3章 大天使メタトロンの庭、迷いの森

第19話 ひとりぼっちのコーイチ

 プロテクターを装着した首府警察の特殊部隊が、市役所のハルピュイア駆除センターの職員とともに雪崩れこんできた時には、すでに怪物は殲滅させられていた。


 吹っ飛ばされた鳥の胴体だけでなく、贓物や砕かれた少女の顔、眼球などが、べったりと血糊で濡れた床の上に転がり、しかもところどころ堆く積もった白い羽毛で足の踏み場もないほど。その酸鼻きわまりない光景に、さしもの首府警の猛者たちも言葉を失い、立ち尽くすしかなかった。


 安全確認のあと、すぐさま救急隊員が呼び入れられた。そして真っ先にコーイチに寄り添うユキのもとに駆け寄ってくる。

「あなたは?」

「コーイチの、というか真田光一くんの身元保証人です」

 涙をこらえながらユキは気丈にこたえる。


「家族の方ですか?」

「いえ、真田くんのお母さんに後見を頼まれた者です」


 コーイチの母は事情があって、いまは彼と一緒には暮らしてはいない。それぞれ戸建ての家に住み、隣り合う家の者同士であった。コーイチとユキはもの心つく以前からの幼馴染みの間柄ということも手伝って、森野雪の家族が一人暮らしのコーイチの身の回りの面倒をみることを約束していた。


「わかりました。それにしても彼は酷い状態ですね」

 そう指摘されると、ふたたび嗚咽が漏れそうになる。


 コーイチはみんなを守ったというのに見捨てられたのだ。便利屋天使とかパシリとか心ない蔑みを受けながらも頑張ってきた。天使であることを愚弄されても爽やかに笑っていた男の子。いつだって笑顔が似合う少年だった。承認欲求やマウントを取るためではなく、ただひたすら人の為を思っての行為に偽りはない。ユキは知っている。光の翼のシェルターで守ったが、べつに称賛が欲しかったわけじゃない。


 全校生徒を一人残さず、ハルピュイアの毒牙から守りたかった。だだそれだけ。ただそれだけなのに、襤褸切れか何かのように打ち捨てられていた。


 これまでもそうだったが、やはり校長が話した<天使化不適合症候群>を発症して亡くなった生徒の話題が、よりインパクト強く効いたのだろう。

 ――天使にふれると災いがもたらされる。

 皆そう信じ、忌避されたのだ。ユキのいないあいだ、誰一人として彼を介抱しょうとする、心優しき者はいなかった。

 可哀想なコーイチ。


「では、救急車に同乗してください。他にケガ人は?」

 と、そこへ今川教諭が割って入り、すかさずフォローしてくれる。

「いません。真田くんだけです。わたし、彼のクラス担任の今川です。わたしも病院に同行します」


「先生。いいんですか?」

「クラスは星野先生に頼んだわ。それに委員長がいるから安心でしょ?」

 今川先生はいたずらっぽくウインクした。アラサーの若々しい女の先生で気っ風の良さと合理的な思考に定評がある。それに茶目っ気たっぷり、子供っぽさもあって男子よりも女子に人気があるくらい。


「えっと、それから森野さん、ごめんね」

「え? 何がです?」


「わたし、女の子たちを守るのに精一杯で真田くんを気に懸けてあげることができなかった。今更の言い訳でみっともないんだけど、一言お詫びが言いたくて。あなたにも、真田くんにも……」

 先生は心から申し訳なさそうにユキに頭を下げた。

「え、いえ、……そんな」

 ユキは言葉につまった。コーイチのことをわずかでも案じてくれる先生がいることに救われる思いがした。


 この間にもコーイチはストレッチャーに乗せられ、救急隊員の手によって講堂の外へ運びだされてゆく。ユキも今川先生を伴い、コーイチの後に続こうとしたが……。


「あの、いいですか?」

 そこへもう一人の人物が加わった。

 黒ずくめの対ハルピュイア装備のプロテクターにガッチリと身を包み、防弾ヘルメットのフェイスシールドをあげ、顔だけを露出させた若い女性が近づいてくる。と、直立不動の姿勢になるや、今川先生に敬礼した。


「本職は首府警ハルピュイア対策二課の片桐巡査と申します。学校で重火器を使用した形跡があるのですが。……あなた、森野雪さんですね? あなたが使用したという話を聞きました。重火器使用に関するアダプター申請はあなたから提出されておりません。正式な訓練をしていない女子高校生に取り扱えるシロモノとはとても思えないのですが……」

 片桐は天井に開いた穴を見上げ、それからユキに視線を移した。


「そ、……それは」

 口ごもっていると、突然、坂田が視界に横滑りしてきた。


「お、俺が、や、やりましたッ」

「え、君が?」


「いやー、黙っていてすんません。俺、こう見えても魔弾の射手なんすよ、ははッ」

「名前は?」


「大山鯛高二年の坂田順っす」

 片桐はタブレットを操作するが、とたんに眉をひそめた。

「アダプターに登録されていませんね。無届けですか? このままだと非合法アダプターとして更生施設行きですが」

「いやぁ。つい忘れてまして。すんません」

 やたらヘラヘラ笑いをしながらペコペコ頭を下げる坂田である。


「わかりました。署まできてもらうことになるけど、いい? 事情聴取に応じてくれる?」

 片桐巡査の冷徹な声が断を下す。

「は、はぁ」


「こら、坂田。銃刀法違反の廉で逮捕かもよ。あとアダプター申請もしなきゃ。先生も警察、同行してあげるから。じゃ、森野さん、一緒できなくてごめん。もう行ってくれる」

 すでにコーイチは救急車に運びこまれ、いまは搬送先の救急病院の連絡を取り合っている頃だろう。と、同時に車内で蘇生のための心臓マッサージを受けているに違いなかった。


「はい、すみません。坂田くん、ありがとね」

「お、俺は何もしてねーし」


「お前、いいとこあんじゃん」

 とユリッペがげしげし、すらりとした足で坂田の脛を蹴ってくる。

「痛ッ、痛ッ、やめろッ、骨ンとこワザと狙って蹴るな、死神ッ!」

 蹴られながら、ぴょこぴょこと変てこなダンスを躍る坂田なのであった。


 出口に向かって走るユキを見ながら今川先生は首府警の片桐に訊いた。

「ところで天使庁の対ゴブリン・ハルピュイア対策チームが来ていないようですが。片桐さんは何か聞いていますか?」

 片桐はわずかに首を傾げた。

「いえ、本職は天使庁との連携について何も知らされておりませんが」

「……そうですか」


 ここでも天使に対する差別が働いている。

 警察と市役所に通報はしても天使庁は避けられ、蚊帳の外に置かれたのだ。生徒のみならず教諭もまた、天使に対しては偏見を抱いている。今川先生は瞳を曇らせると、溜め息をついた。

 

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