第8章 東銀座
楢崎から依頼を受けて11日目。
専門図書館の開館時間に合わせて、午前10時過ぎに東銀座に着いた。駅からは歩いて2分のところにあった。立派なビルが建っている。その図書館は、オフィスビルの中のワンコーナーを閲覧室として提供しているようだ。
ビルに入り、一般来場者用のエレベーターで3階に上がった。閲覧室に入る前に、荷物を受け付け近くのコインロッカーに預けないといけない。大切な資料を保管しているというのが、そのシステムからも読み取れる。
公共の図書館とは違って閲覧室は狭いのだが、落ち着いた雰囲気がある。まず、図書館の案内パンフレットを読んだ。これは貴重だなと思ったのは、映画公開当時の宣伝資料があることだ。ポスターやチラシなどが集められているそうだ。
こういう宣伝物は、映画公開後には用済みとなり、多くが消えていくものだろう。それを丹念に保管していることは、その映画が世の中でどのように広がっていったかを知る手助けになる。
資料はすべて閉架式なので、まず閲覧室に備え付けのパソコンで所蔵資料の中から、希望する資料を検索する。森玲子を検索ワードとして入力すると、かなりの数の資料がリストアップされた。
孝太郎は、その中から時間のことも考えて、必要だと思う資料を選んでいった。その番号を用紙に書いて、女性の司書に渡すのだが、その人がとても親切で、こちらが初めての利用のために、まごついていると、丁寧に申請方法を教えてくれた。
申請後は待つことになる。その間に、閲覧室にある映画雑誌のラックを見た。日本の映画雑誌だけでなく、海外の雑誌も取り揃えている。英語のものもあれば、フランス語のものもある。これは、映画好きには、たまらない場所だろう。
そのうち、名前が呼ばれ、司書から資料の束を渡された。その束を大切に持って、閲覧席に座った。
まず、映画公開時の宣伝資料を見ていった。映画の宣伝物には森玲子のアップが多く使われていた。彼女が、いかに看板女優であったかが、よくわかる。資料の中には、森玲子が起用された広告のスクラップもあった。美人女優ということで、その多くは化粧品だ。今も昔も、女性をターゲットにする商品は、美しい人を使って消費者にアピールする戦略のようだ。
孝太郎が興味をもったのが、映画公開時のパンフレットだ。映画のスチール写真や、スタッフ一覧、出演者一覧、それと監督や脚本家、映画評論家らのエッセーなども掲載されている。 映画ごとのパンフレットを、スチール写真とともに、文章部分にも目だけは通す要領で見ていった。
つい数日前に見た映画などは、パンフレットを読むと、あのシーンはこういう風に深読みができるのかなど、教えられる点も多かった。
そのパンフレットの中には、森玲子のインタビューが掲載されているものもあった。本人の発言に、文字を通じて触れられるので、その部分はとりわけ丁寧に読んでいった。
森玲子出演の映画としては後期の作品となるパンフレットを読んでいる時だ。
はっと、した。
森玲子が、鎌田夫婦のことを語っている。
「ええ、今は一人で暮らしておりますけど、将来は、姉夫婦の近くで暮らすことも考えているのですよ。私たち、とても仲がいいんですの」
これは、鎌倉の別荘からの引っ越し先として、姉夫婦、つまり鎌田の家の近くに移り住んだことも考えられるということではないか。
孝太郎は、秋原さんから渡されたメモを、入れていたクリアファイルから取り出した。電話番号を見ると、固定電話で局番は0557だ。さてどこだろう。閲覧室に持ち込んでいた取材用の手帳を開いた。手帳の最後の方のページには、マスコミ関係者が使う取材用の便利帳があり、その中に各都道府県の取材対象リストがあった。
鎌田の電話番号の局番と合致するのは静岡県だ。エリアとしては、熱海市や伊東市などが該当する。
そうだ。鎌田のフルネームと電話番号から住所を割り出せるはずだ。早速、スマホで検索してみたが、やはりエリアまでしかわからない。ここは、古典的に電話帳を見てみよう。鎌田は高齢者だから、電話帳に番号を記載している確率が高い。
さて、今、都心にいて、全国の、いや、静岡県の電話帳を見ることができるところはどこだろうか。こういう場合、心強いのが、千代田区にある国会図書館だ。
まだまだ、この映画と演劇の専門図書館でゆったりと時間を使いたいとの思いも残っていたが、それよりも鎌田の住所を調べる方が先だと判断した。貴重な資料を再びファイルに戻した。席を立ち、受付に向かった。
「資料をありがとうございました」
親切な女性の司書にお礼を述べた。
「お探しのものは見つかりましたか」
「はい。手掛かり程度ですが、とても助かりました」
「どういたしまして」
この場所にはまた来たい。
「ここには、映画以外の資料もあるんですね」
「はい。演劇の資料も収集しています」
「演劇というと」
「そうですね。歌舞伎、文楽に、新派や新劇、それに商業演劇なども収集しています」
演劇の資料は、さらに貴重だろうなと推測した。演劇は、映画と比べると、規模が小さい。商業演劇は別として、新劇などは、公演の入場者数もさほど多くはなく、当然、予算も限られているだろう。その関連資料を集めるのは、それ自体が大変なことに違いない。
「古いものもあるんですか」
「約300年前の浄瑠璃の本や、阿国歌舞伎の資料も収蔵しています」
300年前というと、江戸時代ではないか。
「映画の資料を見させていただいたんですが、通例では手にすることや、見ることができないものがありますね」
