32話 体育祭⑩
「さぁ一気に九組紅組が追い上げる! 一位と僅かながら距離を詰めていきます!」
――冷たい風が俺の全身を襲ってくる。
何処か懐かしい、柔らかな逆風だった。
そうか――俺はこの気持ちよさを知っている。
ふと、脳の片隅に消したはずの記憶が蘇ってくる。
いつの日か俺は、この景色に取り憑かれて夢中になっていた時期がある。
まさか今頃になって思い出すとはな……。それにしても今はそんな事を振り返っている場合ではない。目の前の城之内を追い抜く事に集中しなければ。
そういえば何で俺はこの男に執着しているんだろうな。
……、元々こいつが石田を怪我させなければ俺が大衆の前で走るなんて思いをせずに済んだのだ。全部この男のせいだ。あー、何か腹が立ってきた。益々負けてやる気にはなれない。それにだ、こいつは個人的に俺の癪に障るのだ。
仮に俺が負けても補欠だし、しょうがいよね、で終わる。でもお前は勝って当たり前なんだろ? だったら俺がこのままフェードアウトするのが一番丸く収まる。
だけど……お前のその態度が、立ち振る舞いが、声が、喋り方が……。全部が全部、鼻に付く。
裏で外道なことして快楽を得ているようなこいつを応援しているクラスメイトにも腹が立つんだよ。
だから俺は、こいつだけには絶対に負けたくない。
残り二十メートルの直線ラインで一気に勝負を決める————。
目の前にいる城之内の背中を追いかけるように俺はラストスパートをする。
このまま抜けるかどうかギリギリの勝負。
やけに五月蠅い外野の声を浴びながら、俺は最後の力を振り絞る。
そして、直後に俺の身体がゴールテープに触れた。
先にゴールへと到達したのは————、俺だった。
何とかゴールをした俺はリレーが終わってもなお、その場を動けなかった。
久しぶりに本気で運動をしたせいで身体が付いてきていなかったらしい。
やはり慣れない事をするものではないと改めて実感させられた。
それにしても城之内には悪いことをしたと思っている。勝って当たり前の相手に負けたのだからさぞ屈辱的だろう。その証拠にレースが終わった後に一瞬だけ視線が合ったが、鬼の形相で俺の事を睨み付けてきた。ホント逆恨みったらありゃしないぜ。
それにしても何か身体がフラフラする。本格的にヤバそうだ。
なんて俺が他人事にように考えながら立ち尽くしていると、誰かが俺の肩に腕を回した。
「立花くーん!! マジやべぇよ! 滅茶苦茶足速いじゃん! 立花君のお陰で俺達のクラス、一位になっちゃったべ!」
やけにやかましい奴が来たかと思えば、応援席から駆け付けた石田だった。
テンションが無駄にたけぇ。つーか暑苦しいんだけど……。
「立花君ありがとう。僕からも礼を言うよ」
「本当ねー、もう石田じゃなくて立花君にアンカー任せて良かったよー」
「黒崎さーん、その言い草は酷いべ? どう思うよ立花君~」
知らねぇつの、俺に同調求めんなよ。つーかいい加減離れて欲しい……。
「お、お疲れ様……。結構カッコよかったし」
その声は聞きなれたものであった。ふと顔をあげると、そこにはやはり七宮が居た。
彼女は手に飲み物を持っており、俺の方に差し出していた。
こいつにしてはかなり気が利いている。つーか、急に優しくするとか普通に怖いんだけど……。まぁでも今は素直に受け取っておこう。恥ずかしいから口にはしないが一応感謝している所もあるからな、応援してくれたし。
「おう、サンキュー」
そう返事をしてペットボトルを受け取ろうとしたが、俺は手を滑らせてしまった。
同時に視界がぐらりと反転して、ドサッと音がした。
「ちょっ、ハル君大丈夫!」
七宮が焦った様子で俺の名前を呼んだ。そこで初めて俺が地面に倒れたことを自覚した。
あーあ、……やっちまった。
どうやら俺が思っていた以上に無理をしていたらしい。気が付かないうちにプレッシャーを感じていたのかもしれない。それにようやく解放された反動で力が抜けたのだろう。 俺が倒れたせいで周りがざわざわと騒然としている。
大したことじゃねぇから放っておいて欲しい。
にしてもやけに日差しが眩しいな。
俺はその日差しを遮るように腕で目を隠した。
……そうか、これが青春の光か。
なんて俺が意味不明な事を考えていたら、気が付かぬうちに意識を失っていた。
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お読みいただきありがとうございました!
ようやく物語も終わりが見えてきました。
残り話数は7話で、最終日は3話投稿する予定なので後、三日で完結します。
という訳で引き続きよろしくお願いいたします。
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