第13章 暗闇
夕方、犬の鳴き声がして目が覚めた。周りを見ると人の気配がしない。体調が眠る前よりよくなり、起き上がって庭を見ると、森玲子が犬のマックスを連れて夕方の散歩にちょうど出かけたところだった。
確か1時間は散歩すると言っていた。孝太郎は、しばらく庭を眺めていた。幻の映画フィルムを探すなら今しかない。森玲子は、鎌田の家には映画の資料などを置いていると言っていた。古い映画フィルムがあるならばあの家に違いない。
少しふらついたが、縁側に置いてあったサンダルを履いた。きれいに刈り揃えられた芝生の庭を横切って、敷地の奥に建つ離れの家に向かった。
孝太郎は奥の家の玄関前で立ち止まった。しばらく使われていないとはいえ、人の家だ。しかも、自分は森玲子の看病を受けている身だ。勝手に入ってはいけない。温情を受けておきながら仇で返すことになるではないか。
やはり、家に入るのをやめておこう。森玲子が散歩を早く切り上げて戻ってくるかもしれない。
いや、今しかチャンスはない。こちらは家に入って何かを取るわけではない。あくまでも映画フィルムがあるかどうかを探すだけだ。それは、日本映画にとって重要なことだ、などと勝手な思いを並べ立てた。
それでも、孝太郎は罪の意識があって、玄関の鍵が閉まっていたら探すことはしないで、もし鍵が開いていたら、15分だけ映画フィルムを探そうと勝手に決めた。
離れの家の玄関ドアの取っ手に手を伸ばした。
カチャッ。
あろうことか鍵は開いていた。
「ごめん下さい」
小声で呼びかけた。反応はない。
今度は、少し大きめの声を出した。
「ごめん下さい」
やはり、誰もいないようだ。よし、こうなったら、悪いけれど上がらせてもらおう。玄関でサンダルを脱いで家に上がった。右手のドアを開けると応接間があった。部屋の中をさっと見回した。ここではない。
さらに奥に行くとキッチン兼リビングルームがあった。ここでもない。リビングルームを出て、左側に行くと、部屋が三つ並んでいた。ここでもない。奥は洗面所とお風呂だ。
孝太郎は、玄関の方に戻った。姉夫婦が資料を保管するならば、仮にこの家だとしてどこだろう。昔の映画のフィルムは温度管理をしっかりしないといけないと聞きかじっていた。気温が高くなると自然発火することもあると資料にはあった。
家で涼しいところはどこだろう。日本の家ではなかなか、涼しい部屋というのは難しい注文だ。夏は暑く、その前の梅雨の時期は湿度が高い。
いや、待てよ、地下室なら冬は比較的暖かく、夏でも涼しいというのを、雑誌で読んだことがある。この熱海の家の敷地は広く、この姉夫婦の家も平屋だ。映画資料の保管を考えるなら、2階ではなく地下室を造ったのではないだろうか。
玄関を見回すと、左の壁が作り付けの物置の扉のように引き戸になっていた。孝太郎はその扉を開けようとしたが、開かない。思いっきり引っ張ってみたがびくともしない。
よく見ると鍵穴があった。ここに何かあるなと感じた。でも、どうやったら開くだろう。玄関の周りを改めて見回した。高さが2メートルはある作り付けの靴収納棚があった。ここに鍵があるのではないか。開き戸になっている棚の扉を開けてみた。
真ん中の段にはない。下の段も見たがない。上はどうだろう。一番上の段に手を伸ばして見ると、金属に触れて、何かが下に落ちた。
床を見ると鍵だった。その鍵を取り上げて、引き戸の鍵穴にあてた。差し込める。ぐるりと回すと、カチャッと鍵が開いた。
扉を引くと、地下に続く階段が現れた。
暗い。
孝太郎は明りがないかと引き戸の中の壁を触ると、電気スイッチに手が触れた。押すと階段の電灯がついた。1歩ずつ階段を降りた。扉があり手前にあった電気スイッチを押した。ドアを開けると、広々とした空間が目に入ってきた。
扉の近くに映写機があった。ここは映写室のようだ。20畳はあるだろうか。扉の向こう側には中型のスクリーンがあった。椅子は六人分しかない。
部屋の両壁には棚があり、映画の本や資料が綺麗に並べられていた。左側の本棚から見始めた。この部屋の棚のどこかに、失われたフィルムがあるのではないか。それは、もう確信に近かった。左の棚にはなかった。右の棚を見始めた。そこには古い映画の資料が並んでいる。
孝太郎が右の棚の奥を見ると、そこには、銀色のフィルム缶がきれいに整理されて置かれていた。その中で1か所だけ、コーナーを木の枠で囲ってあるところがあった。これは他のとは違う。
なんだろう。そのコーナーを覗くと、木の枠に文字があった。「AM」とある。これだ、このコーナーに違いない。慎重に缶を取り出すと、上の缶に貼られたラベルに『睡蓮の花』とあった。
「これだ」
見つけた、と思った瞬間、孝太郎は頭にズキンと痛みを感じ、暗闇の中に吸い込まれていった。
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