「ええ、そうですね。映画ですと、映画のシナリオも多くあります。演劇ですと、公演で使われた演劇の台本も保管しているんですよ」
「その台本は実際に使われたものなんですか」
「はい。撮影や公演で使われたものがあります。なかには、台本に書き込みがあるものもあるんですよ」
それはすごい。
「そんな貴重なものを、一般の人が見てもいいんですか」
「はい。ここでは、あくまで資料として保管していますので、一般公開しています」
「すごいですね」
なんと太っ腹な。
「収蔵点数はどのくらいあるんですか」
「細かい資料もありまして、点数としては40万点を超えています」
「え、40万点も」
「はい」
「それでは、場所も保管も大変ですね」
「そうですね。でも、演劇界や映画界の発展のためにとの設立趣旨なんです」
「いやー、すばらしい。また、来たいです」
「はい、いつでもお越しください」
こんな立派な図書館が、こんな都心にあるのかと、あらためて感心した。図書館の入ったビルを出ると、すでに午後1時を回っていた。資料に夢中になり昼ご飯を食べるのを忘れていた。
そういえば、急にお腹が空いてきた。地下鉄の駅の方に向かう途中で、焼き魚のいい匂いが漂ってきた。店構えはかなりの年季が入っている。木造だろうか。3階建てだ。中からは店員の威勢のいい声が聞こえてきた。
孝太郎は店の中を覗いた後、これは雰囲気がよさそうだと、入ることにした。店は午後1時を過ぎているが、サラリーマンやOLらのグループで混んでいた。だけど、こちらは一人なので、空いていたカウンター席に案内された。ラッキーだ。
ランチメニューには、10種を超える魚のバリエーションがあった。その中から、好物である、ホッケ定食を頼んだ。注文を受ける店員の威勢のいいこと。客である、こちらの気分までなんだか心地よくなってくる。これは、楽しいお店だな、いいところに入ったなと思いながら、この後のスケジュールを考えた。
まずは国会図書館に行って、鎌田の住所を確定させよう。その後は・・・、などと思案していたら、再び威勢のいい声で、定食が運ばれてきた。焼きたてで肉厚のホッケ。
うまい。
ごはんは、どこのお米を使っているのだろうか。ほかほかで、粒が立っていて、おいしい。昼ご飯は大当たりだった。
その後、地下鉄に乗り国会図書館に向かった。これまでも何度か国会図書館を使ったことはあった。その度に、日本の文字情報の中心地にいるんだなとの感慨が湧いてくる。本の集積が醸し出す独特な匂いも、こちらの勉学意欲を刺激する。
だから、とても気持ちいい。ただ、難点はある。資料申請をしてから、かなり待たされることだ。しかし、この東京本館だけで、約2800万点の蔵書数なのだ。その膨大な資料から、利用者の申請にもとづいて、資料を取り出し一時的に提供する。時間がかかるのも仕方がないのかもしれない。
今回の請求資料は、電話帳であるタウンページの冊子だから、ごくありふれたものだ。とはいえ、これまでと同じように、しばらく待たされた。ようやく、該当の電話帳を受け取り、閲覧する。
秋原さんからのメモを見返す。
鎌田雅彦。
0557‐××‐××××。
「か」のページを開く。「鎌」の姓を探す。鎌井、鎌石、鎌木、鎌澤などと続き、鎌田が出てきた。「鎌田雅彦」の名前があることを願って、細かい字を追う。
あった。
やはり、年配の人だ。固定電話をちゃんと電話帳に掲載している。その横に小さな文字で書かれた住所を食い入るように見た。熱海市だ。町名と番地までを書き取った。
そうか。熱海か。神奈川県ではないが、隣の静岡県だ。楢崎は神奈川県の近くではないかと言っていた。熱海市は、神奈川県との県境に接しているので、楢崎の言う通り、近いところだ。
それに、映画の専門図書館で見つけたパンフレットに載っていた、森玲子がインタビューで語っていた、「姉夫婦の近くで暮らす」とも符丁が合う。
今度は、電話帳から書き取った住所をもとに地図で調べておこう。図書館にある大きめの地図を借りて、番地を追っていった。鎌田の住所の近くには、比較的、大きな神社があった。この神社を目安に鎌田の家を探せばいい。
森玲子は、鎌田の家の近くにいるのではないか、との期待が、だんだん強くなってきた。これは、熱海に行って確かめるしかない。ただ、確定したわけではないので、現地に行ったとしても1日だけでは確認できない可能性もある。2日、いや、3日ぐらいかかるかもしれない。でも、とにかく現場に行ってみるしかない。そう、心に決めた。
楢崎から依頼された日から締め切りまで3週間あったが、すでに残りは10日となっている。
ここにきて、ようやく下調べも、どうにか一段落ついた。しかも、何とか森玲子がいそうな場所を見つけ出した。とはいえ、まだそこにいると決まったわけではない。
ここは現場確認だ。いよいよ熱海に行こう。鎌田の家に森玲子がいるとは断言できないが、可能性は高い。
その日は、すでに夕方になっていたので、家に帰り、彼女が出演した映画の残りを見た。やはり、森玲子の美しさは、一際、輝いていた。この人を本当に見ることができるのだろうか。すでに高齢になっているとはいえ、この目で本人を見てみたい。
孝太郎にも、スターを追い求める人たちの気持ちが、少しだけわかるような気がした。
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