第6章 調査

 依頼を受けて6日目。

 孝太郎は、秋原さんの家を訪ねてから、森玲子の資料と本の読み解きに、本格的に取り組んだ。日中は、預かった資料を、今度はじっくりと読み解くことにした。夜は、昔、録画していた彼女の代表的な映画をみることに使った。探すと2本ほど持っていた。森玲子、その人について頭に入れておきたい。そのことが、彼女を探すのに役立つのではないか。

 まず、楢崎から預かった資料を読み込んだ。さすが、大手出版社だけあって、通例では手に入りにくい資料も含まれていた。こつこつと資料部の人たちが収集したのだろう、戦後すぐの頃からの、森玲子に関する記事のスクラップが時系列順に入っている。紙は古くなり、変色していた。

 そのスクラップを順番が狂わないように、1枚ずつ読んでいった。当時の新聞も雑誌も、活字が小さくて読みづらい。しかし、そんなことも言っていられないので、記事を追っていく。インタビューで、とりわけ多いのが、結婚についてのものだ。

 森玲子は、映画監督とのロマンスの噂もあるにはあった。ただ、真偽のほどはわからないようだ。そして、40歳で引退するまで、とうとう結婚することはなかった。引退後も、結婚の報道はなかったので、今に至るまで独身を通したことになる。

 マスコミ、特に雑誌は、そこを執拗に質問している。

「どうして結婚しないんですか」

「結婚式を挙げるならどのようにしたいですか」

「結婚についてどうお考えですか」

「恋愛はしましたか」

 など、質問があまりにも単刀直入だ。

 今なら、性的差別として、質問者に批判が集まることだろう。そもそも、若い女性に対して結婚のことを、当事者から言わない限り、聞くこと自体が礼儀に反するはずだ。女性の方から結婚について相談を持ち掛けられた場合、それに対して男性が答えるのは、十分に許容範囲だろう。それ以外で、結婚について聞くことは、その人の領域を犯している。

 だが、森玲子の場合、映画界で一番の美人と言われ、映画では主演がほとんどで、いわゆる一般の人々から大きな注目を集める存在であったこともあり、記者たちが、どうみても本人にとって不愉快な質問を砲火のように浴びせている。

 それらに対して、森玲子は野球のデッドボールをかわすかのように、切り抜けている。

「映画界にいて、狭い世界ですので、ふさわしい方が見つかりませんでしたの」

「結婚を考える時期に、戦争があったものですから、その機会を失いましたの」

「結婚のことを真剣に考えている頃に、ちょうど仕事が忙しくなりましたの」

など、相手がそれなりに満足するような受け応えをしている。

 この人は頭がいい。それに、自分が傷つけられても相手を傷つけない。

 孝太郎は、取材前は、ほとんど何も知らなかった元映画女優ではあったが、だんだんその内面にも惹かれてきた。

 楢崎から預かった資料の中には、個人情報も入っていた。銀行口座も出版社は、把握していたようだ。おそらく今は使っていないものだろうが、かつては、森玲子本人に原稿を依頼したこともあるのだろう。その原稿料を振り込むための口座だろうと推測した。

 それと、森玲子の履歴にあたるリストもあった。出版社の資料部が、独自に作り上げたものだろう。こんなものまで、自分が見てもいいのだろうかと、戸惑いを覚えた。

 しかし、よく考えると、楢崎からは、森玲子の居場所を探してくれと言われているのだから、必要な情報だ。楢崎も孝太郎に依頼する内容に応じて、資料部のファイルから必要なものはすべて入れたのだろう。

 いや、あるいは、要領のいい楢崎のことだから、資料部から森玲子のファイルを借り出し、その中身を精査することもなく、ボンッっと、自分に渡したのだろうか。だから、こんな個人情報まで含まれているのか。

 多分、楢崎なら、資料を確かめることもなく、右から左に渡したに違いない。そうしなければ、締め切りに追われる雑誌の仕事は回転しないのかもしれない。

 その履歴リストを見ると、家族関係もきちんと把握されていた。

 姉は一人で、結婚したのが秋原さんから電話番号を教えてもらった鎌田になっている。鎌田の略歴も記入があり、映画プロデューサーとなっている。

 妹も一人で、その妹が結婚したのが、秋原さんだ。貿易会社に勤務とある。あの別荘を譲り受けたのは、夫の海外勤務が長く、日本での拠点を持っていなかったからだろうか。いやいや、ここは勝手な推測はしなくてもいいか。

 兄は一人。病弱で若くして死去している。亡くなったのも戦時中だ。この兄が健康で一家を支えることが出来ていたなら、森玲子が映画界に入ることもなかったのだろうか。しかし、そうであったならば、それは、日本映画界の大きな損失となっただろう。

 弟は二人いる。上の弟が、敗戦後、7年後に事故で死亡とあった。

 肉親を亡くすことは、辛い体験だっただろう。森玲子は、この弟や妹のために映画界に入ったと言っていいのだろう。彼女が支えていた家族のうち、兄と上の弟の二人も亡くしている。悲しみはいかばかりであったか。

 下の弟は、映画界とは関係なく、繊維会社に入っている。この弟だけが、呉服商を営んでいた森家の流れを受け継いだのだろうか。

 一通り、出版社の内部資料である森玲子の履歴を見ていて、気になったのが姉と結婚した鎌田だ。

 鎌田は映画プロデューサーとあるが、森玲子が出演する映画について、どうも深く関わっていたようだ。だからこそ、秋原さんが、鎌倉の元別荘の撮影で、何か問題が起きた時には、鎌田に連絡するように教えてくれたのだろう。

 楢崎から預かった資料には、鎌田関連のものは、なかった。それに、記事のスクラップは、かなりの量があったが、残念ながら本は2冊しか預かっていない。だから他の本にも目を通しておきたかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る