第16章 お粥

 孝太郎が、気がついた時、また森玲子の家の客間に横になっていた。我ながら情けない。また気を失ったようだ。鎌田が自分をここまで運んでくれたのだろうか。

 さて、何時だろう。腕時計を見ると午後8時だった。お腹が空いていた。寝ているだけなのに食欲はあるようだ。起き上がろうとしたが、頭が痛くてまだ横になっていた方がよさそうだ。

 しばらく、目を開けたまま、じっとしていた。寝返りを打って本棚の方を見たが、暗くてよく見えなかった。そのうち暗さに慣れて来てよく見ると、映画ファイルは本棚から消えていた。鎌田が森玲子に映画ファイルをどこか別のところに置くように言ったのかもしれない。

 ようやく上半身だけを起き上がらせた。頭を振って眩暈がしないかどうか、確認した。大丈夫だ。やはり森玲子が言うように安静にしないと回復しないようだ。

客間の引き戸がゆっくりと開けられた。

「西村さん、起きましたか」

 森玲子は孝太郎の様子を見に来たのだろう。

「あ、はい。すみません。また具合が悪くなったようで」

「やはり、お医者さまの言っていた通りですわね」

「はい。でも今度はだいぶ回復したようです」

「無理をなさらないように。晩ご飯、お食べになれますか」

「いや、どうぞお構いなく」

「そうはいきませんわ。元々はうちのマックスが噛みついたのが原因ですからね」

「もう帰りますから」

「お粥と簡単なものですけど、作りましたのよ。よろしかったらお食べになって」

 少し迷ったが、やはりお腹は空いているし、せっかく用意してもらったのだからと、考え直した。

「では、すみません。頂きます」

「では、いまこちらにお持ちしますね」

 森玲子は客間から出た。しばらくして、食事を持って戻って来た。お粥と焼いたホッケ、みそ汁、それに湯豆腐を載せたお盆をテーブルに置いた。

「西村さん、本当に簡単なものですが、どうぞ」

 孝太郎は布団から出た。少し頭がふらついたがテーブルにつき、座卓椅子に座った。

「それでは遠慮なく、いただきます」

「召し上がれ」


 亡くなった母も、孝太郎が病気の時に、よくお粥を作ってくれた。あの頃が懐かしい。その母が病気で亡くなり、父と孝太郎、弟の三人家族になった。

 食事は父の休みの日以外は、いつも弟と簡単なものを食べていた。友だちが自分のお母さんのご飯の話をすることがあり、それを聞くのが最も嫌だった。友だちはいつも食べ慣れているからだろう、料理がまずいだの、同じものばかりだのと文句を言うことが多かった。だが、孝太郎にはどんな料理であろうと、母親が作るご飯に憧れがあった。


「おいしいです」

「あら、こんなに簡単なものなのに」

「いえ、本当においしいです」

 簡単なものと言っているが、違うだろう。お粥の柔らかさは病人をいたわるようだ。おそらく、とりわけおいしいお米を使っている。それに、ほっけも、そのおいしさは、普通のものとは違う。豆腐の口当たりからして、これも高級なものだろう。味噌汁は京風のさっぱりしたものだ。母の味がする。

「西村さんはお上手ね」

「向こうの家の地下室に入ったことは、済みませんでした」

「いけませんね」

「どうしても探したくなったものがあったのです」

「あら、何かしら」

「それは・・・」

「あの離れには義兄が集めた映画がありますが、特に珍しいものはございませんのよ」

「しかし、戦前のフィルムがありますよね」

「ええ、兄は映画界におりましたので、そちらの方も多少は集めておりました。ただ、当時のフィルムはあの戦争もあって随分焼けてしまいましたからね」

 そこをさらに聞きたかった。

「ボクが見つけたいのは、その失われたと言われているフィルムなんです」

「あそこにはそんなものはありませんわよ」

「でも、あの地下室にはあるような気がして、それで、つい入ってしまたんです」

 森玲子はいぶかしがるような目をして聞いた。

「なぜ、そう、お思いになったの」

 ここは正直に言おう。

「実は、ボクが休ませていただいたこの部屋で映画ファイルを見つけて、勝手に見てしまったのです」

「西村さんは何でも探そうとされるのね」

「すみません。雑誌の仕事をやっているので、好奇心が強すぎるのかもしれません」

「でも、やはりだめよ」

「はい、すみません」

「それで何をご覧になったの」

「それは・・・」

 孝太郎は鎌田から口止めされていることを思い出した。すると、森玲子の方が口を開いた。

「それは、『睡蓮の花』かしら」

 どきりとした。

「ええ、そうです。なぜ、森さんが・・・」

「それでしたら、義兄から聞いていましてよ。映画会社にもフィルムがなく、どうしても見つからない映画でしょ」

「ええ、ボクが見つけたいのは、その『睡蓮の花』です」

「西村さん、あの家にはありませんわ」

「でも、ファイルには、その映画のページに印があり、フィルムがあるように思えたのです」

「それはですね、数年前ですかね、地方の大きな旧家から『睡蓮の花』のフィルムが見つかったと義兄の所に連絡が入った時に作ったものですよ」

「それでそのフィルムがあるのではないですか」

「義兄が喜び勇んで、その旧家を訪ねましたが、残念ながら、ケースにはその題名があったけど、中のフィルムは別の作品だったのです」

 がっかりした。映画ファイルには、確かに鎌田が集めたことを示す印がついていた。ファイルが旧家に行く前に作られたならば、その印は収集予定でつけたということになる。孝太郎は姉夫婦の家に忍び込み、鎌田に殴られるという痛い目に合ったにもかかわらず成果はなかったのかと、気落ちしてきた。

 それでも気を取り直し、夕食を食べ終えた。

「ごちそうさまでした」

「いえ、至りませんで」

 どこまでも森玲子は控えめだ。こんな大女優が、なぜこうまで慎み深いのだろう。

しかも自分は隠し撮りしようとしたいわゆる悪い者である、こんな自分にまで親切にしてくれ、さらに看病までしてくれる。まったく頭が下がる。

 それなのに、まだあのフィルムのことが頭から離れない。孝太郎は食器を片づけ、台所まで運ぶため立ち上がった。

「あら、そのままにしておいて下さい」

「いえ、あと片付けします」

「西村さん、だめですよ。先ほどお倒れになったじゃありませんか」

「いえ、もう大丈夫です」

「だめです。座っていて下さい」

 さっと、森玲子が孝太郎の手から食器を置いた盆を取った。

「すみません」

「それでは、ゆっくりお休みなさい」

 森玲子はさっと客間の襖を開けて台所の方に出て行った。

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