第15章 応接室

 孝太郎が扉を開けようとしたその瞬間、突然、ドアが開いた。

「勝手に帰ろうとするのはよくないな」

 高齢ではあるが背が高く、体ががっちりした男が入って来た。

「お義兄さん。来ていらっしゃったの」

 男は、森玲子の姉の夫、鎌田のようだ。目は鋭く、睨まれると目線から逃れるのに苦労しそうだ。

「ああ」

「いらっしゃるのは3日後ではありませんでしたか」

「いや、昨日、玲子ちゃんに電話した後で、ここに置いてある資料を急に見たくなって来たんだよ」

 この男は電話をした時に、何か感づいたのではないか。

 玲子が言った。

「もしかして・・・」

「玲子ちゃんは口を出さんでもいい」

「お義兄さんがこの人を殴ったの」

「玲子ちゃんは知らなくてもいいんだよ」

「お義兄さん、この人は悪い人ではないのよ。仕事熱心過ぎるところがあるけど、根は真面目な人なの」

「玲子ちゃん、わかった。ちょっとここで待っていてくれないか。君は、こちらに来たまえ」

 男は、孝太郎に1階の応接室へ進むよう促した。まだしびれている腕を振りながら階段を上がった。

 森玲子はそのまま映写室に残った。

 男が1階の応接室のドアを開け入るように言った。孝太郎が部屋に入った後で、そのドアを閉めた。

「まあ、掛けたまえ」

 孝太郎は、鎌田が手で指し示したソファに座った。鎌田も、向かい側のソファに腰を下ろした。

「君、名前は」

「西村といいます」

「私は、鎌田だ。森玲子の姉の夫になる」

 鎌田は、孝太郎を厳しい表情で睨みながら続けた。

「西村君、何で君がここにいるのかね」

 孝太郎は、隠し撮りに来たこと、犬に追われ噛みつかれたこと、それが原因で熱が出て寝込んでしまい、森玲子の家に泊らせてもらっていることを手短に説明した。

「隠し撮りの件はわかった。でも、なぜこの家に無断で入ったんだ」

「それは、昨日、森さんの家の客間で寝ていた時に、たまたま見た映画ファイルで気になったことがあって、いけないと分かっていたのですが、どうしても確かめたくて、ここに入ったのです」

「ということは、君は客間にあった映画ファイルを勝手に見たということかね」

「ええ。昨日の夜、目が覚めた時に、たまたま目に入って見てしまいました」

「人の家のものを無断で見てはいかんね」

「すみません」

「そのファイルで気になったこととは何かね」

 孝太郎は、ここは疑問をぶつけてみることにした。

「お伺いしますが、森さんの戦前の映画フィルムの多くは失われていますよね」

「ああ、そうだ」

「ボクもそのことは本を読んで知っていたんですが、映画ファイルの中で気になったマークがあったのです」

「それは何かな」

「あの映画ファイルは、森さんが出演した映画ごとにまとめられていて、フィルムの所在を示す略記号がありました」

「それで」

「フィルムが現存している作品にはフィルムを保管している映画会社などの略記号がありました。しかし、森さんのデビュー作にはどうしても分からない記号がついていたんです」

「それは、どんな記号かね」

「AMとありました」

「それで」

「ボクは、それは熱海、つまりこの屋敷のどこかにあることを示しているのではないかと思ったんです」

「君はだから、この家にフィルムを探しに来たというのか」

「はい、そうです」

「それから」

「それから地下室への入口を見つけて、そこでフィルムを探していたら、頭を殴られたというわけです」

 鎌田は孝太郎の目を見ながら、ゆっくりと言った。

「君を殴ったのは私だ。私はこの家のあるじだ。今は、引っ越しているが、この家は残している。今日は映画の資料を取りに来た。そうしたら、地下室に誰かいる気配がして、泥棒かと思い、玄関に置いてあった木刀を持って降りていったら、君がいたということだ」

「結構、痛かったです」

「こちらだって、必死だった」

 鎌田が自分を泥棒と思ったなら、なぜ警察を呼ばなかったのだろう。鎌田は自分の両手を縛り、物置に押し込めたが、その後、どうするつもりだったのか。

「物置の中は暗かったです」

「いや、しばらくしたら見に行くつもりだったんだが」

「森さんが先に来られたということですね」

「そうだ」

 孝太郎は、鎌田がわざと、森玲子が気付くようにしたのだろうと考えた。彼女に鎌田の家に誰かいることをわかるようにして、こちらの家に入った後に、自分も入る。そのように計算したのではないか。

「それで、君は探していたものを見つけたのかな」

「鎌田さん。幻の映画フィルムが、この家の地下室にありますよね」

「君が見たのはどういうものだね」

「映画フィルムの缶に『睡蓮の花』とあるのを見ました」

「そうか。あのフィルム缶を見たんだね」

 鎌田の表情が険しくなった。孝太郎は、質問を続けた。

「鎌田さん。なぜフィルムがあるなら公表しないのですか」

「君はあの映画のことを知っているのかね」

「本で知っているだけですが、映画のあらすじは読みました」

「あのフィルムが公になったら当然、玲子ちゃんの耳に入る」

「森さんも探しているのではないですか」

「君はあの映画を見ていないからそう思うのだ」

「では、森さんは見てはいけないと言われるのですか」

「あの映画は、玲子ちゃんにあることを思い出させる」

「あることとは、何ですか」

 その時、応接室のドアがノックされて少しだけ開いた。森玲子だ。

「お義兄さん。入りますよ」

「玲子ちゃん、お入り」

 森玲子は毅然とした態度で部屋に入って来て、鎌田が座っているソファの方に向かった。

「お義兄さん、この人を殴ったのはお義兄さんでしょ」

「今、西村君にそのことで話をしていたところだ」

「この方は何でも調べてみたいという方なんですよ。大目にみて上げて下さいな」

 孝太郎が口を挟んだ。

「森さん、ボクがいけないんです」

「でも暴力はいけませんわ」

「鎌田さんはボクを泥棒と思ったからなんです。勝手にここに入ったボクが悪いんです」

「西村さん、さあ、私の家に来て、また安静になさい」

「いえ、ボクはやはりこれで失礼します」

 孝太郎は、急に立ち上がった。それがいけなかった。物置に押し込められていた影響からか、貧血のようになり、そのまま応接室の床に倒れた。

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