……。大声で、しかも普段の呼び名で叫びやがった。

 俺達が幼馴染である事を周囲のクラスメイト達は認知していないことを忘れたのかよ。


 そんな事を俺が考えていると、彼女が我に返ったような顔をしてから、顔をカアァっと紅潮させながら俯く様子が俺の目に映った。ほら言わんこっちゃない、気持ちは嬉しいがあんまり無理すんなっつーの。俺がため息をつくと、今度は石田の声が聞こえてきた。


「俺の分も頑張ってくれ!!立花く~ん!!!」


「頑張れ、立花ー!」


 驚いたことに七宮や石田に釣られるようにしてクラスメイト達が応援をし始めたのだ。


おいおい嘘だろ。俺の名前、認知されていたのかよ。マジで感動するわ。

ちっ勘違いするな俺、偶々ここに立ったから義理で応援されているだけだ。


あいつらは単にいい奴らなのだ。彼等の善意を別の意味に捉えてはいけない。

まぁそうか、よくよく考えたらスポーツでもアウェーだからといって応援してくれる人がゼロなわけではない。


 そういう上っ面な馴れ合いは御免なんだけどなぁ……。

 俺がもっとも忌み嫌い、過去に切り捨てたものだ。


 であるというのに不思議と、ほんの少しだけ本気で走ってやってもいいという気になった。どうやら俺はまだ甘さを捨てきれていないらしい。全く困ったものだ。

 そんな事を考えながら俺は片腕を後ろに伸ばして、バトンを受け取る構えを取る。


「さぁ、いよいよ先頭集団のアンカーにバトンが受け渡されます!」


「行け! 城之内!」


「任せろ」


 一足先に四組にバトンが渡される。そのまま城之内は加速して先を行く。

 その約一秒後に俺達のクラスの三番手、水沢が走ってくる。

 俺はそのタイミングに合わせるようにリードを取る。


「立花君、後は頼んだよ」


 バトンが渡る瞬間、水沢からそんな掛け声が聞こえてきた。

 ……そういうの重いっつの。悪いが俺は好きに走らせてもらう。

 そう内心で呟きながら俺はバトンを受け取った。

 そして俺は前を走っている城之内を追いかけるように全速力で駆け抜ける。

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